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『トラック列島・3万キロ』と長時間労働      木下昌明

 一昨年、わたしはレイバーフェスタで3分ビデオ『娘の時間』をつくり、娘の長時間労働を問題にしましたが、それ以来労働時間について関心をもつようになりました。いまわたしの娘は家を出て別にくらしていますが、いまでも朝9時から深夜2時、3時まで働いているようで困っています。先日会った時、少しやせて目をギロギロさせていました。それゆえ、NHKスペシャル番組の『トラック列島・3万キロ』を他人事ではなく、身につまされる思いでみました。ここに登場する芦塚さんという54歳になる長距離トラックの運転手の労働時間もすさまじいことがわかります。画面を追ってみても、最初の長崎から大阪までダイコンをつんでの走行時間は、朝の10時頃から荷積み作業をしてそのまま10時間あまりかけて大阪まで突っ走り、途中コンビニで弁当を買って食べ、深夜0時すぎに到着し、そこから3カ所の市場をまわって一人で荷おろしして、午前4時すぎに終わる。そのあと4時間ほど仮眠をとって別の輸送の仕事をするという具合です。こんな状態で3日目にようやく会社のある長崎に帰ってくるという労働ですね。これは非人間的な長時間労働の典型といえます。

 芦塚さんの場合、家族は、妻と離婚し一人で4人の子どもを育てているわけですが、こんな労働ですから家族はバラバラになっている。

 また労働が長距離輸送だからといっても、ただA地点からB地点へ運べばすむということでなくて、決められた一定の時間内に出発し到着しなければならない。もし、車の渋滞に巻きこまれて延着となれば、荷主側に賠償金を支払わなければならない。しかも遅れたからといってスピードを上げるわけにはいかない。会社は荷主側に安全運転を売りにして仕事を請けているからです。しわよせは全部運転手にくる。そんなこんなで芦塚さんはストレスがたまって胃を3分の2切除している始末で、生活をこわされ、体をこわされ、人間としてのぎりぎりの瀬戸際まで追いつめられているわけです。しかしそれでも芦塚さんは括淡としてハンドルを握りしめている。そんなゆとりがあるようにみえる表情や会話に心打たれるものがあります。それがこのドキュメンタリーの救いといえば救いであります。

 それでわたしも、こんな瀬戸際まで追いつめられた「労働時間」について考えてみようと、労基法を調べました。32条に「労働時間」の規則があって、そこに1週間40時間、1日8時間をこえて労働させてはならないという条文があります。ところが36条に時間外および休日での労働条項があって、そこに労働組合などとの協定によって時間外労働を認めるということが記されています。そして平成10年にこの36条を骨抜きにする規則がつくられ、それからも「自動車運転の業務」が適用除外になっていて、労働時間の規則は空洞化されています。番組で「国の基準では4時間走ったら30分休憩となっている」というナレーションがありましたが、この基準にそって実施すれば時間通りに到着しないわけで、基準自体が何の意味ももたないことがわかります。それから若いときに読んだマルクスの『賃銀・価格および利潤』という文庫本をひっぱり出して再読しました。そこにこんな印象的な文章がありました。「時間あってこそ人間は発達するのである。勝手にできる自由な時間のない人間、睡眠・食事などによる単なる生理的中断は別として全生涯を資本家のための労働によって奪われる人間は牛馬よりも憐れなものである」

 と、これは芦塚さんにもわたしの娘にもそのままあてはまります。自分の自由な時間があってこそ、人間は人間として生きることができるのです。つづけてマルクスはこうのべています。「彼はからだを毀され、心をけだもの化された、他人の富を生産するための単なる機械である」

 と、こういうことばがそのままいまの状況でも通用することに驚かされます。これは長時間労働によって病気になったり、精神がおかしくなったり、過労自殺したりする労働者すべてにあてはまります。

 しかし、この番組をみている限り、芦塚さんの「心」は「けだもの化」していなくて救われます。それは多分に彼には愛する子どもたちがいるからだと思います。子どもたちの古い写真を大切にもっていて、それを時々ながめたり、末の娘さんとタクシーに乗っている場面で、こんな仕事だからいつポックリいくかわからないと芦塚さんが話しかけますと、娘さんがぽつりと「気をつけてね」と声をかけます。こういう一言が芦塚さんにとって何よりの励みとなる言葉ではないかと思います。実際トラック協会の統計をみても、年間の災害死亡者は、毎年240人前後です。

 次に、このドキュメンタリーの魅力ですが、それは単に、トラック運転手の労働に照明をあてているだけでなく、それと深く結びついた「物流」という今日のシステムの一面を浮かび上がらせていることが大きいと思います。

 トップの方で、夜の都心を縦横に走っている高速道路の俯瞰シーンが出てきます。あれはとても印象的でした。道路がまるで血管のように赤く光っていて、そこに何台ものトラックがひしめいて血液のように流れている。そのシーンに、人間の血液のように夜となく昼となくトラックが走っていなければ日本経済が成り立たなくなっていることがよく表現されています。その流れは、まるで強迫観念にかられたように止まることができない。止まれば動脈硬化を起こしたように破裂してしまうように思われます。

