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 ムンバイ(旧ボンベイ)で開かれる世界社会フォーラムの開会前日に家族の不幸のために私は突然帰国したのですが、その前4日間(1月11〜15日)ほどデリーからアグラー、ムンバイへと車と列車で旅行しました。写真でインドの現状を少し報告します。

<インドの写真家 Simone Bruno 氏のサイト"WSF-2004-INDIA-BOMBAY"にWSFムンバイの毎日の会場風景や参加者の顔、パーフォーマンスなどプロの大きな写真が日毎に分けて多数掲載されています。WSFに興味ある方は必見です。>

 マスコミ報道はインドが最近急速に近代化、工業化を進め、とりわけIT産業の発達が著しいと伝えていました(例・12月中旬の連載「インド 浮上する大国」朝日新聞)。確かにデリーやボンベイなど大都市の中心部では豊な近代的な建築や都市を見ましたが、同時に多くのホームレスや乞食も見ました。デリーから200キロ離れた古都アーグラーなど地方では圧倒的な人々の貧困が目に付きました。インドは貧富の差が大きく、わずかな巨大なリッチな人びとと多数の貧民に分かれます。道路や軒先で牛や犬が人間と共存している姿は悠久の自然を感じました。

 人口10億人を越えるインドの現状は大きな変化の渦中にあり、庶民の生活を垣間見て、混沌を感じました。8枚のスナップ写真を見て説明を読んでください。

(写真-1) 首都デリーで公園の補修工事で働く男女労働者。彼らは夫婦と思われる。他の場所でも夫婦と幼い子供も一緒の家族で建設作業に従事していた。

(写真-2) 世界遺産になっているタージ・マハール(アーグラー)はムガール帝国の王が后のために作ったムスリム(イスラム教)の墓である。近くで見た巨大な大理石の建造物の美しさに圧倒された。現在のインドではヒンズー教徒が多数派であるが、イスラムの文化が大きく影響を残している。同じ時期にできた日光・東照宮と比較してスケールの違いを感じた。

(写真-3) アーグラーにあるスィカンドラ廟に来ていた青年たちは明るそう。大人の女性の衣装は大方サリー。女性の衣装はヒンズー教徒がサリー、ムスリムはブルカ(ベールが付く)と異なる。

(写真-4) アーグラー駅前通でリキシャの運転手・ナンネンカンさん。周辺を2時間走ってもらって、100ルピー(270円)払った。子供たちが写真と撮って欲しいと寄ってきた。

(写真-5) 駅前の定食屋でナンを焼く女将。子供が手伝い、親父がカレーを煮ていた。カレー定食25ルピー(70円)。

(写真-6) ムンバイへ向かう列車の中で"Another World Is Possible"(別の世界は可能だ)の世界社会フォーラムのポスターが貼ってあった。「あなたはWSFに参加するのか」と参加者のインド人から話しかけられた。

(写真-7) ムンバイ市内に入ってすれ違った列車は労働者で溢れていた。町は1960年代の日本の繁華街のように露天商で埋まり、スラム街が広がっていた。

(写真-8) ムンバイはインドの映画産業の拠点で、会場付近はその中心地。米ハリウッドに対抗してボリウッド"Bolywood"と呼ばれる。ホテル裏の海岸で映画のロケが行われていた。


Created byStaff. Created on 2004-01-19 14:46:50 / Last modified on 2005-09-05 02:59:33 Copyright: Default

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