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第7回・「墜ちた検察」トップの暗い過去が見えてきた!

 厚生労働省を舞台にした障害者郵便の不正利用事件で、同省の女性キャリア(国家公務員擬鏤邯魁禅貍綉蘓試験採用者)の星とまで言われた村木厚子・元局長に対し、大阪地裁は9月10日、無罪の判決を言い渡した。

公判では、検察側が申請した証拠のすべてが採用されず、検察官は裁判官から取り調べのメモさえ取っていないことを問い詰められた。検察官の質問に対して傍聴席から失笑が上がる場面すらあったという。そこには、「有罪率99%」「泣く子も黙る」とされ、「逮捕されれば無罪では戻ってこられない」とまで言われた昔日の検察の権威などみじんもない。

証拠を却下され、丸裸にされた特捜。傍聴席から失笑をもって迎えられた検事たち。粉々に打ち砕かれた「日本最強の捜査機関」の権威――。

2010年9月10日は、日本の犯罪捜査史上、長く記憶にとどめられるに違いない1日となった。それはまさに特捜が墜ちた日、検察の全面敗北の日とでも呼ぶべきものである。

検察が、「犯罪の事実を立証し、逮捕すべき者を逮捕する捜査機関」ではなく、「犯罪の事実を“創作”し、逮捕したい者を逮捕する捜査機関」であるという事実は、今、多くの日本国民の知るところとなった。

暴走する最強の国家権力はこの先どこに向かうのか。それを知るためには、検察庁と検事たちの人事、そして生態にスポットを当てるのが一番手っ取り早いだろう。そこで、当コラムは今回、現職の検事総長にスポットを当てることにする。そこから見えてきたものは、秘密警察まがいの動きで反対勢力の「思想調査」をしながら権力の階段を上り詰めた男の「暗い過去」だった――。

●「政治検察」のエキスパート  

 検事総長。それは全国の検察権力のトップに君臨する最高検察庁の長にして、全国検察のトップである。検察庁は法務省に設置された「特別の機関」として、法務大臣の指揮監督を受けるとされている。しかし実際には、法務省の事務方トップである事務次官の地位は、検事総長、東京高検検事長、大阪高検検事長、最高検次長検事に次ぐとされる。他省庁では事務方トップである事務次官は、法務省ではナンバー5に過ぎないのだ。実際には下部機関であるはずの検察庁が法務省を支配下に置き、法務行政を取り仕切ってきた。  2010年6月、検事総長に就いたのが大林宏である。2008年7月に札幌高検検事長から東京高検検事長に「栄転」した時点で、この人物の検事総長就任は既定路線となっていた。しかしこの人物こそ法務・検察のエースであると同時に、一貫して公安畑を歩いてきた「政治検察のエキスパート」というべき人物なのだ。

●元共産党員に「転向」迫るため送り込まれた大林

 1980年、中国で27年間にわたって消息不明となっていた伊藤律・元日本共産党政治局員が中国政府から秘密監禁を解かれ、電撃帰国するという出来事があった。伊藤は、戦前に転向歴がありながらも敗戦直後に再建された日本共産党内で徳田球一書記長に重用され、政治局員(現在の常任幹部会員)にまで駆け上がったが、その後、ゾルゲ事件〔注〕への関与を疑われて失脚した人物である。時折しも、共産主義者への弾圧を強めるGHQ当局の「逆コース」政策のなかで、弾圧を受けた指導部が極秘裏に出国し、海外から日本の革命運動を指導するために地下指導部を作った時期に当たる。実際には、彼らの渡航先は社会主義革命後の中国であり、北京に潜伏した彼らが作った地下指導部は「北京機関」と俗称された。伊藤の失脚は渡航後のことだったから、失脚後、伊藤の消息は中国でプッツリと途絶えてしまった。

その後の伊藤の消息については、スターリン時代のソ連で、同志であったはずの山本懸蔵氏を「密告」し、処刑という運命に陥れていた野坂参三・元日本共産党名誉議長(後に解任・除名)によって死亡説が流されていた。大部分の日本人は野坂による言説をそのまま受け止めていたから、伊藤の帰国は日本中に大きな衝撃を与えたのである。

ところで、GHQ当局から逮捕命令が出ていた当時の日本共産党幹部らにとって、正式な手続きを経て出国することはもとより不可能な状況にあったが、そうした事情を考慮しても、正規の手続きを経ない極秘渡航は出入国管理令(現在の出入国管理及び難民認定法)に違反しており、伊藤がそのまま帰国すれば逮捕されるおそれがあった(伊藤は海外にいたのだから時効は進行していなかった)。法務・検察側にも、社会主義日本の創建をめざした日本共産党の大幹部、ただで帰すものかという緊迫した空気がみなぎっていた。こうした政治状況のなかで、1980年、帰国する伊藤を出入国管理令違反容疑で取り調べるため、法務・検察が満を持して送り込んだ公安検事こそ、大林だったのである。

