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東京高裁が逆転敗訴判決!反リストラ産経労・松沢委員長の不当解雇を容認!

03年2月25日 反リストラ産経労

 東京高裁(第8民事部=村上敬一裁判長)は、25日、反リストラ産経労(労働組合・反 リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)の松沢弘委員長が産経新聞グループの日本 工業新聞社(以下日工、社長=山下幸秀・元産経新聞社常務、東京都千代田区大手町1の 7の2)を相手取って起こした社員としての地位確認等を求める裁判の控訴審で、松沢委 員長の懲戒解雇を無効とした東京地裁判決を取り消し、懲戒解雇を容認する逆転不当判決 を言い渡した。松沢委員長は「高裁の判決は、憲法等に違反しており、到底受け入れられ ない。直ちに上告して最高裁の判断を仰ぎたい」との方針を表明した。

 村上敬一裁判長は、02年5月31日に東京地裁民事第19部(山口幸雄裁判長)が下し た「懲戒解雇処分は適正手続きに違反し、解雇権濫用に当たるので無効だ。賃金・賞与等 を支払え」との判決を覆し、松沢委員長の懲戒解雇処分は妥当との判断を示した。会社側 は東京都地方労働委員会(都労委)や、地裁での和解勧告を一切拒否してきたのに加えて、 地裁判決で労組法の適合組合として認定された反リストラ産経労との団交も拒否している うえ、地裁判決直後の02年7月22日に、「地裁判決が最終的な確定判決においても維持 された場合のことを慮り、大事をとって同じ理由により、賞罰委員会の手続きをやり直す こととし、予備的に改めて懲戒解雇に付する」として、裁判結果の無意味化を狙った2次 解雇を強行してきた。高裁判決は、こうした会社側の無法ぶりを後押しするものとなって いる。

 村上敬一裁判長は、昨年の日経記者ホームページ閉鎖要求事件や、国鉄の民営化にとも なう採用差別の全動労事件で、相次いで超反動判決を連発している。全動労事件では「国 是の国鉄民営化に反対するものがJRに採用されないのは当然だ」との判断を示し、全労 働者の怒りを買っている。今回の松沢委員長不当解雇事件でも、村上敬一裁判長は、フジ テレビ=産経新聞側を上回りかねない事実の歪曲などのオンパレードで、最初から経営側 を勝たせようとの意図がありありとうかがえる内容だった。

 今回の反動判決は、村上敬一裁判長、水谷正俊裁判官、永谷典雄裁判官の3名の連名と なっている。

 松沢委員長は、日工論説委員在任中の94年1月10日、産経新聞グループの産経新聞社や 日本工業新聞社などのリストラに反対するマスコミ合同労組「反リストラ産経労」の結成 に参加、委員長に就任した。当初、反リストラ産経労には、産経新聞社、日本工業新聞社 の記者らを中心に他のマスコミ各社の記者ら約10人が加わっていた。その直後の同年2月1 日、新聞販売を担当する販売・開発局の所属で、支局員が1人しかおらず、通勤に往復約 5時間もかかる日工・千葉支局に、わざわざ専任支局長ポストを新設する形で不当配転さ れ、同年9月22日に理由も示されずに懲戒解雇された。同委員長は、反リストラ産経労を 通じて94年2月4日に、都労委に、不当配転の撤回と団交の開催などを求めて不当労働行為 の救済を申し立てていた。しかし、会社側は、反リストラ産経労の存在を認めず、団交要 求をすべて拒否したあげく、都労委が緊急提示した和解案をも無視して、同委員長の証言 が始まる直前に、懲戒解雇処分を強行した。都労委での審査中に、救済を申し立てた当事 者が解雇されたのは、ほとんど前例がない。また、産経新聞グループで、組合活動弾圧と しての懲戒解雇は、61年のいわゆる「産経残酷物語」の産経新聞社の事件以来33年ぶり。 日本工業新聞社では、如何なる理由であれ、過去に懲戒解雇されたケースは一度もない。

地裁は論説委員・支局長の組合員資格を認め、反リストラ産経労も労組法適合組合と認定

松沢委員長は、94年9月26日、反リストラ産経労を通じて、都労委に対し解雇取り消し の追加申し立てを行うとともに、95年5月19日、配転先の千葉支局がある千葉地裁に地位 保全の仮処分を申し立てた。仮処分では、会社側が異議をとなえたため、東京地裁に場を 移した。その後、松沢委員長は裁判官の指導に従って、本訴に切り替えることとし、96年 3月22日いったん申立を取り下げ、96年5月8日、東京地裁に改めて懲戒解雇の無効・社員 としての地位確認・賃金等の支払いを求める訴訟を起こした。

