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学生の権利をかちとろう!首都圏学生メーデー2026(4/26 午後 場所未定)
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2026/04/26 学生の権利をかちとろう!首都圏学生メーデー2026(4/26 午後 場所未定)

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#首都圏学生メーデー2026 開催告知】

 今年も #学生メーデー を4月26日に東京で開催することになりました!
 学生や院生、若い労働者のみなさんはメーデーに結集してください!!
 みんなで声を上げよう!!

学生の権利をかちとろう!学生メーデー
日時:4月26日(日)午後
開場:都内某所(調整中)
※今後の情報は随時発信いたします。

 首都圏学生メーデー2026 基調提起(仮)

 学生メーデーの再定義:透明化された「労働」と多様な生を可視化する

 今日、この場に集まった皆さんのなかには、「メーデー」という言葉に馴染みの薄い方もいらっしゃるかもしれません。
 かつては働く人々が自らの権利を掲げて街に出る日として広く知られていましたが、現代の日本では、その言葉も、そして「権利を求めて集まる」という光景そのものも、どこか過去のものとして扱われ、私たちの日常から遠ざけられてきたように感じます。
 しかし、だからこそ私たちは今、あえて「学生メーデー」という旗を掲げ、私たちの存在をこの社会に「可視化」させる必要があると考えています。
 私たちが考える「学生」とは、単に学校に通い、教えられるだけの受動的な存在ではありません。
 「知的労働」として、大学で日々の学習や研究に励むのみならず、生活のためにアルバイトという形で「労働」に従事し、卒業後には労働者として社会に参画していく主体を指します。
 さらに、今の大学には多様な背景を持つ学生がいます。
 企業で働きながらさらなる知を求めて学ぶ方、シングルマザーとして育児や家事という過酷なケア労働と学業を両立させている方、あるいは障害や病気があるといった幾重もの困難や「労働」を背負いながら、なんとか大学という場所に籍を置いている方々がいます。
 さらに、大学に在籍しているのは日本国籍を有する人だけではありません。
 日本政府は、これまでに外国籍を有する留学生の受け入れも積極的に行ってきました。
 そういった留学生も含め、学生という存在は、常に複数の属性の結節点に立っています。
 それにもかかわらず、私たちの苦境や権利の侵害、労働について、「将来のための修行」や「自己責任」、あるいは単なる「社会に出る前の猶予期間(モラトリアム)」という言葉で透明化され、見えないものにされてきました。
 そこで、2026年の学生メーデーにおいて、私たちが大切にしたいのが、フェミニストで哲学者のサラ・アーメッドが提唱した「フェミニスト・キルジョイ(場の空気を壊す、水を差す人)」になるという実践です。
 不当な学費の高さ、守られるべき学生自治の形骸化、そして個人の脆さ(脆弱性)を無視して突き進む社会。
 今の日本社会に溢れる「フツー」は、大学生が3年生から就活をしなきゃいけない、けれども同時に単位も取らなきゃいけない、そして前提として高い入学金と学費を払わなきゃいけないことも、さらには首相の言葉や政府の姿勢に従って戦争に関与することさえも、全部全部「仕方がない」「フツー」のこととされてしまっています。
 しかし、本当にそうなのでしょうか?
 こうした「フツー」に対し、私たちが「おかしい」と声を上げることは、周囲から「せっかくの場の空気を乱す存在」や「これまでの秩序をかき乱す存在」として疎まれるかもしれません。
 しかし、誰かの犠牲の上に成り立つ「偽りの調和」や「秩序」を問い直し続けることこそが、今の私たちに必要な抵抗の形です。
 クィア理論やフェミニズムの実践が教えてくれるのは、既存の「当たり前」を疑い、排除されている人々、「私たち」の視点から、社会を問い直す勇気です。「フツー」を問い直し、その輪を広げていく必要があるのです。

