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●6・29<原発再稼働反対/官邸前デモ>に参加して 2012年7月5日

ツイッターデモから学んだこと

          木下昌明

 6月29日、官邸前での原発再稼働反対のデモに、わたしも参加した。こんなに解放された気分に浸ったデモは久しぶりだった。

 わたしは6時30分ごろ自転車で現場に到着した。その頃はまだ明るく、人々は歩道にあふれていたが、車道は十分通れた。背中に白字で「平和」と大書したハッピを着た男女6、7人が自転車部隊となって走っていた。わたしはその後ろをついていったが、途中で自転車置き場をさがすために官邸前の坂道をおりていくと、いままで抗議していたとおぼしき人々が、つぎつぎと帰路についているではないか。まだ、はじまったばかりなのに、もう帰るのだろうか。

 わたしは自転車を置いて、交差点で反対の声を上げる人々をビデオで撮りはじめた。これまでのデモでは、あまり見たことのない老若男女がぎっしり歩道を埋めつくしていて、移動するのも精いっぱいだった。そのわたしの足もとを何かがつつくので、ふり返ると幼児をのせたベビーカーを若い母親が押しているのだ。こんな人込みのなかを大丈夫かな、と思って周りに目をやると、小さい女の子を連れている母親もいた。なかには父親の手に引かれた男の子が人の壁に向かって「再稼働反対!」と黄色い声をあげているではないか。塀にそって、若い勤め帰りの女性たちも立って叫んでいた。わたしのような白髪もかなりいた。人いきれで汗びっしょりになった。

 官邸とは反対の坂道には、警察の装甲車が何台も横付けにされていた。が、暗くなるにしたがって坂の下から人波が押し寄せてきて、ついに車両は1台また1台と撤退しはじめた。その跡を濁流のように人波が埋めつくし、わたしはやっとのことで中央分離帯に上がり、その光景をながめることができた。と、わたしの横に“料亭のおかみ”かと思うような、夏の着物姿の婦人がいて、彼女はやおら日傘を開くと、大きな白い布切れを取りだして傘の先端にぶら下げはじめる。それはどくろマークの絵だった。家で手作りしたものらしい。その傘を高く掲げて、今度は人々の反対の声に合わせて、傘を上下に振りはじめる。

 こんなに大勢が押しよせるデモは何年ぶりだろうか? 青春時代の記憶がよみがえってきた。1960年代、いろいろな政治集会があり、よくデモに出かけた。ベトナム反戦では、フランスデモもした。見ず知らずの人と手をつなぎ道路いっぱいに広がりながら歩くのだ。国会前のデモにも参加したが、そのときは、青い菜っ葉服の国鉄労働者がジグザグデモをする長い列の後ろにくっていて走りまわった。あのときの高揚した気分をいま思い起こした。

 その後の70年代前後では、大学生のデモによく出くわしたが、そのときは、もっぱらただの見物人・やじ馬にすぎなかった。有名な“新宿騒乱”のときはデモ隊に巻きこまれ、ホームや地下道を逃げまどった。学生たちは竹竿や石つぶてを使うようになった。そのたたかいは、機動隊とやり合うだけでなく、学生同士・セクト同士の殺し合いにまでエスカレートした。暴力が暴力を生むという、このマイナスの歴史は、やがて人々の心に深い傷を残して消えていった。その後のデモといえば、少数の集団による“パレード”と呼ばれる大人しいデモに変わっていった。

 ところが、この官邸前の抗議行動はどうか。わたしには、これがこれまでの抗議行動とは質的に違っているように思えた。

 どう違うか――まず、若者同士のツイッターからはじまったということ。これがネット時代の特徴だ。はじめは300人だったものが、週を追うごとにふえ、主催者発表でついに20万人にのぼったという。この数の多さについてはマユツバものと批判する人もいるが、わたしはそれに近い数の人々がきていたかもと思った。自転車でうろうろしているあいだに、途中で帰る人が多かったことと、明らかにデモ参加者という格好の中高年が目についたことなどからの判断だが……。