 松沢委員長は地裁、高裁の審理の中で、本件懲戒解雇について(1)松沢委員長の産経労組 時代の組合活動や、反リストラ産経労の結成とそこでの活動を嫌悪し、松沢委員長を職場 から排除しようとした不当労働行為であり、労組法7条1号(組合結成などを理由とする解 雇)と3号(組合結成・運営に対する支配介入)に違反する(2)会社側は松沢委員長の組合 員資格を否認する狙いで、不必要な「管理的業務」を捏造して押し付けようとし、問題解 決を図るために反リストラ産経労や松沢委員長が要求した団交をすべて拒否した(3)松沢委 員長は異動命令を拒否することなく千葉支局に赴任して勤務を続けており、業務命令書や 警告書を受け取った事実もなく、従って業務命令を拒否したこともないので、懲戒事由そ のものが存在しない(4)解雇通告書には解雇理由が一言も記されていなかったうえ、事前に 松沢委員長に対して弁明の機会が全く与えられず、松沢委員長の処分を決めた賞罰委員会 には、同委員会規程に反して、松沢委員長の処分を提起した販売・開発局長や、管理(労 務)担当常務ら事案の直接の関係者が加わるなど適正な手続きがとられなかったーなどの 理由を明示し「不当労働行為と解雇権の濫用にあたるので懲戒解雇処分は無効だ」と主張 した。

 会社側は、これに対して「松沢委員長は業務を拒否した」と反論、さらに「松沢委員長 は論説委員時代も千葉支局長のときも使用者の利益代表者であり、松沢委員長が加入する 反リストラ産経労は労組法上の組合でないばかりか、憲法上の組合としても認められな い」と強弁していたが、懲戒解雇事由に当たる業務拒否なるものも特定できず、憲法28条 及び、労組法で定められた労組の権利についても無理解ぶりをさらけだしていた。 東京地裁は、松沢委員長、会社側の双方に対して和解を勧告、2回にわたって和解交渉 が行われた。しかし、会社側が和解を一切拒否したため、交渉は打ちきりとなり、02年3 月25日に結審した。5月31日、地裁は「賞罰委員会には、管理担当常務、販売・開発局長 ら事案の直接の関係者が加わっており、賞罰委員会規程に違反している」として「重大な 手続き違反があり、解雇権を濫用したもので無効」と判示、会社側に対して賃金・賞与等 の支払いを命じ、それに関する仮執行も認めるなど、松沢委員長の請求を全て認める全面 勝訴判決を下した。また地裁判決は「論説委員も支局長も使用者の利益代表者であるとは いえない」として松沢委員長の労組法上の組合員資格を認定。反リストラ産経労について も「労働組合法上の労働組合と認めるのが相当である」として労組法の適合組合であると 認めた。ただ、不当労働行為については「本件解雇が松沢委員長の労働組合活動を決定的 動機としてされたものとして松沢委員長の労働組合活動の故にされたと推認することは困 難である」として、「決定的動機ではない」との理由から、「本件解雇が不当労働行為と して無効であるとすることはできない」と退けていた。

会社側は違法・無効な2次解雇を強行

 会社側は、地裁判決を不服として東京高裁に控訴するとともに、供託金を積んで賃金・ 賞与等の仮執行停止の申立を行った。さらに02年7月22日には、松沢委員長を自社の従業 員として認めないまま、「地裁判決が最終的な確定判決においても維持された場合のこと を慮り、大事をとって、予備的に同じ理由により、賞罰委員会の手続きをやり直すことと し、予備的に改めて懲戒解雇に付する」とし、賞罰委員会をやり直したと称して、違法・ 無効な2次解雇を強行した。これは、高裁、最高裁での会社側敗訴の事態に備えて、前も って裁判の意味をなくしてしまおうとする暴挙だった。高裁では、02年9月12日、11月7日、 12月19日の3回の公判が開かれて結審した。会社側が要請した証人は却下されており、証 人調べは全く行われていない。今回の高裁の不当判決は、敗訴に備えていた会社側の予測 をも超える不当なものとなっている。都労委では、45回にも及ぶ審問(証人調べ)が終了 し、都労委側の意向で「あっせん」に移行し、和解交渉が進められているが、会社側は、 和解を拒否し続けている。

補注1 産経新聞社と日工の関係

産経新聞グループは、産経新聞社が、日工と、大阪新聞社の2社を完全な支配系列下に置く形 で形成されていた。東京地裁判決も、争いのない事実として「日本工業新聞社は大阪新聞社と ともに、産経新聞社を中心とするいわゆる産経新聞グループに属している」と認定している。 このうち夕刊紙の大阪新聞は、販売不振のため、02年3月末で休刊となった。日工は本社の所在 地はもとより、新聞製作、印刷、販売店網、内線電話網など新聞業務に関するハード、ソフト の一切が、産経新聞社と共通の体制となっており、労組も産経労組に一本化されている。松沢 委員長が不当配転されていた日工千葉支局も、産経新聞千葉総局と同じ部屋の中にある。日工 は就業規則までもが、産経新聞社と全く同一のものとなっており、文字通り、産経新聞社の一 部門にすぎないのが実情だ。日工には人事部さえなく、人事や給与などは、産経新聞社の総務 局人事部が担当している。日工の東京本社は、東京サンケイビルの9、10、14階に産経新聞社と 同居している。松沢委員長も、日工と産経新聞社の取材・出稿体制が共通化されていた78年か ら86年まで産経新聞社の統合経済取材本部記者などを兼務していた。日工の取締役6人のうち、 3人が産経新聞社の現職局長やOBで占められている。山下幸秀社長は産経新聞社の元常務である。