●「もう話してくださいよ」

『午後三時過ぎに迎賓館に着いた。…(中略)日本大使館の当局者はすでに来ていた。大使代理(?)の一等書記官大林宏、一等書記官渡辺、二等書記官某の三人。質問は大林が行い、渡辺が筆記して私に示し、答えさせる。…(中略)大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使う。少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだが、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時「外務省出仕」となっていたのである。つまり本物の公安検察官だったのだ』

『私はいっさい黙秘した。大林は隔離査問の場所が不明では帰国許可に必要な経歴書が成立しないと恫喝し、さらに「あなたは党から除名されたのだから、今さら党に義理を尽くさなくてもいいでしょう。もう話してくださいよ」と言った』

『この日はなぜか大林ら三人は定刻より少し遅れてやって来た。では経歴書に取りかかろうと切り出した時、大林は目玉を剥いて私を睨みつけた。まるで昔の思想検事そっくりで、これで大林は外交官ではないとはっきりわかった。…(中略)とにかく中国に来てからの経歴書を書け、と大林は命じた。その態度は昔特高が手記を書かせたのと同じやり方である。私の胸に憤怒が湧き、目が悪いので書けないと拒否した』

『私はなるべく早く帰国手続きをして旅券を出してほしいと要求したが、大林は、大使館としてできるだけ努力するが、何分本国政府の決定を待たねば、と言外に威嚇を含めた言い方をした。そして、そのあと言葉を改めて、現在は共産党をどう思っているかと訊ねてきた。いよいよ切り出してきたなと感じた。帰国許可を餌に「転向」を表明させようとする謀略にちがいない』

 これらは、伊藤が日本帰国後、記憶を頼りに執筆した『伊藤律 回想録〜北京幽閉二七年』からの引用である。大林が狡猾なやり方で伊藤に踏み絵を踏ませ、「二度目の転向」を図らせようとした様子が生々しいやりとりとともに克明に記されている。伊藤にはいくつかの記憶違いもあるが、概して記述は正確であり、その記憶力は驚異的である。戦前の転向のハンディを乗り越え、政治局員まで一気に昇進した伊藤の高い能力の一端がうかがえる。

●「共謀罪」推進のため暗躍した大林

 検察からいったん法務省に移り、法務官僚となってからも大林は「共謀罪」法案提出に向けて暗躍した。犯罪の予備を行っただけで「予防拘禁」が可能になる共謀罪法案は治安維持法の再来と言われ、労働運動や市民運動への弾圧につながる可能性の高い危険な法案だった。その共謀罪法案の国会審議の過程で、政府参考人として法案の説明を行ったのが、当時、法務省刑事局長の大林だった。彼は「労働組合、市民団体には共謀罪は適用しない」と答弁してなんとか野党の追及をかわそうとしたが、共謀罪が「目配せだけでも成立する」と答弁してしまったのである。共謀罪法案が「治安弾圧立法」であることが、図らずも露呈した瞬間だった。

共謀罪は、2007年夏の参議院選挙で当時の自公与党が大敗し、政権交代もあって法案成立のメドが立たなくなったため導入は一時お預けになっているが、大林ら法務・検察幹部による導入への模索は今も続いている。

●今こそ「暴走する権力」の監視を

 地検が起訴・不起訴の判断に迷ったときや、刑事裁判で敗訴し、控訴・上告するかどうかの判断に迷ったときは「上級庁」と相談して決める。その「上級庁」のトップがこんな男なのである。法務・検察がおかしくなるのも当然だろう。

 私たちは、治安機関である法務・検察への監視を強めることを真剣に考えなければならない。鈴木宗男・新党大地代表のように、保守層のなかにも「国策捜査」に異議を唱える人はたくさんいる。彼らとも連携しながら、暴走する権力をストップさせることが、いま求められている。

〔注〕ゾルゲ事件  戦前から戦時中にかけて日本を舞台とした国際スパイ事件。ナチス党員とソ連共産党員という二重の顔を持つ国際スパイ、リヒアルト・ゾルゲがドイツの新聞記者を装いながら、日本の軍事機密をソ連に通報していたとされる。ゾルゲは1944年11月、治安維持法違反容疑で逮捕・処刑されるが、伊藤律が特高に逮捕された際の自白から北林トモが逮捕され、北林の自白により沖縄出身の画家・宮城与徳が逮捕。さらに宮城の自白からゾルゲらの摘発に至った、という「伊藤律スパイ説」が信じられてきた。戦後になり、野坂参三らがこれを利用して伊藤を失脚させることに成功、伊藤は秘密監禁に追い込まれたが、ゾルゲらの摘発準備は伊藤の自白とは関係なく、特高によって伊藤逮捕前から始まっていたことが現在までの研究で明らかにされている。

(このコラムは、「地域と労働運動」第105号(2009年6月)掲載の拙稿を、現在の情勢に合わせて修正加筆したものです。)

<参考文献>
「日本の検察」(久保博司・著、講談社文庫、1989年)
「回想録〜北京幽閉二七年」(伊藤律・著、文藝春秋社、1993年)

(黒鉄好・2010年9月12日、文中敬称略)


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