| 『黒川の女たち』上映会 松原文枝監督トーク(2026/1/10 14:30〜 新潟・長岡市) | |
| [MenuOn] Home | ニュース | イベント | ビデオ | キャンペーン | 韓国 | コラム | About | Help [login ] | |
2026/01/10 『黒川の女たち』上映会 松原文枝監督トーク(2026/1/10 14:30〜 新潟・長岡市)案内→https://x.gd/8p2G8https://x.gd/xpw6uE 『黒川の女たち』長岡上映と松原文枝監督トーク 日 時:2026年1月10日(土)14時30分〜 作品時間99分 ブルーレイ上映 ※上映後、松原文枝監督トーク *バリアフリー上映 会 場:アオーレ長岡 市民交流ホールA 〒940-0062 新潟県長岡市大手通1-4-10 JR「長岡駅」から徒歩3分 アクセス→https://x.gd/wkzVZ 地図→https://x.gd/POgO2 入場料: 前売 1200円 当日 1500円 障害者手帳、療育手帳をお持ちの方、学生(学生証を提示願います):500円 *プレイガイド アオーレ長岡西棟3階 ながおか市民協働センター(平日のみ) キャラメルママ(長岡市) みずすまし(三条市) シネ・ウインド(新潟市) 主 催:長岡アジア映画祭実行委員会! https://x.gd/WGyn1 連絡先: 電話 090-4520-4222 e-mail nagaokatsukurukai@gmail.com 後 援:長岡市 ※フードバンクながおかに寄贈できる家庭に眠る食品等をお持ちください。 松原文枝さん 1991年テレビ朝日入社。 政治部・経済部記者。 「ニュースステーション」「報道ステーション」ディレクター。 政治、選挙、憲法、エネルギー政策などを中心に報道。 2012年にチーフプロデューサー。 経済部長を経て2019年からイベント事業局戦略担当部長。 「独ワイマール憲法の教訓」でギャラクシー賞テレビ部門大賞。 「黒川の女たち」のベースとなった「史実刻む」(2019)がUS国際フィルム・ビデオ祭で銀賞。 ドキュメンタリー番組「ハマのドン」(2021、22)でテレメンタリー年度最優秀賞、放送人グランプリ優秀賞、World Media Festival銀賞など。 映画『ハマのドン』がキネマ旬報文化映画ベスト・テン第3位。 著書に「ハマのドン」(集英社新書)、映画『黒川の女たち』の詳細を描いた「刻印 黒川開拓団の女性たち」(KADOKAWA)。 『黒川の女たち』 語り:大竹しのぶ プロデューサー:江口英明 松原文枝 配給宣伝:太秦 製作著作:テレビ朝日 監督:松原文枝 2025年/99分/日本 公式HP:https://x.gd/iUK38 予告:https://x.gd/cwmPL 解説 記憶が歴史になる前に、未来へ遺す。 戦禍を生きた人々の証言 80年前の戦時下、国策のもと実施された満蒙開拓により、中国はるか満洲の地に渡った開拓団。 日本の敗戦が色濃くなる中、突如としてソ連軍が満洲に侵攻した。 守ってくれるはずの関東軍の姿もなく満蒙開拓団は過酷な状況に追い込まれ、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続けた末に息絶えた人も多かった。 そんな中、岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るために、敵であるソ連軍に助けを求めた。 しかしその見返りは、数えで18歳以上の女性たちによる接待だった。 接待の意味すらわからないまま、女性たちは性の相手として差し出されたのだ。 帰国後、女性たちを待っていたのは労いではなく、差別と偏見の目。節操のない誹謗中傷。 同情から口を塞ぐ村の人々。 込み上げる怒りと恐怖を抑え、身をひそめる女性たち。 青春の時を過ごすはずだった行先は、多くの犠牲を出し今はどこにも存在しない国。 身も心も傷を負った女性たちの声はかき消され、この事実は長年伏せられてきた。 だが、黒川の女性たちは手を携えた。 したこと、されたこと、みてきたこと。 幾重にも重なる加害の事実と、犠牲の史実を封印させないために―。 物語 「私は昔のことだけは忘れません。満州で死ぬか生きるかを問うたんです」 今から10年ほど前、敗戦直後の満洲で起きた性暴力の実態を佐藤ハルエ、安江善子が自ら告白した。 当時、ソ連軍に差し出された女性は15人。 数えで18歳以上の未婚女性が犠牲となった。 今はどこにもない国、満洲国。 岐阜県にある白川町黒川からも佐藤ハルエ、安江善子を含む650人余りの人々が黒川開拓団として海を渡り、丸5年その国で生活を送った。 「満州にいる時より帰国してからの方が悲しかった」 性接待の犠牲を払いながらも敗戦から1年、黒川開拓団の人々は帰国した。 しかし、帰国した女性たちを待ち受けていたのは差別と偏見の目。 二重の苦しみに追い込まれ佐藤ハルエは、故郷を離れるしかなく、未開の地・ひるがのをゼロから開墾し借金をして酪農を始めた。 安江玲子は黒川を離れ東京に。 夜も眠れない毎日が続いた。 水野たづは、決して口外することはなかった。 それぞれが思いを抱え、それでもこの思いを口にすることなく、時に性接待の犠牲にあった女性たちのみで集まり涙をこぼした。 そんな日々が続いた中、2013年満蒙開拓記念館で行われた「語り部の会」で佐藤ハルエと安江善子が、性暴力にあったことを公の場で明かした。 彼女たちの勇気ある告白に、今度は、世代を超えて女性たちが連帯した。 彼女たちの犠牲を史実として残す。 戦後70余年、黒川の鎮守の森に碑文が建てられ、その歴史が公に刻まれることとなった。 戦後80年の時を経て、女性たちに大きな変化をもたらした。 過去に向き合うこと、それは尊厳の回復にもつながることだった。 | |