 特にいまの生産市場(工場)から消費市場へと流れるルートは、必要なものを必要なときに必要なだけつくるというジャスト・イン・タイム方式になっていますから、生産物が消費者の手に短日時でわたるしくみになっている。物の流れがどんどん短縮化・短時間化しているわけです。その根底には、人間の欲望の肥大化をはかって利潤を追求する資本主義の拡大延命にあります。

 戦後も1970年代までは輸送手段は鉄道の貨物輸送であったわけです。それが田中角栄の「列島改造論」の音頭で山や田んぼを切り拓き、自然を破壊して高速道路がつくられました。そういう時代を背景に国労と動労が「スト権スト」で鉄道を止めたわけです。1975年の11月末の8日間のゼネストがそれですが、これが皮肉にもストを打てない組合にしてしまった。というのも、ストを打っても大都市の市場は生鮮食品やあらゆる製品があふれて少しも効果がなかったからです。このとき国労や動労は長距離トラックが列島を縦横に走りまわる現実を全くみていなかった。これによって、かれらは労働者の権利をたたかいとる唯一の手段を無効にしてしまったわけです。その点では、日本の支配層の方がずっと先をみていたといえます。また、荷主側もこの時からトラック輸送を重視するようになります。菅原文太が主演した『トラック野郎』という映画は、このストの失敗のあとの正月から上映され、人気を呼んでシリーズ化されました。当時、トラックドライバーは花形で、一匹狼の運転手が自分のトラックを異様に飾りたてて走っていました。

 しかし、それもいっときの間で、やがて大手のトラック会社が長距離輸送の拡大をはかって、また規制緩和によって中小の運送業も林立しダンピング競争が激化してきて、この番組のような状況が生まれたといえます。しかし運転手たちは、たたかう労働組合を組織化するどころか組合そのものに否定的だったことから、結果として荷主とトラック会社のいいなりになっていきました。つまり、時間を追いかけ・時間に追いかけられる労働者に成り下がったわけです。鉄道からトラックに切り替わることで、労働者の権利も奪われていったといえます。この番組をみていても、そういう歴史背景がかいまみえてきます。

 といっても、これはトラック労働者ばかりの問題ではなく、JRの尼崎事故をみてもわかるように、運輸労働者全体の問題になっています。また、いま郵政民営化で騒がれている問題とも重なります。マスコミは、もっぱら自民党の民営化賛成派と反対派との対立として取り上げていますが、そこでは郵便局で働く労働者の問題がないがしろにされています。というのも、賛成派はグローバリゼーション推進派であり、反対派は特定郵便局の地主資本と結託した守旧派であり、労働者の意向がそこでは反映していないからです。

 しかし、郵便労働者のたたかいの母体である全逓労組は民営化以前からすでに弱体化させられJPUに改称して変質させられ、労働現場での過重労働の激化に抵抗できないありさまです。その点について『技術と人間』の7月号で安田浩一さんが「郵政民営化に参入するトヨタ方式」というエッセイでくわしく論じています。それによると、多くの郵便局の郵便課・集配課で「ムリ・ムダ・ムラ」を省いたトヨタ生産方式が採用されて、人間の一日の労働単位を8時間のうち20分の休憩をぬいて、2万7600秒の1の単位にまで区切って、1秒単位の行動としてとらえています。このやり方は尼崎事故での秒単位の運転士の行動とそっくりですが、ここに人間のロボット化−ロボット労働化がうかがえます。たとえば、立ったり座ったりする作業は時間のムダだからと集配課のフロアにあるイスを全部撤去してしまう。

 このようにいま日本社会は、抵抗する労働者の組織をこわし、バラバラの個人にして、一日の時間をがんじがらめにしています。時間のスピード化のウラには肉体の酷使−肉体労働の極限化がみられます。かつて鎌田慧がトヨタの現場で働いて記録した『自動車絶望工場』のあり方が、その後改善されるどころか、より人間をロボット化する技術革新を推し進めることで、いまやそれを日本の全職場に広めようとしつつあるのが現実といえます。

 これをどのように廃絶に追いこんでいくか−それが今日わたしたちに課せられた問題だと思いますが、それは容易ではありません。というのも、リストラによる失業者の増加、フリーターの増加、過労死の増加、自殺者年間3万人以上という問題などの根っこには、いま労働者がたたかおうとしてもたたかえない状況とこれはイコールだからです。資本には、労働者を人間扱いするモラリティーなどかけらもありません。当の労働者が抵抗する以外だれも助けてはくれないのです。しかもその抵抗がむずかしい状況ですからはっきりいって八方ふさがりといえます。しかし、NHKのドキュメンタリーが投げかけた長時間労働問題について、これをわたしたち自身の問題としてみんなで論議すること−−まずはそういう素材を利用して、自分たちのおかれた立場を認識し究明すること、そこからはじめることが大切ではないかと思います。

 なお番組のラストに「建交労」の名前が出てきます。ここから芦塚さんは建交労組の一員であり、その労組の協力をえてつくられたものと推測できます。やはり組合の後押しがなければこういったすぐれた作品はなかなかつくれないと思います。


Created byStaff. Created on 2005-08-21 23:17:04 / Last modified on 2005-09-08 06:18:45 Copyright: Default

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