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News Item 20050428m1
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*レイバーネット日本・メーリングリストより

C@鉄ちゃんです。

尼崎でのJR事故は、犠牲者が3桁に迫り、鉄道単独事故としては戦後4番目の大惨事となることが確実な情勢になりました。

犠牲となった皆様方のご冥福をお祈り申し上げます。

事故原因については、メディア報道であらゆる分析がなされていますが、今ひとつどれも決め手に欠けるようです。

これという決め手となる原因がない場合は、いろいろな要素が少しずつ絡まって発生した事故=「複合事故」として処理されることが多く、これまで発生した鉄道事故の半分以上は「複合事故」とされています。

事故を調査し、報告書を作る立場からすれば、原因がわからない場合は「複合事故」としておけばそれなりに報告書の体裁が整うので、これまでも多用されてきた「使い勝手の良い」表現であり、今回の事故も「複合事故」として報告が出されることになるのでしょう。

しかし、今回の事故の背景には隠された真の原因があります。ここにお集まりのみなさまには申し上げるまでもないことですが「JRの企業体質」です。

国民の共有財産であり、日本の宝物だった日本国有鉄道から強奪した土地の競売に群がった商業マスコミですら指摘しているように、JR西日本の社員数は発足当時と比べても3分の2に減っています。国策に反対する組合員を切り捨てて出発したJRが、さらにリストラをした結果です。

この間、メディア報道で言われているような、利益優先、ダイヤ維持優先の姿勢もさることながら、国鉄の分割・民営化がもたらした最大の害悪は、先輩から後輩へ、「安全思想」が継承されていた国鉄というシステムを解体したことにあると思います。

国鉄時代には、日常の仕事を通じて、あるいは組合の中で先輩から安全思想を学び、各自がそれを自分自身のものとして体得していくシステムがあったことは、私たち鉄道ファンでも鉄道雑誌の記事などを通じて知っています。

実際、国鉄時代の運転士は車両検修職の中から一定経験を積んだ人が登用されるシステムだったのに対し、現在のJRの多くは運転士を車掌経験者の中から登用するシステムに変更しています。車両検修職として、鉄道車両の何たるかを知る者こそが運転士となるシステムだったのが、今では車掌として、売り上げを上げる方法を体得した者が運転士に登用されるシステムになっているのです。このあたりからも「技術からカネ儲けへ」という鉄道人の思想的退廃を見ることができます。

私がこのような人事システムに根本的な疑問を持っていることは言うまでもありません。もちろん現在のJRでも、運転士が国交省の運転免許試験を受け、指導運転士の添乗指導を受けながら育成されることに変わりはありませんが、鉄道車両の技術的特性を知って運転士になるのとそうでないのとでは雲泥の差があります。

今回、暴走(?)に近い運転をした若き運転士が「速度超過くらい大したことはない」と考えたのだとしたら、まさに鉄道技術への無理解としか言いようがなく、同時に、運転士がそうした「職務の特性」を理解する暇もないほど余裕のない職場の雰囲気、そして締め付けが事故の真の原因として浮かび上がってきます。

そして、JR西日本に関してどうしても言わなければならないのが、「フェイルセーフ軽視」の風潮です。

フェイルセーフとは英語でfail-safe。強引に日本語に訳せば「安全的失敗」と言うほどの意味で、鉄道では「迷ったときには最も安全と思われる選択をすること」という趣旨で使われる言葉です。1951(昭26)年に運輸省(当時)が制定した「運転の安全の確保に関する省令」で、「・・・その取扱に疑いのあるときは、最も安全と思われる取扱をしなければならない」と定められており、このために、鉄道では車両や設備が故障した際にも、最も安全な故障の仕方をするように設計されています。たとえば車両であれば、故障時には自動的にブレーキがかかって停車するように、信号機であれば故障時には自動的に赤になるように設計すること…それが「安全的失敗」であり、安全な乗り物としての鉄道の威信を高めたフェイルセーフ思想の根幹を成しています。

時折、テレビニュースなどで「○○駅の信号機が突然赤になったまま変わらなくなり、○○人の通勤の足に影響」とか、「走行中の列車に突然ブレーキが掛かって動けなくなり、○○線が何分遅れ」などという報道を耳にすることがありますが、これらは同じ事故ではあっても「フェイルセーフがきちんと機能していることによる事故」であり、重大な事故ではありません。(山陽新幹線の「運転士居眠り事故」も、ATCがきちんと作動して列車が緊急停止したという意味ではこの部類に入る。運転士のたるみは見過ごせないが…)。いささか逆説的ですが、こういった内容の事故が起こっているうちは鉄道は安全な証拠であり、安心して身を委ねて間違いありません。

しかし、JR西日本で過去に起こってきた事故は、「走行中の新幹線の上にトンネル外壁が剥離落下」とか、「消防士が救助活動中なのに列車の運転を再開」といった、フェイルセーフに真っ向から反する事故であり、そのことが大きな問題なのです。(外壁が剥離しそうなトンネルが見つかったら列車を止めるのが本来のフェイルセーフ。)

現在、「鉄道人としての思想的退廃」と軌を一にするように、JRはどこも事故が多くなっている実感がありますが、私はとりわけJR西日本を重大視し、時には名指しで厳しく批判してきました。批判されたJR西日本にしてみれば「他社だって事故は起きているのに何でウチばかり批判するのか」と不満があるかもしれませんが、単に事故の件数ではなく、問題はその内容なのです。新潟県中越地震の時、上越新幹線の脱線事故が起き、世界に衝撃を与えましたが、あのとき、地震検知装置の作動により給電が止まり、運転士も「最も安全な取り扱いをすること」というフェイルセーフの思想を守り、非常ブレーキをかけました。結果的に脱線は避けられませんでしたが、ハード(設備)、ソフト(人間)の両面からフェイルセーフという安全の根本原則に忠実であろうとした上越新幹線事故と、完全にフェイルセーフを無視したJR西日本の事故は、脱線という結果は同じであっても、全く性質の違うものです。この文章を読んでいるみなさんも、JR各社で事故が起きているのに私がなぜJR西日本だけをことさら厳しく批判するのかをご理解いただけたと思います。

民営という人間軽視、安全軽視のシステムの中で精一杯安全のために尽くしているのは運転士など現場の労働者です。その現場労働者たちが、安全の維持向上のため、心にゆとりを持って自分の頭で想像力を働かせられるような職場、企業体こそが今、求められていると思います。

私は、かつて「人らしく生きよう」の感想の中で、「…分割民営化が既定路線となった末期の国鉄では、1日あたり2万本近い列車が走っていたが、毎日そのほとんどが「定時到着」と言う驚くべき成績を誇っていた。…(中略)…優秀な職員、優れた技術、そしてそれらの「財産」をもっとも有効的に生かしうる経営体…それらのどのひとつが欠けてもこうした偉業は不可能である」と書きましたが、その考えは今も全く変わっていません。

利益優先、カネカネカネの「JR体制」の破綻を決定づけた事故…今回の事故は、後世の歴史家によってそのように書き記される事故になることは間違いないと思います。 それにしては、あまりにも痛ましく、大きすぎる犠牲だと思いますが…。


Created byStaff. Created on 2005-04-28 11:51:53 / Last modified on 2006-05-16 17:44:52 Copyright: Default

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