飛幡祐規 パリの窓から(12)平和を築くために戦争の歴史を学ぶ | |||||||
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平和を築くために戦争の歴史を学ぶフランスでは、7月末にサルコジ大統領が、警察官や軍人など国の権力を行使する者の生命を傷つけた「外国出身のフランス人の国籍を剥奪する」と発言して、大問題になっている。フランスの憲法第一条には「出身、人種、宗教にかかわりなく、法の前にすべての市民の平等を保証する」とあるのにもかかわらず、だ。これについて、そして政府と一部の与党UMP党員による一連のクセノフォビア(外国人嫌悪)発言については後日書くことする。 日本の終戦記念日が近づき、今年は韓国強制併合100年にあたる重要な節目でもあるので、先日訪問し、「経済」という雑誌の8月号に掲載されたエッセイを今回は紹介したい。 英仏海峡に近いカン(カーン)というフランス北西部の町に、「カン記念館」と呼ばれる平和のための歴史博物館がある。一九四四年六月六日、ナチス・ドイツに占領されていたフランスを解放するために、アイゼンハワー将軍率いる連合国軍が上陸したノルマンディー地方の海岸のそばだ。映画『史上最大の作戦』に描かれたこの有名なノルマンディー上陸作戦は、激戦を経て、同年八月二五日のパリ解放につながり、翌四五年五月八日、第二次大戦のヨーロッパにおける連合国勝利を導いた。建造物の七割近くを戦災で失ったカンの町の海側、ドイツ軍の防塞だった場所に一九八八年、平和のための博物館が創設された。 年間約四〇万人が訪れるというこの博物館は、二〇〇二年に第二次大戦後の冷戦時代と平和のテーマを扱う棟が増設され、今年の五月には、展示空間をリニューアルした新しいスペースがオープンした。新展示では七つのスペースをとおして、より全世界的な視点から第二次大戦を扱っている。たとえば、一九三七〜四五年の戦争で殺された人の四割はアジア・太平洋の犠牲者であるという認識にもとづき、日本軍の侵略についての解説が新たに加えられ、軍人の日常品や刀、当時の日本軍のアーカイブ映像なども展示されている。 また、ナチスによるユダヤ人とロマ民族の大虐殺に象徴されるように、第二次大戦中は戦争による殺戮だけでなく、民間人の大量虐殺が各地で行われた。ユダヤ人の絶滅(ショアー、ホロコースト)計画は、アウシュヴィッツなど強制収容所がつくられる前に、ウクライナ、ベラルーシにおける大量銃殺によって始まった。写真やドキュメンタリー映像、残された所持品などを使って、子どもなどの見学者の感受性を考慮した展示が工夫されている。たとえば、収容所に送られて殺されたユダヤ系の子ども一四〇万人の境遇をあらわすために、アウシュヴィッツで発見された学童用のカバン(教科書やノートが入ったまま 写真下)と子どもの靴を展示するといったふうに。日本軍の犯した南京での虐殺が、この大戦の特徴である民間人の大量虐殺を予示した事件としてとらえられている点も、興味深い。 最後の「記憶と歴史」というスペースでは、戦争が国や人々の記憶の中にどのように伝えられてきたか、国家がそれをどう利用するかについての考察が促される。ドイツ、フランス、日本の状況についてそれぞれ、歴史学者の解説がビデオで流されている。 レジスタンス運動のおかげで戦勝国になったフランスでは、占領軍ナチスに協力したヴィシー政府の役割と責任について語ることは、一九六〇年代までタブーだった。しかし、歴史学者や市民の地道な調査・研究と働きかけによって、今では歴史認識が深まった。過去の汚点と向き合い、ユダヤ人大虐殺のプロセスにおいて重大な役割を担ったフランス人の「人道に対する罪」を、自国で裁判を行って裁くこともできた。 カン記念館には年間約一三万人の学童(フランスと近隣ヨーロッパ)が訪れる。中・高校生が主だが小学生向けのワークショップもあり、青少年の歴史教育に力をいれている。見学者の半数が20歳以下だという。 この平和のための博物館を訪ねて、つくづく日本の歴史教育の欠落を感じた。敗戦後、憲法に戦争放棄を謳った日本には平和主義が根づいたが、二つの原爆を受けたことから、日本人にはもっぱら被害者としての戦争の記憶が残り、伝えられた。故家永三郎教授のように、日本軍の犯した残虐行為を史実として伝えようとした試みは、国家や歴史修正主義者たちによって阻まれ、南京虐殺や「慰安婦」の表記は、今では大部分の中学の歴史教科書から消えてしまった。 日本には広島・長崎の原爆資料館のほか、平和に関する博物館がいくつかあるが、より広く全世界的・歴史的な視点から太平洋戦争をとらえ、日本軍の加害を見つめて考察を促すような博物館はない。唯一、「慰安婦」問題(戦時性暴力)に焦点を当てた「女たちの戦争と平和資料館(wam)」(http://www.wam-peace.org/jp/)が二〇〇五年から活動しているが、一般にはほとんど知られていない。 アジアで大戦を引き起こした日本は、二千万人以上の犠牲者をアジア・太平洋に負わせた。この加害者としての過去ときちんと向き合うことなしに、真の平和を築くことはできないのではないだろうか。 2010.8.12 飛幡祐規(たかはたゆうき) 写真(c) Stéphane Dévé / le Mémorial de Caen Created bystaff01. Created on 2010-08-12 21:33:43 / Last modified on 2010-08-12 22:08:49 Copyright: Default |