 違いの第2は――労組などの組織動員が主軸の、政党や組合の幹部や文化人が演壇で挨拶したあと行動にうつる、といった類のセレモニー形式とは無縁だったことだ。それは官邸前集会の目的が、一に「原発再稼働反対」を一人ひとりが声を大にして、野田首相をはじめ政治家たちに直接訴えることにあったからである。集会は、呼びかけに応じて個人個人がみずからの意志で参加することに比重がおかれていた――つまり自発性を重視していた。それをよく表していたのは、坂道をのぼってきた1枚の横長のプラカードだった。そこには「人々の声を聴け」と大書してあった。そういう運動スタイルの気楽さゆえに、“料亭のおかみ”さんやベビーカーの母親や男の子やハイヒールの娘さんも参加できた。基本は「いのち」の問題で、誰もがやむにやまれず「声」を上げるためにやってきたという集会だった。

 自分の足で歩き、自分の目でみて、自分の声を発する――ここから出発するしかない。このことの大切さを教えてくれたのが、こんどの集まりだった。これによって、一人では口にできなかった言葉を、権力に向かって解き放つ――そうすることで生きる自信もわいてくる。わたしたちは、あまりにも長く沈黙してきた。

 また、この集会が6時から8時までという時間制限をしたのもよかった。しかし、さあ、いよいよこれからだと思った7時45分になったとき、突然、女性の声で、冷水をあびせるように、抗議行動の収束宣言が行われた。それは以下のようなものだった。

 「――きょうの抗議は終わりにします」といったあと、「わたしたちが恐れているのは急激に人数がふくれて対応できなくなったこと、ここで事故や暴動みたいになっても原発は止まりません。10万人くらいでは原発は止まらない。大事なのは大きなうねりをつくることなのです。この人数では政府を打倒できるわけがないんです。だからきょうはいったん退去しましょう。混乱を起こし事故を起こすと反原発のイメージを悪くします。それをマスコミにいわれることはマイナスになります」云々と。そして、「いまわたしの話したことに賛成の方は手を挙げてください」と。これを聞いて反対の声を上げる者もいたが、多くの人々が一斉に手を挙げた。

 彼女の切迫した声を聞いて、わたしは深く感動した。主催者の冷静な対応に敬意を表したい。このときのシーンがネットに流れた。この映像もよかった。「三分ビデオ」であれば大賞ものだ。

 わたしは最初、この女性の発言に「なんで!?」と驚いたが、彼女の話を聞いているうちに、そうなのだと納得できた。主催者側は、参加者の多さに酔うことなく、そのデモの性格、その目的や限界を把握していたから、人数の多さだけで満足しないで、次につなげる運動の持続性を強く訴えることができた。わたしは、彼女の発言に新しい運動の萌芽をよみとった。民衆の側は運動を継続し拡大させ、精神をきたえ、たたかいのなかで展望を切りひらいていかねばならない。それにはもっと時間が必要だろう。

 このあと、わたしは『サンデー毎日』7月15日号の「『ツイッターデモ』って何だ」というルポ記事をよんだ。これにも共感した。そこでは当日、その抗議行動の模様と、そこに参加した人々の意見が収められていた。また、大手メディアがこれまでツイッターデモをなぜ黙殺していたかについても、新聞社のデスクなどから話をきいていておもしろかった。記事には、たんに広告がらみだからという問題ではなく、取材する記者の側の問題意識の希薄さが反省をこめて語られていた。その結果は、翌30日の新聞各社の朝刊をみるとわかる。『東京』の一面トップを筆頭に『朝日』『毎日』が、一面に大きく写真入りで取り上げていた。『日経』も社会面だけだが、小さい写真入りの記事を載せていた。しかし『読売』は、まったく無視して一行の記事さえなかった。これは、かつての社主・正力松太郎以来、一貫して原発を推進してきた新聞社らしい対応だった。そこには一片のジャーナリズム精神もなかった。

 なお、『サンデー毎日』の記事は、デモ問題に詳しい五野井郁夫という大学准教授の解説でしめくくっているが、これもよかった。

「10万人を超える人々が暴徒化せず、整然と言葉で抗議した。一人の逮捕者も出なかった。非暴力的で安全であることが大きな特徴です。この抗議行動の体験は確実に意味を持つ。5〜10年後の政治に影響を与え、より賢い市民をつくる場になるはずです」

 わたしたちは――世界中のオキュパイ運動の影響をうけて、ようやく99%の「賢い市民」として、この世の中を変えるための運動の出発点についた。あのいまわしい戦後の暴力礼賛のたたかいの轍を、二度とふんではならない――と思った。

*写真は6月29日の官邸前


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