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LNJ Logo 飛幡祐規 パリの窓から・15回
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  第15回・2011年2月13日掲載  

アラブの春ーチュニジアとエジプトの革命と民衆の力

 

 チュニジアにつづきエジプトで起きた民衆革命、ヨルダンやイエメンなどアラブ世界に波及しつつある震動をヨーロッパから追いながら、いま歴史が動いているのを感じる。2001年の9.11連続テロ以降、ブッシュ大統領のアメリカ合衆国が圧倒的な軍事力と資本によって国際社会に押しつけた不自由な世界ーー自分と異なる人々や文化を危険なものとして疑い、敵視し、抑圧しようとした二元論の有害な嘘が暴かれ、崩れつつある。この動きが何をもたらすかはまだわからないが、世界が新しい時代に入ったのはたしかだ。めざましいと感じた点をいくつか記しておきたい。

 まず、チュニジアとエジプトで起きている出来事は「革命」とよぶべきものだ(なぜ日本の主要メディアはこの言葉を使わないのか?)。予想できなかったありそうもないことが起きて、既成の秩序を覆すーーそれが革命だ。辞書には、「被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」と定義されている。両国では、被支配階級の民衆が非暴力の抗議運動によって、政権を打倒するにいたった。この革命過程が成功すれば、体制が根本的に変革されて民主主義国家が築かれるだろう。挫折したり、真の変革が起きずに別の勢力に権力を握られたりすることもあるが、革命の精髄は、思いもよらなかった民衆の行動が既成の体制を覆すという点にあると思う。その意味で、ベルリンの壁の崩壊につづく東欧諸国と旧ソ連の変革に匹敵する革命が、アラブ世界で始まったといえるのではないだろうか。

 これまで、いわゆる西欧先進国(自由世界)では、テロとイスラム原理主義の脅威を防ぐためには、アラブ諸国の強権的あるいは独裁政権と協力し、その反民主主義的統治にも目をつぶる以外に道はないという理論が信じられ、実践されてきた。つまり、アラブ国家にはイスラム原理主義か強権的政権のどちらかしかありえない、アラブ人は民主主義国家を建設できないという考え(偏見)が信じられていたのだ。ところが、チュニジアとエジプトで起きたことはその理論をくつがえすものである。これらの専制政権は、イスラム原理主義と闘うという名目のもとに、ムスリムの組織に激しい弾圧を加え、運動家を投獄し拷問にかけてきた(殺された人も多い)。その弾圧はブッシュの戦争と同様、テロを防ぐことはできなかった。むしろ、合法的な言論・運動の場を失い、不当な弾圧を受けたことにより、一部のイスラム運動はますます過激化したのではないだろうか? 

 チュニジアとエジプトでの民衆デモの映像や報道を見ればわかるが、蜂起した人々の大多数は宗教団体に属さない市民であり、抗議運動においてチュニジアのエンナーダとエジプトのムスリム同胞団が担った役割はとるにたりない。双方とも非宗教の民衆革命といえるのに、イラン革命のような宗教勢力が擡頭するのを怖れる声がただちに上がった。この恐怖も、原理主義の脅威という強迫観念(ほとんど妄想)が生み出したものである。

 チュニジアでは、ベンアリの逃亡後もデモをつづけ、旧与党RDC勢力の排除を要求した民衆の圧力によって、新たな民主政治と社会をめざす改革が始まった。中心となる強力な党やリーダーは存在せず、旧反政権派の党や労働組合、市民団体、さまざまな人々がこの民主主義革命を進めている。彼らは非暴力の抗議デモによってRDCの解散をとりつけ、暫定政府が任命した旧勢力の知事たちを退陣させた。チュニジア市民はイスラム原理主義を怖れることなく、エンナーダが政治に参加するのは当然だと考える。トルコの与党AKP(公正発展党)のような、民主的イスラム政党になる可能性が高いと見ているからだ。

 エジプトでは、辞任を拒むムバラク大統領が任命した暫定政府(軍の高官が中心)と、タハリール(「解放」)広場に陣取った反政権派の民衆のあいだで、抗争がつづいた。1月25日に始まった抗議デモでは、2008年に生まれた「4月6日運動」をはじめ、ソーシャルメディアをとおした若者たちの運動が大きな役割をはたした。物価高騰と高い失業率、一部の特権階層による富の強奪、自由の剥奪、弾圧、腐敗政治への怒りが、さまざまな階層の人々を町に繰り出させた。ムスリム同胞団は途中からこの抗議運動に加わったが、中心的な存在ではない。社会のさまざまな分野や階層に影響力をもつといわれるムスリム同胞団は、この先、民主化が実現して公正な選挙が行われたとき、25%くらいの支持率を得るだろうと予測されている。

 したがって、イスラムに対する妄想的恐怖など捨てて注目すべきは、チュニジアとエジプトの民衆が示した成熟さ、民主主義的な政治感覚である。非暴力の抗議運動を警察に弾圧され、二百人以上の市民が殺されたたチュニジアでは、ベンアリ失墜後に旧勢力への報復リンチはまったく行われなかった。