 大学の自治と学生の権利:強まる介入と新自由主義への抵抗

 私たちの「学ぶ自由」は今、かつてない危機に瀕しています。
 日本学術会議法をめぐる動きや、憲法で保障された学問の自由・人権を軽視するような政策は、私たちの知的探求を根本から脅かすものです。
 特に近年、政府・財界による大学への介入は、国立大学法人法の改正や「国際卓越研究大学」といった制度を通じて、大学を国家の従属物にし、市場経済に組み込む方向に舵を切っています。
 大学は本来、経済的利益を第一に据える場所ではなく、人類全体の平和と発展に資する公共の空間であるはずです。
 しかし現実には、東京大学や中央大学をはじめとする各地の大学で大幅な学費の値上げが強行されています。
 その額は、およそ11万円という高額なものです。
 2025年9月には山口大学が授業料の値上げを発表しました。
 私立大学では、全体傾向として、2025年度には、約107校844学科が値上げを実施したとの報告があります。
 現在の日本において、学生が負う経済的負担はもはや「個人の努力」で解決できる範囲を大きく逸脱しています。
 日本学生支援機構(JASSO)の統計によれば、今や大学生の約2.7人に1人が何らかの貸与型奨学金を利用しており、学びの場は「借金」という名の負債によって支えられているのが現実です。
 その負債額は年々深刻さを増しています。
 2023年度末時点のデータでは、学部生の平均貸与総額、つまり卒業時に背負う借入残高は約313万円に達しました。
 かつての調査では約295万円であったものが、学費の上昇に連動するように増加の一途を辿っています。
 さらに、専門性を深める大学院生ともなれば、その平均額は約378万円にまで膨れ上がります。
 日々の生活を支えるための貸与月額も、決して十分なものではありません。
 無利子の「第一種」で平均約5.9万円、有利子の「第二種」では平均約7.3万円借りることができますが、これだけで学費と都心での生活費を賄うことは不可能です。
 その結果、多くの学生がこの借金に加えてアルバイトという重労働を掛け持ちすることを強いられています。
 卒業と同時に数百万単位の負債を抱え、その返済のために労働市場へと追い立てられる。
 この構造こそが、私たちが「学生は労働の主体である」と訴え、この理不尽なシステムを可視化しなければならないと考える切実な根拠なのです。
 卒業と同時に多額の負債を抱え、その返済のために労働市場へと追い立てられる。
 この構造自体が、学生の主体性を奪う大きな暴力です。
 こうした経済的圧迫のなかで、特にコロナ禍という未曾有の事態を経て、学業と生存を維持するために性産業という選択肢を選んだ学生たちがいます。
 私たちは、まず学生を労働に駆り立てる経済的圧迫そのものを打ち倒さなければなりません。
 しかし、それと同時に、長い歴史を通してセックスワークに対して「道徳的スティグマ」が押し付けられてきたことも無視してはなりません。
 そのようなスティグマは「セックスワークはワーク(労働)ではない」という言説を生み出してきただけでなく、セックスワークを特定の性と結びつけて、ジェンダー化する言説も生み出してきました。
 そのような言説も、私たちはキルジョイしていく必要があります。
 特定の労働を「不道徳」として切り捨てる論理をここで許してしまうことは、在学中に強いられた労働だけでなく、大学を卒業した後にも待ち受ける性別賃金格差や、非二元的に生きる人々、障害や病気がある、などのあらゆる属性の人々を周辺化する過酷な労働環境を追認することと同義だからです。
 労働のあり方を選別・差別化する構造に、学生という立場から抗うことは、あらゆるジェンダー・セクシュアリティを持つ人々が尊厳を持って働ける未来を担保するための、極めて重要な実践なのです。
 また、大学という空間が「自治」や「自由」を標榜しながら、その足元でセクシュアルハラスメントを含めた数々のハラスメントを放置し、対応を蔑ろにしてきた現状も看過できません。
 被害を訴えた学生がさらなる二次被害に晒され、学問の継続を断念せざるを得ないケースが後を絶たないのは、大学が学生を尊重すべき権利の主体としてではなく、管理の対象、あるいは組織の評判を汚す「不都合な存在」としてしか見ていない証左です。
 こうした学内の抑圧構造に対し、私たちは沈黙することなく「水を差し(キルジョイし)」続ける必要があります。
 国際人権規約が定める高等教育の漸進的無償化の流れに逆行し、学生をアルバイト漬けにし、経済状況によって学ぶ権利が選別される状況は容認できません。
 さらに、博士課程支援における国籍要件設定のような、新たな「排除」の論理も持ち込まれています。
 博士課程における研究は、紛れもなく次世代の知を創造する「知的労働」です。
 しかし、そこでの経済的支援に国籍要件が課されることは、同じ研究環境で等しく労働を担っている仲間に対し、パスポートの色だけでその労働の価値に優劣をつける行為に他なりません。
 ここで私たちは、「日本の税金を使っているのだから、日本人に優先的に配分するのは当然だ」という、社会に蔓延する「フツー」の論理にも、強く水を差さなければなりません。
 こうした排外的な発想は、研究室という身近な空間にさえ、明白な階層と排除を作り出しています。
 留学生もまた、税金と高い学費を納め、この国の研究基盤を支える重要な労働主体です。
 もちろん、「国益」というものを超えた全世界における「学ぶ自由」のために私たちは差別への反対を表明しますが、現状の国籍を理由とした支援の線引きが、学生を「研究する権利を持つ者」と「単なる労働力」として使い分ける、極めて差別的な搾取の構造を露呈させていることも併せて批判したい点です。
 したがって、難民としてこの国に来た人々や、すでにこの社会で共に生活をしている朝鮮学校や大学校に通う人々に対する差別に対しても、私たちはNOを突きつけていく必要があります。
 私たちはフェミニスト・キルジョイの実践者として、この「排除の論理」を当たり前のこととして受け入れる空気を、内側から徹底的に解体していく必要があります。
 学業に関する決定のプロセスに当事者である学生の声が反映されないばかりか、抗議する学生に対して大学が警察権力を導入し、排除・弾圧するような姿勢を見せていることは、大学自らがその自律性を放棄していると言わざるを得ません。
 また、私たちの学びを圧迫しているのは大学の制度だけではありません。
 学生を資本主義の「部品」として急き立てる就職活動のあり方にも、強い疑念を抱かざるを得ません。
 3年生から始まる就職活動の早期化、自らの経験を企業が求める商品へと仕立て直す「ガクチカ」に象徴される就活システムは、学生を、企業が求める使用価値を生み出す商品として構築し、主体的に思考し、学ぶ時間を奪っています。
 大学がこのシステムを甘んじて受け入れていることについても問い直し続ける必要があります。
 学生メーデーの役割は、こうした「生活」と「学び」という労働を担う主体として、私たちが社会を批判的に捉える場を、目に見える形で作り出すことにあります。

