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JR福知山線事故〜人間の基本感覚が抹殺されている
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佐々木です。

『イエスという男』などの著書で知られるキリスト教研究者の田川建三さんがHP
で福知山線事故について書いていました。
たいへん共感しましたので転載します。
長文失礼。

なお、田川さんのHPのURLは以下のとおりです。
http://www6.ocn.ne.jp/~tagawakn/

転載ココからーーーーーーーー

今 日 の 一 言

第9回 福知山線の事故、人間の基本感覚
2007年4月30日


 福知山線の事故からもう2年もたつ。
 実は私は、2年前のあの日、たまたま、その列車の30分弱前に、まったく同じ快速電車で、同じ場所を同じ方向で通過している。もしもあと20数分家を出るのが遅かったら、と思うと、今でもぞっとする。

 私と逆の運命の人もおいでになる。 いつもは30分ほど早く家を出るのに、あの日に限って30分遅く家を出たばかりに、あの電車に乗り合わせてしまった、という。何と言ったら良いのか。

 私でさえ、あの電車で亡くなられた方々のことを思うと、僅か30分の運命の違いに、ひどく重苦しい思いに襲われる。まして、あの日、同じ電車に乗っておられて、幸いにして御無事であった方々は、御無事であっても、非常に重い気持に今でも支配されておいでだろう。大変なことである。

 さて、この文を書く気になったのは (前からずっと、書こうと思っていたが)、あの事故のあった線路のカーブのことである。

 あの後、福知山線が再開してからすぐに、私は一度、一番前の車両に乗って、ガラスごしに運転席を通して、電車の走っていく方向をずっと見てみた。

 そしてあのカーブにさしかかった時、信じられなかった。 この曲りの大きなカーブのところで、100kmを超える速度で走ったなど、人間の基本感覚として、理解できなかったのである。まさか! とても信じられない……。
 その、とても信じられないことが起こったのだ。

 もしもあれだけの急カーブを自動車を運転して通るとしたら、あのカーブが見えたら、本能的に足がブレーキにかかって、カーブにさしかかる前にすでに、ぐんと減速するだろう。どんな人であろうと。 何も考える前に。 自動的に。
 あのカーブは、そのぐらいの急カーブである。

 つまり、運転手の人は、人間のごく基本的な、あまりに当然の本能に、無理に逆らって、あの場所を突っ走ったのである。そういうことが人間に起こりえた、ということが、恐ろしい。

 あの事故の直後、マスコミはこぞって (多分裏で何かの情報操作が働いたのだろうが)、新型ATMが設置してなかったのはけしからん、と騒ぎ立てた。 どうも、裏で、新型ATMを作る企業の儲けをはかろうという力が大きく働いていたのではないか、と想像したくなるくらいに。

 考えてもごらんいただきたい。 日本に鉄道が敷かれてから、すでに百年以上になる。その間、ただの一度も、もちろんATMなどまったく存在しなかった時代にもずっと、あのような事故は起こらなかった。 この明白な事実を、もっと直視しないといけない。今回の事故が起こったのは、新型ATMが設置されていなかったからではない。

 あれほどの急カーブを、あのような速度で走ろう、などということは、人間の感覚としてありえないから、そんなことをする運転手はこれまでただの一人も存在しなかったのである。それだけの話ではないか。 それだけの話だからこそ、あまりに恐ろしい。

 確かに、人間には過ちがある。 従って、機械の力を借りて、自動制御ができれば、それもあった方がいいだろう。しかし、その種の機械があるから百%安全だ、と言い続ける人たちこそが、あちこちで、大きな事故を起こしているではないか。問題は、機械を使う人間の方である。

 つまり、鉄道百年の歴史で、まだまだ人間が人間の基本感覚に忠実に生きることができた時代には、急カーブでは当然すべての運転手が速度を落とすから(わざわざ頭で反省する前に、ブレーキをかけていたはずだ)、 ああいう事故は起こらなかったのだ。

