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Document 20091112
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●映画「副王家の一族」
面白くなければ政治じゃない 人を酔わせ腐らす権力の今昔

 いま政治が面白い。CO225%削減だの、ダム建設中止だの、「コンクリートから人へ」だののかけ声で、これまで自民党的政治の手法に馴らされてきた人々には「そんなことできるの?」と驚くことばかり。この発想の転換がいい。新時代が到来するのではと期待も膨らんでくるからだ。が、時とともに雲ゆきも怪しくなってきて……。

 ロベルト・ファエンツァ監督の「副王家の一族」はそんな政治の季節に似合う映画だ。19世紀半ばから20世紀にかけて、イタリアがスペインのブルボン王朝の支配から抜け出して統一国家を目指した時代、シチリアで百年の栄華を誇った副王(王の代理人としての官職)の末裔一族による骨肉の争いを通して、転換期の支配階級の姿を浮きぼりにしている。そこから今日の政治のありさまも垣間見える。

 映画の時代と舞台は、ルキノ・ヴィスコンティが「山猫」で描いた世界と似ている。しかし「山猫」は、滅びゆく貴族社会を一身に背負ったバート・ランカスター演じる公爵を主人公にすえて華やいだ時代への哀惜をうたった映画だ。それに対し、こちらに出てくる公爵は、家柄を重んじ財産に執着し、息子や娘にさえ「閣下」と呼ばせ、権力をほしいままにしている。それでいて時代が変わるや、その時代に迎合していく人物で、愛ではなく「憎悪こそ生きる秘訣」だと言う。自由主義の思潮に共鳴した息子は、そんな父にことあるごとに反抗する。

 やがて公爵は病に倒れる。近代医学が信じられない彼は、古い妖術に救いを求めて自滅していくのだ。

 では、父の生き方を否定していた息子はどうなったか。平然と父の遺産を継ぎ、左翼の側から選挙に打って出て、改革を説く一方で伝統も尊重すると説いて人々を煙に巻き、新たな時代の「権力」を握る。

 映画を見ていて、14億円の資産を公開し、「友愛」を唱える鳩山首相の「権力」の行く末が気にかかった。(木下昌明/「サンデー毎日」09年11月15日号)

*映画「副王家の一族」は11月7日から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマほか全国順次公開 (c)2007:Jean Vig・Ita-lia, RAI CINEMA Spa, RAI FICTION Spa, Isitut del Cinema Catal


Created bystaff01. Created on 2009-11-12 10:53:34 / Last modified on 2009-11-12 10:57:40 Copyright: Default

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