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卒業式処分で停職3ヶ月中の根津公子さんの停職「出勤」日記1〜2日目(4月6日・7日) (石川中裁判を支える会機関紙「ほうせんか37号」より) 詳しくは http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm を見てください。 --
みかん

■■停職「出勤」開始■■

私は教育的視点から起立を拒否したのであって、それは教員としての 正当な行為。停職は不当、私は仕事をしたい。だから昨年同様、校門 前まで「出勤」をします。 以下、報告です。

■4月6日は立川二中に

8時少し前に正門前到着。地域のあいさつ隊の人は普段よりも多く5〜6人。1名はちょっと雰囲 気が違う。生徒の登校が終わったところで本人に尋ねると、市教委の職員Aさんだと判明。「市教委 の人がなぜここに?」と尋ねると、「二中の校長の要請」で、その理由は「騒動が起きる心配がある から」だと。もっと詳しく聞こうとしたら、遮られてしまった。「君が代」起立斉唱の職務命令だっ て、形の上では「校長の職務命令」。「石原都教委の」とは言わない。この「要請」もそんなものな んだろう。

到着して、昨年と同じようにプラカードを組み立てているとすぐに校長が、次に副校長がやってき た。「職務」としてなのだろう。 プラカードを持って立つとちょうどそこに、自転車を走らせた出勤途上の一人の保護者が、挨拶を されて行き過ぎた。でもすぐに戻ってこられた。「プラカードを読みたいと思って」と。昨年立って いた時に声をかけてきてくださり、それが縁で知り合った方である。行動すれば嫌がらせはたくさん あるが、貴重な出会いも生まれるわけで、その喜びは何にも替えがたい。

ところで生徒たちは、と言うと、朝は大勢の大人たちの中をどういう表情をして通っていいものや らと、戸惑っていた節もあり、ぎこちない表情が目立ったが、下校時は校門に私一人である。いつも の顔に戻っていた。1人で、あるいは集団であれこれ話しかけてきた。話しこんでいく生徒たちもか なりいた。だから、午後はずっと楽しく過ごした。

卒業式で私が不起立をしたことを生徒はほとんど皆、その時点で知っていた。さらにひどい処分に なるだろうことも知っていた。ところが今日の始業式で「根津は転勤」と紹介があったことから、転 勤となったのだから停職はしなくていいと受け取った生徒もいたようだ。「飛ばされたよね」と確信 を突く生徒もいた。

「先生って、筋が通っているよな。すげえと思うよ」「(処分が加重されるから)仕方ないから立っ て、歌わなければいいじゃん」。それぞれに言う。「先生、がんばって」「明日も来る?」と言って 帰っていった。

プラカードには、「進級おめでとう!心新たにスタートを切って下さいね。/私は「君が代」不起 立で停職3ヶ月に。/「君が代」ってどういう歌?なぜ歌うの?生徒に知らせないままに、「起立し 斉唱しなさい」とは、私には言えない。だから着席しました。/こんな処分は東京都だけ。戦前・戦 中のよう。」と書いた。

■7日は鶴川二中に

鶴川二中校門前に「出勤」。今日は入学式。8時ぴったりに着くと、ご丁寧な「お出迎え」。その うちに物々しい警備がしかれていることに気づく。戒厳令下の校門前「出勤」1日目だった。

校門前には副校長のほかに市教委らしき人が2人いる。他にも数人いる。近寄って訊いたら案の定、 S統括指導主事とM指導主事だと言う。「校長の要請でいらしたのですか」と訊くと、「違う。市教 委の判断で来た」とのこと。理由は、「何かあるといけないから」だと。しばらくすると、市教委の 2人は、副校長に「??が来たから」とか言って帰っていった。相手は耳打ちしたのだろうが、八王 子にいた頃生徒から「地獄耳」と言われていた私には、聞こえてしまったのだ。気づくと、公安警察 か?と思われる男の人が4人いる。私を観察、監視していることは言わずもがなである。彼らは、 「品川」「多摩」ナンバーの2台の車で来ていた。品川ナンバーの車は卒業式が終わり、生徒も保護 者もすべて帰った1時頃に引き上げたが、多摩ナンバーの車は、5時少し前まで張り込んでいた。

さて私は、プラカードを持って、ここにいる人たちに混ざって、「おはようございます。おめでと うございます」と生徒や新入生の保護者に声をかけた。本当は中でお祝いして当然だ、と思いながら。 すぐに、明らかに私を排除しようと立っている人に気づく。私の前に立ちはだかろうと、私が場所を 変えるとその人も変え、私とプラカードの文字が見えないようにするのだ。意見をするのでなく、こ うした行為に出るその人が哀れだった。プラカードには次のように書いていた。「ご入学おめでとう ございます。希望に燃えた今の気持ちを大切にしてください。/私は4・1付で二中に着任しました。 /でも今、停職3ヶ月の処分に。/卒業式の「君が代」斉唱の際起立しなかったことが処分の理由で す。/私は間違っていると思うことには、従えないのです。」

登校してくる生徒の数が少ない。聞くと、2、3年生は係や合唱の生徒だけが登校したのだとのこ と。生徒たちの下校時にも、副校長および入学式の外警備に当たった教員とともに私も生徒たちに 「さよなら」と声をかけた。面識のない私にきょとんとし、プラカードを見るので、「停職3ヶ月」 の文字を指して、「これが私です。校長先生からお話があったでしょ」と言うと、さすが中学生の記 憶力!「ああ、根津先生ですか」。校長には前もって、「私をいない者にはしないで。停職3ヶ月で あることを理由とともに生徒たちに紹介してほしい」と頼んでいたところ、昨日の着任式で「7月か ら出てくる根津先生」と紹介があったのだそうだ。「これからどうぞよろしくお願いします」(根津) と挨拶交換の場となった。人懐こくてとてもかわいい生徒たち。

「停職って何に?」「なぜ停職なの?」「何で起立しないんですか」「何で起立しないと停職なん ですか?そんなの自由じゃん!」「君が代って、どういう意味か知らない」。色々言っていた。「 『君が代は歌わない人もいます」って、小学校の時、先生に聞いたことがある』という生徒もいた。 2時過ぎ、「入学式」と書いた立て看板を撤去し副校長は中に入ったが、3時、「プラカードを写し ていいですか」とデジカメを持って出てきて私に訊いた。「さんざん皆が見ているものだから写して も構いません。でも、それは市教委が報告書を出せと言ってきたということ?」と言うと副校長は、 苦し紛れな答えを返す。報告書作成・送付以外に写す目的がないのは明白なのに。

5時、そろそろ片付けようと思っているところに高校の入学式を終えて中学校に来ていた数人の一 行の目にプラカードが留まる。「うちの高校でも、やっていたよ」と声をかけてくれた。こういう 「中高一貫」はいいなと、私は思わずにっこりした。


Created by staff01. Last modified on 2006-04-08 23:11:43 Copyright: Default

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