 歴史に学び、世界への連帯を示す:過去から引き継ぐ問い

 私たちが向き合うべき課題は、大学のキャンパス内に留まりません。
 パレスチナでの虐殺に対し、世界の大学がアカデミックボイコットを含めた責任ある行動を求められているなかで、日本の大学の多くが沈黙を続けている現状を私たちは恥ずべきだと考えます。
 さらに、クィア理論やフェミニズムの視座から私たちが問い直すべきなのは、国家や社会が特定の身体や性をどのように管理し、貶めてきたかという構造です。
 「慰安婦」問題に象徴される、軍隊と性暴力が共犯関係となって人々の尊厳を奪った痛ましい歴史を、大学や学問はどのように記憶し、反省し続けていくのでしょうか。
 これは単なる「過去の出来事」ではありません。
 今日、日本政府は軍事予算を増加し、当初はイスラエル製攻撃型ドローンの導入を目指すことで(※2026年2月17日、豪州製の購入に変更との一報が入りました。2年にもわたるBDSアクションに参加したすべての人に敬意を表します)、イスラエルによるパレスチナ人へのジェノサイドに加担するだけでなく、沖縄に米軍基地を押し付け、自衛隊の配備も進めることで軍事化を進めています。
 私たちはイスラエルによるジェノサイドへの加担と、沖縄への構造的差別を止めなければなりません。
 そして、同時に、軍隊が引き起こす性暴力を他の性暴力と同様に批判しなければなりません。
 日本軍による組織的な性暴力の歴史を学ぶことは、軍隊が、そして国家が特定の身体や性を統制し、その尊厳を奪ってきた構造を批判的に捉え直すことであり、今を生きる私たちの規範や、暴力への向き合い方を根本から問うものです。
 軍事化と性的な身体の統制は今日も継続しています。
 そしてそれは、誰を「守るべき道徳的な学生」とし、誰を「排除してもよい不道徳な学生」とするかを選別する、現代の私たちの生存と労働をめぐる論理へと、地続きになっているのです。
 また、私たちは東アジアの平和についても沈黙してはなりません。
 かつて中国、台湾、そして朝鮮半島をも植民地化した歴史を持つ私たち日本こそが、台湾の自決権を尊重し、その平和を守る重い責任を負っています。
 今、台湾や沖縄が深刻な軍事的脅威にさらされているこの事態は、過去の日帝(大日本帝国)の侵略と、現在の沖縄に対する構造的差別が引き起こしているものであり、その責任は紛れもなく日本にあります。
 この歴史的・構造的な責任を直視し、軍事化に抗うことなしに、真の連帯を語ることはできません。
 「慰安婦」問題以外にも、日本の「開拓」や「近代化」の影で踏みにじられてきた歴史に、学問は深く加担してきました。
 アイヌモシリや琉球弧の植民地化に加え、先住民アイヌ・琉球の人々の遺骨を勝手に持ち出し、「研究資料」とすることで、人間としての尊厳を蔑ろにしてきた歴史に、大学機関は十分に向き合えていません。
 さらに、日本軍731部隊による人体実験の歴史や関東大震災における虐殺の記憶も忘却を強いられています。
 このような目を背けてはならない負の歴史を継承し、清算・反省していくことも、知的労働に携わる私たち学生の責務です。
 差別や排外言説が強まる今の日本社会において、属性や労働の形態によって誰かを排除することを許さない「開かれた場所」としての大学を取り戻さなければなりません。
 これらの問題に立ち向かうには、学生の間での団結が欠かせないものとなるでしょう。
 議論を行い、問い続け、実践するノウハウを共有することで、より公平な大学という空間──「小さな」社会が形成されていくと私たちは信じています。
 さらに、大学と社会が密接に関係していることを考えれば、学生と労働者、市民の間での連帯も必要ですし、それは「大きな」社会とも密接に繋がっています。
 したがって、私たちは現在の憲法9条の改悪を伴う、軍拡に突き進もうとする日本の世論に対してもNOを突きつける必要があります。過去の侵略と大戦の責任を省みない姿勢を批判し続けなければなりません。
 今日ここで挙げた問題は一部に過ぎません。
 本日の学生メーデーは、多彩な議論や提起を通じて、私たちが取り組むべき課題を発見し、共に理解を深めていく場です。
 私たちが一歩踏み出し、この社会を問い直し、「水を差す(キルジョイする)」ことから、新しい景色が見えてくると確信しています。
 共に声を上げ、この可視化のプロセスを歩んでいきましょう。
 2026年2月16日 首都圏学生メーデー2026 基調提起文責:唐井 梓

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