 エジプトでは、ムバラク旧大統領がベンアリの二の舞を踏むまいと、2月2日に「親ムバラク派」と称する暴漢(主に政権に雇われた貧困層や警察官)をタハリール広場の反政権派に対して放ち、民衆に恐怖を植えつけて分断しようとした。抗議運動がつづいた18日間の死者は三百人以上にのぼるといわれ、多数の市民が負傷し、逮捕・監禁された。しかし、暴挙を受けても彼らは自由の象徴となった広場から離れず、自警団を組織して混乱を阻止した。広場では、携帯電話の充電、水・食料の配給、ゴミの処理、掃除などが自治によってオーガナイズされ、負傷者はボランティアの医者・看護士によって無料で治療された。ソーシャルメディアを駆使する若者とイスラム教徒、コプト(エジプトのキリスト教徒)、労働者、医者、弁護士、教師などさまざまな職業と階層の人々が共生し、議論をたたかわせ、力を合わせ、助け合った。途中から家族連れや女性も大勢運動に参加し、男女を分離しようとした宗教者は一笑に付された。他者を尊重する寛容な民主主義の理想が実践されたのだ。ムバラク辞任の後に、彼らは広場の片づけと清掃を行った。

 チュニジアとエジプトの民衆は、焼身自殺した同胞の無に帰された存在と屈辱感を自らに重ね、長年の不正な政治にこれ以上我慢はできないと立ち上がった。彼らが求めるのは自由と公正な社会ーー民主主義の理想であり、人らしく生きること、つまり人間としての尊厳である。抗議運動が広がり、大勢の人が同じ理想と希望を抱いているのを実感した彼らは、恐怖から解放された強靱な集団になった。そして、非暴力の市民に催涙弾や棍棒ばかりか実弾で応酬する政権に対して、死も怖れずに立ち向かった。共通の理想と希望のもとに行動する人々は、連帯によって、個々の限られた能力を超えた大きな力を発揮する。わたしたちはいくつかの社会運動の中にそれを垣間見てきたが、チュニジアとエジプトの民衆はまさにその力を示した。革命の過程で民衆は暴徒と化すこともあるが、ふだん抑圧されていた尊厳をとり戻し、高い倫理性を発揮する可能性をもつのである。理想と希望を信じて連帯する人間は、自由と尊厳をとり戻して新たな社会を切り開くことができるーーアラブの民衆が全世界に示したこの大きな教訓を、心に刻みたい。

 この可能性は特別な時空間の出現がもたらしたものであり、民主主義社会を築くこれからの長い道のりと困難の中で、タハリール広場の理想世界を普遍化するのは難しいだろう。しかし、自分たちの手で共に自由を獲得した経験と自信は、人々の大きなよりどころとなるのではないだろうか。

 むろん、ふたつの民衆革命は軍隊の支持なしには達成されなかった。チュニジアの軍隊は警察より弱小の機構だったが、早い段階で軍隊が民衆の側につき、独裁者の追放を促した。エジプトでは、1952年の自由将校団のクーデター(王朝打倒)以来、軍隊は常に政権と密接な関係にあったが(ムバラクも軍出身)、この強力な軍隊の態度が決め手となった。「中立」(2月2日の暴挙は傍観)を保っていた軍隊は結局、民衆に銃を向けることを拒んで、ムバラクに辞任をせまったということらしい。それ以前から、タハリール広場などで反政権派と兵士たちの友好関係が見られたが、多くの若い兵士たちは反政権派に親近感をもち、独裁者に対する反感を共有していたのかもしれない。また、ムバラク辞任の数日前から各地でストが始まり、ゼネストが懸念され始めていた。こうした状況で全権を握った軍最高評議会は、「自由で民主的な国家を築くために、選挙による新しい市民政権の準備をする平和的な移行」を約束している。

 エジプトの場合も、ソーシャルメディアとアルジャジーラ衛星放送が担った役割は大きい。ムバラク政権は一時、インターネットと携帯電話の電波を切り、アルジャジーラ放送を禁止しようとしたほどだ(同時期に数十人の外国人記者が拘束され、機材を没収されたりした)。今後、強権的政権がもっとも怖れるのはインターネットだろう。中国はただちに「エジプト」という単語をブロックした。したがって、エジプト・ツアーをキャンセルしなかったのは中国人観光客だけだったというが、笑うに笑えない話である。

 思いもよらなかったアラブの民衆の蜂起(イエメン、ヨルダン、アルジェリアでも抗議デモが起きている)に対して、先進国諸政府の対応は鈍かった。チュニジアのときにすばやく反応したアメリカ合衆国も、エジプトについてはあたふたした感がある。30年来の中東外交の重要な同盟国であるエジプトの軍隊に、アメリカは年間13億ドルも出資している(イスラエルと平和条約を結んだエジプトが、イスラエルに出兵しないための援助)。共和党はもとより、オバマ政権内でも地域の「安定」を危惧する意見(つまりムバラク支持)があったという。しかし、2009年6月4日の「カイロ演説」で明確にブッシュ政権とのちがいを強調したオバマ大統領は結局、民主主義を求める反政権派を支持した。就任以来、オバマに託された希望や期待は裏切られることもままあったが、エジプトの民衆を称えたオバマの2月11日の演説はすばらしかった。

 チュニジアとエジプト革命の映像を何日もつづけて見た人には、その息吹が感じられただろう。ブッシュの戦争によっては当然もたらされなかった民主主義を、アラブの民衆が自分たちで築き始めたのだ。その波動は、世界のあちこちに伝わっていくような気がする。

 2011.2.12 飛幡祐規(たかはたゆうき)

*写真=日本の新聞報道(レイバーネット編集部)


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