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     第3回・09年5月19日

大学「改革」と『クレーヴの奥方』


大学教員・研究者たちのデモ。後ろの黒い幕は「研究を救おう」。前面の女性は、おなかに「大学」と書かれた紙をつけ、プラカードには「大臣を食べろ。研究を救え」と書かれている。

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 フランスではすべてが長い。お喋り、食事、学校での一日の授業時間、会議……もっともヴァカンスも長いが、この国で生きていくには強靱な体力と耐久力を要すると感じることが多いのだ。社会運動も然り、今年2月2日に始まった大学教員・研究者たちの運動は、ついに15週間を超えた。全国83の国立大学(フランスには私立大学はほとんどない)のうち、一時は68大学で教員のストが行われて学生も巻き込み、6月の試験を控えた今もなお、ストや封鎖中のキャンパスがある。

 この前代未聞の大学教員・研究者の運動は、現サルコジ政権が進める一連の大学と研究機関、教育「改革」に反対するものだ。複雑な内容と経過を大まかに要約してみよう。

 フランスの大学は全国・海外共通の高校卒業資格(バカロレア)があれば誰でも入学できて、授業料は原則的に無料。学士・修士などの資格は全大学共通で、大学間の格差がない共和国の平等主義にもとづいている。また、教員の人事や運営の決定権は高等教育省にあった。サルコジは大統領当選直後の2007年8月、大学の人事や運営の裁量権を各大学の学長に移す「自主独立化」改革法を通過させた。ヴァカンスシーズン真っ最中の当時、反対運動は起きなかったが、昨年秋以降に改革の内容が具体化し、教員・研究者職の削減が発表されると、さまざまな疑問と批判が出てきた。この改革が少数の一流大学とその他の二流大学という格差や授業料の値上げを生み、平等主義に反すること。学長の権限が絶大となり、それを制御するしくみがないこと。「大学と研究は最優先事項」と言いながら、大学の教員・研究者職(研究を続けながら授業を受け持つ地位)の数を減らすその真意は何か?等々。

 今年の1月中旬に高等教育大臣は、教員・研究者の評定システムを変える政令案を当時者たちとの話し合いもなく発表した。「研究の評定が低い者の授業数を増やす」という内容に、たちまち疑問と批判がわきあがったーー誰がどのように研究成果を評定するのか? 教える行為は罰なのか? 一方、サルコジ大統領はエリゼ宮で1月22日、「研究に関する国家的戦略」という演説を大企業の経営者や大学の学長、研究所長などの前でぶった。このスピーチには、研究や教育に対する彼の考え方があからさまに表現されていて、それが大学教員・研究者たちの反対運動に火をつけた。「フランスの大学は国際的にランクが低く、研究成果の発表も英米より少ない。研究者が評定を受けないからだめなのだ。そんな凡庸な連中のための無駄遣いはやめて、研究に出資する私企業の税金控除に予算を使うほうが効率がいい」といったことを、皮肉たっぷり嘲笑的に語ったのだ。

 大統領官邸のセレクトなイベントが大きな波紋を引き起こし、反対運動が燃え広がったのは、インターネットのせいだ。このビデオを大統領官邸のサイトで見た国立科学研究所のある研究者が、サルコジの言説を反駁する図表と数字を挿入したモンタージュビデオをつくってル・モンド紙に送りつけ、それがYou Tubeにのった。これを見るとサルコジのデマゴギーは明白であり、その語り口には研究者や大学教員に対する軽蔑(憎悪?)が歴然とあらわれていて、唖然とさせられる。

 こうして2月2日、以前から改革に反対してきた研究者の団体「研究を救おう」、教員の団体「大学を救おう」や教員組合だけでなく、法学部などいったいに保守的な学部やノンポリの大学教員までもが、一斉にストに入った。「改革」の真意は、短期間に具体的な成果が得られる研究や学問だけに投資しようという市場論理にあることが、露呈したからだろう。それに、研究者や大学教員は、その学歴や専門技能のわりには給料が低い職種(フランスでは特に)だけに、自負や情熱をもっている。研究者を英語の科学雑誌に引用された回数でランクづけするような評定法を信奉し、すべてを経営者の頭でしか考えられないサルコジの侮辱的な言説に、彼らは驚きと怒りを感じ、プライドを傷つけられたにちがいない。

 彼らの要求事項は、大学教員・研究者の評定システム改革の政令案だけでなく、小・中・高の教員養成システム改革の撤回あるいは全面的見直し、研究者と教職員ポスト削減の撤回、さらには「自主独立化」反対にも及んだ。内容の詳細は割愛するが、それらの中枢にあるのは、大学や研究所の目的は利益の追求ではなく、「知識」という価値の創造と普及・伝達であるという考え方だ。収益性や成果・成績のみを重視する競争論理は、研究と教育を破壊すると彼らは怖れる。ちなみに現在、フランスの議会では病院改革法案を討議中だが、これも経営責任者ひとりに絶大な権限を与え、収益性を重視するネオリベ経済理論に基づいたもので、病院長や医者、看護士、その他の従業員すべてが反対し、いっしょにデモに繰り出している。サルコジ政権の一連の「改革」は、フランス式モデルとよばれる医療や教育の公共サービスを根本から解体する性質のものなのだ。もうひとつ共通の特徴は、改革を急ぐあまり、当事者や識者などとのじゅうぶんな討議なしに、曖昧な部分が(わざと?)多い、できの悪い法案がつくられることだ。たとえば、大学の自主独立化法案に賛成だった学長たちも、実施に向けた具体的な政令案や改革案のできの悪さと曖昧さに驚き、一部の学長は撤回や見直しを求める書簡を公開したほどである。