補注2 「超御用」の産経労組と「産経残酷物語」

産経新聞社、日工、大阪新聞社の3社の全従業員が強制的に加入させられている、単一組合の 産経労組は、3社との間で、(1)スト権を放棄し、組合委員長は産経新聞社の取締役会に出席して 経営の執行機関である局長会の正式な構成員にもなる(2)昇給・賞与は会社側が全額考課査定す るーという、労使癒着を絵に描いたような、全く同一の労働協約を結んで、世にも希な「超御 用組合」ぶりを発揮している。ユニオンショップ制による除名=解雇という脅しの下に組合員 を縛り付けて、一切の批判を封じ込めたうえで、何度にもわたって繰り返されてきた「産経残 酷物語」に全面的に協力してきた。「産経残酷物語」とは、60年にスト権を放棄する「平和協 定」が締結された後、61年にはこれに反対した組合員らを大量に配転し、配転を拒否した産経 新聞社の組合員4人が懲戒解雇され、協定締結後2年間で900人の従業員が退職に追い込まれた事 件だ。これに続いて、76年には、「刷新3カ年計画」で、1800人の人員削減と大幅賃下げが打ち 出された。計画の実施中、産経労組委員長は経営者そのものである産経新聞社監査役に就任し た。この計画で800人の従業員が職場を追われた。94年にも、産経労組は日工を手始めとするリ ストラ合理化を全面的に受け入れた。さらに、95年7月には、労働協約に「選択退職制」を盛り 込み、産経新聞グループ全体を対象として、50歳以上の組合員の首切りを可能にする道を開い た。

補注3 反リストラ産経労の結成と松沢委員長への弾圧

松沢委員長は、71年に日本工業新聞社に記者として入社、同年産経労組に加盟して以来、執 行部の超御用路線に疑問を抱き、大会代議員、職場委員、選挙管理委員などをつとめながら良 心的な反対派として活動してきた。しかし、会社側は、松沢委員長が経済記者として優れた実 績をあげてきたにもかかわらず、その組合活動を嫌悪して、91年5月、論説委員会付編集委員と いうポストを新設して編集局から追放。92年2月には、論説委員にタナ上げする形で産経労組か らも追放した。松沢委員長は、産経新聞グループ全体のリストラ攻撃と闘うには、産経労組の 超御用組合路線と決別したうえで、企業のワクを越えた組織が必要と判断、94年1月10日、産経 新聞グループの仲間を中心に他のマスコミ労働者の参加も得て、マスコミ労働運動で初の合同 労組の形で反リストラ産経労を結成した。しかし、会社側は、組合結成後1カ月もたたない2月1 日、組合結成に報復して、松沢委員長を本社の仲間から引き離す狙いで、支局員が1人しかいな い販売・開発局所属の千葉支局に不当配転した。千葉支局には、それまで専任の支局長さえい なかった。新組合は、2月4日、不当配転の撤回と団交の開催を要求して、都労委に不当労働行 為の救済を申し立てた。これに対して会社側は、新組合の存在さえ認めようとしないで、20回 以上に及んだ団交要求を全て拒否した。さらに、松沢委員長の組合員資格に疑いを抱かせて、 都労委の審査を有利に運ぶ狙いで、ことさらな「管理的業務」なるものを捏造し、松沢委員長 に押しつけようとしてきた。松沢委員長は、それを拒否することなく、その都度、「団交で話 し合い、合意すればキチンと対処する」と対応したが、会社側は一切応じようとしなかった。 そのあげくに会社側は突然、「9月19日に賞罰委員会にかける」と通告。賞罰委員会には、松沢 委員長の処分を提起した販売・開発局長や、反リストラ産経労の弾圧に当たっていた管理担当 常務が委員として加わっていた。会社側は、委員会を僅か十数分で一方的に打ち切り、その日 のうちに、懲戒解雇を決めてしまった。審査の最中に不当労働行為の救済を申し立てた当事者 のクビが切られてしまうという異常事態に驚いた都労委が、「松沢委員長の解雇は絶対に避け る」として、急遽、和解案を提示したが、会社側は、これさえも無視した。

補注4 松沢弘委員長の略歴

 46年11月、横浜市生まれ。71年早稲田大学第一文学部仏文科卒、同年日本工業新聞社入社。 経済記者として、大蔵省、通産省、日銀のほか、化学、繊維・紙パルプ、エネルギー、鉄鋼、 電機業界などを担当。78年から86年まで産経新聞社記者を兼務。部次長(デスク)、編集委員、 論説委員(金融・財政担当)なども歴任。


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