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Document nagoya200404
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名古屋コラム

郵政首切り25年・名古屋哲一の月刊エッセイ

 ウリふたつの「免職者」と闘争団

ウリ二つ以上にボクと完璧にそっくりの、同じ考えで書かれている文を見た。こんな偶然もあるんだ。国鉄闘争共闘会議発行「がんばれ闘争団、ともにGO!」4月号の「争議を闘う人々」の欄にその文はあった。そして筆者は、これまた偶然にもボクと同じ4・28免職者だったばかりではなく、なんとなんと、姓名までもが同じであったのだ。

今回は「4・28免職者と鉄建公団訴訟原告団」と題するこの文を、筆者の許可を得て転載することにした(「手抜き原稿」との批判がなされたとしたら、それは正しい)。 

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 闘う国労闘争団と郵政4・28免職者のボクらとは良く似ている。だが、国労本部の役員の多くと全逓本部役員とがウリ二つに似ているのにはかなわない。首切りされた側は何らかの事は生きている以上考えもするが、首切りした者へスリ寄って自身の利益さえ得られるなら後は野となれ山となれの側は、何も考えないからだ。何も考えないならば、違いの生まれようがない。ウリ二つになる必然性がある。何も考えないならば、首切られた者に対し、組合からも首切りしたり処分をしたりの残酷非道ができるようになるわけだ。

 首切られた側の要求は、実に些細な慎ましやかなことだ。「よ〜く考えみよう」とか正義の道へ舞い戻れとかの、無理な注文はしない。とりあえずは、職場復帰とか年金受給とかの切実な望みを閉ざしてしまう、そのような邪魔だけはしないでくれと要求しているにすぎない。せめて、最低限の民主主義とか世の常識の範囲とかを守ってくれと言っているにすぎない。何てボクらはケナゲナ人でしょうと、ボクは思うのだ。

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今年4月28日、4・28反処分25周年一日行動を4・28ネットは闘い、夕方には文京シビックセンターで決起集会を行う。

 17年前の国鉄分割民営首切りよりも8年早い四半世紀前の1979年、61人の首切りを含む8183人への処分が、郵政省より出された。78年年末から全国の郵便局で全逓18万人組合員が「反マル生越年闘争」を闘ったことへの報復処分だった。

 マル生という名の、差別と人権否定=合理化と組合つぶし施策がそれまで延々17年間も続き、自死者も200人を越えた。75年国労の8日間ストライキを中心にした「スト権スト」の敗北から3年、「権利の全逓」のこの闘いは、総評労働運動最後の全国的大衆闘争ともなってしまった。

 4・28処分は、労働運動史上初めて、闘いを指導した組合役員よりも指導された一般組合員へ免職などの重い処分を科した。これは団結権否定でもある酷い処分であり、「いつ自分が首になるかもしれない」恐れを現場にもたらした。しかも、4・28処分から半年後、全逓本部はマル生差別を容認する「10・28労使協調確認」を現場には内緒で当局と結んでしまい、「組合からも見捨てられる」恐怖と組合不信とを増幅させた。

 それから10年間の当局の威を借る本部と現場の攻防の後、「物言えば唇寂し」の職場状況が生まれ、89年、総評解体=連合誕生へと至った。郵政当局というよりも自民党政府による4・28処分は、その思惑通り「労線の右寄り統一」を現実化した。だが、全労連の他に、政府の思惑を逸脱した全労協も国労を中軸に結成されたのだ。また労線再編後には政治再編、そして今日のイラク派兵=憲法改悪へと奴らのプランは進行中だ。

 91年、全逓本部は「喉に刺さった遂げ」を抜こうと、「当局と話はできている。提訴を取り下げて郵政採用試験を受験しろ」と免職者へ脅しも含めて指令、受験した者全員が不合格になるも抗議の声一つあげることもせず、反処分闘争の幕引きを計り4・28免職者の組合員資格を奪った。本部のこの嘘とペテンは、免職者4人が原告となった「組合員資格継続裁判」の98年最高裁・原告全面勝利判決で指弾された。しかしその後も、実質的な組合員権行使を妨害する等々をし続け、マル生合理化提案を組合から当局へ提案する等々をし続け、今年6月大会では「全逓」の名も変更して名実共に変質を完成、当局のマル生施策で作られた第二組合=全郵政と近々合併する予定だ。

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 今、戦後労働運動の総括が必要だと思う。政府は民間大手労組を手なずけた後、官公労へ襲いかかった。1970年代初頭のマル生攻撃に、全電通は敗北。国労は「勝利」。現場協議制度など比類ない権利を持つがその力を企業内のみでしか行使せず、73年ストでの上尾暴動は利用者という名の地域労働者・市民からの反発を明らかにした。全逓は「半分勝利、半分敗北」で、70年代いっぱい職場での管理者との攻防を続けた。政府は79年4・28処分で全逓をおとなしくさせ、続いていよいよ本丸の国労へアタック、修善寺大会で一線を守った国労へ87年2月16日の一度目の首切り、90年の1047名首切りと続き、2000年には「四党合意」を持ち出した。いずれも、ヤクザよりメチャクチャな違法無法なやり方でだった。

 政府が本気になって潰しにかかってきたとき、全逓一家主義も国労一家主義も、適度に闘い適度に妥協して話をまとめる民同・総評労働運動のあり方では対応できなかった。本部の責任追及と言うよりも、ピラミッド型の上意下達的な組織のあり方、一人一人の自立・自発性に基づいた連帯を育めない団結の質、そして企業組合主義を問い直したい。

この間の闘いで今までになかった様々な積極的要素も生まれている。闘争団の労働者自主生産活動や村起こしや協同倶楽部等、交通政策の提案や郵政民営化への「私たちの郵政事業論(郵政全労協)」などの対案戦略等、ILOや各国労働者との国際交流や「人らしく生きよう」の海外上映等、郵政非常勤・下請け労働者との連携や高崎の交通ユニオン結成等、内ゲバ主義・セクト主義に反対する事によってのみ成り立つ所属組合・ナショナルセンターを越えた幅広い統一戦線への歩み等々。

 本部が見捨ててくれたおかげで自立自闘の新しい踏み出しが可能になった側面もある。同じ「国家による不当労働行為」である首切りに、ボクら「可哀想な」免職者と闘争団とは、共に立ち向かっていくわけなのだ。

                       名古屋哲一(郵政4・28ネット)

郵政九州労組・郵政近畿労組吹田千里支部「機関紙4月末号」掲載

*タイトルはレイバーネット編集部/今回より首切り25年にタイトルを変えました


Created byStaff. Created on 2005-09-04 20:41:21 / Last modified on 2005-09-29 06:44:54 Copyright: Default

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