 さて、高等教育大臣をはじめ政府は、大学教員・研究者たちの反対運動に対して、実にシニカルに対応した。少数派の組合だけを相手に政令案の「書き直し」を交渉し、少しずつ譲歩しながらも全面的な見直しは拒みつづけ、運動を長引かせて腐るのを待った。書き直された政令案(少しマシになったらしい)は発布された。大臣たちは、学年末試験に向けてストや封鎖を解除させるために、「一部の過激分子が学生を人質にとっている」といった表明を繰り返している。それでも5月中旬現在、パリのソルボンヌ(パリ第一・第四大学)など、いくつかの大学・学部ではストが続き、総会が繰り返されている。長期間授業が行われなかった大学・学部では、試験期日を遅らせる、内容を変更するなど、今年度の単位や免状(資格)を学生が獲得できるような調整が図られている。

 この大学教員・研究者たちの反対運動は、記録的な長さという面だけでなく、ネオ・リベラル的社会ビジョンに対する抵抗運動としてもめざましい。ストといっても単なる罷業ではなく、反対を掲げつつ授業を行う教員も多かったし、大学以外の場所で行う「野外授業」をはじめ、さまざまな独創的なハプニングが行われた。また、教員どうしや教員と学生のあいだで議論がさかんになった。「研究を救おう」の代表者が言うように、政府はこの運動に対して、かつてサッチャーが英国の炭鉱労働者のストをつぶしたときと同様の強硬な態度をとり、勝ち取ったわずかなものに比べて当事者(教員・研究者、学生、学長)や大学・研究所自体が受けたダメージはとても大きく見える。しかし、多くの教員・研究者が自分たちの活動を社会の中で位置づけ、収益性のみを追求する経済優先思考に反対したことは、たとえこの改革がなし崩しに施行されても、今後の抵抗を支える精神を育み、若い世代に何かを伝達したのではないだろうか。

 ストの形態の一つとして考えられたハプニングの中に、すぐれてフランス的なおもしろい行動があった。『クレーヴの奥方』という小説を交替で読み続ける朗読マラソンである。十七世紀、ラファイエット夫人によって書かれたこの恋愛心理小説は、その巧みな心理描写と卓越した文体・構成から、フランス文学の傑作のひとつに数えられている。この小説についてサルコジは大統領に当選する前、次のような発言をして多くの人々の顰蹙をかった。「公務員の国家試験科目を見ていたら、どこのサディストか馬鹿者が決めたんだか、『クレーヴの奥方』を出題しているじゃないか。窓口の人に『クレーヴの奥方』をどう思うかなんて、しょっちゅう聞くものかね?」金ぴか趣味の贅沢が大好きで、歴史や文学は「稼ぐための時間がなくなる無駄」としか考えられない無教養なサルコジにとって、『クレーヴの奥方』の風雅で複雑な世界を探究することは拷問以外のなにものでもなかったのだろう。この小説では情熱的な恋愛感情が肉体の消費・所有につながらず、即時の快楽を拒んだ敬意、慎み、忍耐、献身、礼節、相手の尊重といった価値観が描かれている。

 今年の2月以来、文学部の大学教員や演出家・俳優などが、サルコジが体現する世界へのアンチテーゼとして『クレーヴの奥方』の朗読を始めた。パリのパンテオンの前で、ブックフェアの会場で、ナンシー、グルノーブル、エクサンプロヴァンス、ポワティエなど全国各地のさまざまな場所で朗読マラソンが行われ、Facebookにも「私はクレーヴの奥方を読む」グループができた。朗読マラソンを呼びかけたパリ第三大学の教員はこう記している。「私たちは、どんな職業の市民とも『クレーヴの奥方』やその他のテキスト、そして芸術や映画について話すことができるような世界を望んでいる。なぜなら私たちは、文学を読むことは、仕事の上でも私生活でも、世界に立ち向かう準備となると確信しているから。なぜなら私たちは、複雑さと熟考と文化がなくなったら、民主主義は死ぬと思うから。なぜなら私たちは、大学とは手柄や成績ではなくて美の場所、収益性ではなくて思考の場所、そして文化的・歴史的に異なるものとの出会いの場所だと考えるから……」 (2009.5.18)

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飛幡祐規(たかはたゆうき)さん略歴

文筆家、翻訳家。1956年東京都生まれ。74年渡仏。75年以降、パリ在住。パリ第5大学で文化人類学、パリ第3大学でタイ語・東南アジア文明を専攻。フランスの社会や文化を描いた記事やエッセイを雑誌、新聞に寄稿。文学作品、シナリオその他の翻訳、通訳、コーディネイトも手がける。著書:『ふだん着のパリ案内』『素顔のフランス通信』『「とってもジュテーム」にご用心!』(いずれも晶文社)『つばめが一羽でプランタン?』(白水社)『それでも住みたいフランス』(新潮社) 訳書:『泣きたい気分』(アンナ・ガヴァルダ著/新潮社)『王妃に別れをつげて』(シャンタル・トマ著/白水社)『大西洋の海草のように』(ファトゥ・ディオム著/河出書房新社)ほか多数。2005年5月〜07年4月、ウェブサイト「先見日記」でフランスやヨーロッパの時事を取り上げたコラムを発信。

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