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フィリピントヨタをILOが現地調査

アロヨ前政権による超法規的殺人の犠牲者は1000人を超え、国連をはじめ海外の人権団体が調査のためにフィリピンを訪問したのはよく知られた事実だ。ルソン島南部・南タガログ地域でも180人余の犠牲者があり、10人以上の労働運動の活動家が殺害されている。超法規的殺人は国際的な非難もあり犠牲者の数は減少しているが、殺害から「刑事告発」をして活動家を逮捕するという戦略に変化している。

南タガログ・ラグナ州サンタロサに工場があるフィリピントヨタの労組もこのような政治的状況に影響を受けている。2006年頃から、フィリピントヨタ工場の広大な敷地内に軍隊の駐屯地が設営され、軍人の姿が目につくようになったという。この軍隊は、超法規的殺人の黒幕だといわれているホビト・パルパラン将軍に率いられている陸軍第202歩兵旅団(202部隊)の分遣隊だと噂されている。さらに、2008年に入ると、202部隊の駐屯地はフィリピントヨタ労組の組合事務所から100メートル先にも設けられ、突然、7,8人の軍人が常駐することになった。

2008年8月22日、フィリピントヨタ労組のエド委員長も不審な男に狙われた。早朝からエド委員長の自宅前で(たまたまエド委員長は不在だったが)、不審な男が見張りをしていることを家族が見つけ、監視を続けていたが、夕方、義弟が問いただそうと近づいたところ、男は足早に家の前から立ち去り、幹線道路に停車していたナンバープレートのないオートバイで立ち去った。超法規的殺人はオートバイに乗った2人組が、銃で殺害するという方法が一般的だが、それとまったく同じスタイルだった。

2003年2月、フィリピントヨタ労組はILO・結社の自由委員会に対して、ILO条約第87号、第98号違反の提訴をおこない、同年11月、ILOは、訴えをほぼ全面的に認め、フィリピン政府に対して条約違反を指摘し、是正を求める勧告を出した。2004年以降も毎年、基本的には同主旨の勧告を発している。その後、超法規的殺人により多数の犠牲者をだしたKMUをはじめとするケースが、ILOに続々と提訴された。そこで、フィリピンにおける組合弾圧の実態を調査するため、2009年9月22日から29日まで、ILOハイレベル調査団が派遣された。フィリピン政府は、2009年の春ごろに調査団の受け入れを決めたようで、この頃、工場内と組合近くに置かれていた駐屯地は撤去された。

調査団の日程は政労使からの聞き取りで構成されていたが、労働者側へのインタビューは時間の許す限り丁寧におこなわれた。また、軍隊による組合への脅迫が問題となっている日系2社―フィリピントヨタ社とインターナショナル・ワイヤリング・システム社の訪問調査もおこなわれた。12月9日、調査団は長文の報告書を発表し、従来の枠にとらわれない柔軟な解決策を示唆し、2010年3月にだされた勧告では、フィリピン政府に対して解決交渉をスタートすることを促している。

日本国内での状況はどうだろうか。トヨタ本社は、フィリピントヨタ労組を支援する会の何十回にもわたる抗議行動・申し入れにもかかわらず、「現地のことは現地で(解決を)」をくりかえすだけで、頑なな態度を変えていない。トヨタはお金と力で、有能な弁護士を何人も雇い、フィリピン政府、軍隊、マスコミを従わせてきた。大企業としての責任とモラルを忘れてきた。しかし、アメリカでのトヨタ車へのリコール問題からもわかるように、綻びはいつか露呈する。大量解雇から10年目を迎え、膠着状態に見えるフィリピントヨタ争議を世界は忘れていないことを、トヨタ本社・日本政府は認識し、日本国内でも解決への道に踏み出すべきだ。

(遠野はるひ)