女性差別による32%賃下げは、東京都地方労働委員会での斡旋が決裂、法廷闘争に入った。

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 女性差別による32%賃下げ裁判 (原告:西本敏子、 被告:株式会社イセキ開発工機)
 通達には、給与制度改訂が当社生き残りに必要不可欠、会社への貢献度に応じた処遇と書かれていた。しかし、会社への貢献度を何で評価するのか「ものさし」は示されていなかった。従業員は、具体的説明のない通達に添付されていた同意書に署名捺印させられた。都労委「斡旋」により、ようやく新制度の資格要素が判明したが、新制度は、資格の名前を変更しただけで資格制度変更の実体はなく、同一の賃金制度に基づく賃金の一方的な減額にすぎなかった。1999年11月1日の不当な32%賃下げから2003年12月12日の一審勝訴判決まで4年かかった。しかし、闘いはまだ終らない。控訴審へと続く。


1999年10月7日 怪しげな通達を発行
 1999年10月7日「給与規程改訂が当社生き残りに必要不可欠である」と執拗に繰り返して従業員に心理的圧力をかけ、添付同意書へ署名捺印させる通達「給与制度改定について」が発行された。会社への貢献度に応じた処遇、社内活性化を図る為と書かれていたが、会社への貢献度を何で評価するのか「ものさし」は何処にも示されていなかった。従業員は貢献度評価の基準も明示されず、各自の給与案も提示されていないのにおかしいと思ったが、会社存続に不安を感じ、とりあえず署名捺印してしまった。回覧文書だったので捺印しないと次の人に回せない方法だったからである。会社のしかけた罠にはまった。
1999年11月1日 32%賃下げ実施
 1999年11月1日「全従業員の同意を取ったので新給与規程を実施する」と、通達が出され、新給与辞令も同日付けで発行された。3週間前の通達発行から新給与辞令発行までの間、従業員への説明、話し合いは一切なかった。驚いたことに、新給与辞令とは、勤続年数の長い人をターゲットに、大幅に賃金カットしたものだった。勤続17年の私は給与を32%、勤続12年の女性は24%と大幅カット、キャリアを無視した女性差別の給与辞令だった。
1999年11月24日 支部結成通知、団体交渉開催へ
 イセキ開発工機には労働組合がなかった。労政事務所に相談すると「組合がないのは致命的。一人でも入れる労働組合がある」と助言された。インターネットで検索して個人加盟組合に加入し、24%賃下げされた女性と2人でイセキ開発工機支部を結成した。
 12月16日と12月28日の2回、団体交渉を開催。会社からはメインバンク富士銀行から来た代表取締役副社長と総務部長が出席した。組合は32%賃下げの根拠・説明を求めたが、会社は新しい観点で、会社への貢献度を評価したと口頭で繰り返すばかりで、それ以上の説明は一切しなかった。
2000年5月9日 労働委員会の斡旋決裂
  2000年1月19日、2回の団体交渉では何も説明されないため、東京都労働委員会に斡旋申請。会社はようやく答弁書なるものを提出してきた。これにより新制度と旧制度は資格制度変更の実態は無く、資格の名前を変更しただけで、同一の賃金制度に基づく賃金の一方的な減額にすぎないことが判明した。又、女性が下位資格に下揃えされたことも明確になった。会社は組合員2名とも退職してもらいたいと言い出し、5月9日に斡旋は決裂した。

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