 以前も、カーブの場所では、速度制限の数字が線路脇に表示してあった。 運転手はそれを見て、それに従うことが求められていた。彼らは、常にその数字に注意してはいただろう。 けれども、それ以前に、あれだけの急なすごいカーブにさしかかったら、本能的に、速度を落としていたはずである。

 確かに以前にも脱線事故はあった。 しかしこれほどの惨事にいたる事故はなかったし、 単なる速度の出し過ぎ、それも急カーブでこれ程の無謀な速度の出し過ぎによる大事故はなかった。 人間のまっとうな感覚が尊重されている限りは、そういうことは起こり得ないのである。

 言い換えれば、あの運転手の人は、そういう人間としての基本感覚までも無視して突っ走ることを強制されたのである。これは恐ろしい犯罪ではなかろうか。 もちろん、運転手の人が犯罪を犯したのではなく、運転手の人をそのように異常な自殺行為にまで追いつめたJR西日本社長以下幹部の犯した犯罪である。こういう犯罪は厳しく罰せられねばならぬ。

 その意味では、いや、あらゆる意味で、あの運転手の人も、この事故の被害者なのだ。そこまで人間性を、人間の基本感覚を、抹殺することを強制されて、本能に逆らってあの事故に無我夢中で突入なさったのだから。私は彼に心から同情している。

 皆さん、あの場所を一度通ってみていただきたい。
 車の運転に慣れている人なら、あの場所にさしかかったら、電車に乗っていても、何も考える前に、右足がブレーキを踏もうと本能的に動こうとするのを感じるだろう。

 JR西日本の企業幹部の連中は、そういう人間性の抹殺を運転手たちに、社員のすべてに、強引に強制している。今までの歴史で起こることのなかったような、考えられないほどの人間的基本本能の抹殺を。

  しかもあの連中は、自分が何をやっているのかもまったく自覚せずに、現場の苦労など何一つ知らずに、のほほんと、贅沢な部屋で贅沢にうずくまっておいでになる。あいつら、骨の髄まで悪い。 しかも、自分が悪いということを、まったく自覚していない。

 電車が5分ぐらい遅れたっていいではないか。 それを僅か5秒の遅れまでもとりもどさせようと強制するから、しかもその強制には嫌らしい弾圧を伴うから、運転手はあせって、かえってうまく停車しそこなったりして、ますます遅れを多くする。

 だいたい、電車が遅れるのは、運転手の責任ではない。 現在の社会のさまざまな機構の中で、電車の遅れといった事柄は、さまざまな原因によって不可避的に生じる。それを運転手個人の責任に帰するなど、ものを知らないにもほどがある。

 そして、JR西日本に限らず、現在の日本社会に風靡している 「企業原理」優先主義は、あらゆるところで、本当は複雑でさまざまな問題から生じる事柄を、現場の当事者一人の責任に押しかぶせ、その人一人をしめあげて、責任をとらせようとする。
 だから、その人は、もはや人間の基本感覚さえも自分で抹殺して、突っ走らざるをえなくなるのだ。

 そういう企業風土の中で、毎日しごかれ、追いつめられて、ついに、あのカーブで減速するという基本感覚まで抹殺されてしまった一人の運転手が、あの事故へと突っ走った。誰の責任かは、明瞭だろう。

 だがこれは、もちろん、JR西日本だけの問題ではない。
 今の日本社会では、あらゆるところで、これと同じ現象が起こっている。 あらゆるところで、人間の基本感覚を自分の手で抹殺するように強制されている人が大勢存在する。

 人間が、人間の基本感覚を抹殺されれば、いくらでも恐ろしいことが起こる。しかもその人間たちの手に、一つ間違えば大勢の人が死ぬような機械や物質や機構がゆだねられているのだから、本当に恐ろしい。

転載ココまでーーーーーーーーー

Created by staff01. Last modified on 2007-05-31 16:49:04 Copyright: Default

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