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ファインテック労働者たちが20年間放さなかったこと

[ワーカーズ ルポ]「闘いは一段落…これからは文在寅政権が相手」

キム・ハンジュ記者 2019.02.07 09:02

▲426日間の煙突座り込みを解除した2019年1月11日、金属労組ファインテック支会ホン・ギタク組合員とチャ・ガンホ支会長が互いに迎え合っている。[出処:キム・ハンジュ記者]

#1頭を上げられず

1月11日。 ファインテック支会のホン・ギタク、パク・チュノが426日ぶりに煙突から降りてきた。 健康が悪化したため直ちに救急車の移送ベッドに横になった。 正門を出ると百人の記者がベッドを囲んだ。 ファインテック闘争に連帯した市民数十人も歓声を送った。 だが彼らの会話の扉は簡単に開かなかった。 言葉もなくチャ・ガンホ支会長の手を握ったホン・ギタクが、 結局わずかに話した。

「この社会で20年以上守ってきた民主労組を守ることが なぜこれほど大変なのかわかりません。 煙突の上で考えました。 バッジを付けて歩き回る国会議員、 財閥の尻を追い回す権力機構をひっくり返したいと。 青春をすべて捧げた! 民主労組死守しよう!」

これまでの歳月が走馬灯のように過ぎ去った。 韓国合繊に入社した20代の時から、会社が破産してひとりで火が消えた工場を守った記憶。 チャ・ガンホ支会長が408日間の高空籠城をした姿、 また会社がファインテック工場から機械を引き出した時の怒り。 二回目の煙突座り込みを計画した後、組合員五人で旅行に行った思い出。 民主労組を守るために青春を捧げた歳月だった。 煙突から降りてくると万感が交差した。 チャ・ガンホがマイクを持った。

「不足な合意です。 本当に大変でした。 スターフレックスの態度に惨憺としたりもしました。 それでも連帯してくれる人々がいて、 ホン・ギタク、パク・チュノが地面を踏めるようになりました。 私たちは青春をすべて捧げてきましたが、 工場で2回、3回押し出されました。 苦しい生活を続けていますが放棄できません。 非正規職労働者が追い出され、弾圧されても一言も言えない人生が続いています。 この世の中を正す日がこなければなりません。」

#2原則と同志愛、その間で

チャ支会長は『不足した合意』だったという点を強調した。 交渉は6回開かれた末に1月11日午前、妥結した。 調印式の時もチャ支会長は「合意は不足だ。だが合意するほかはなかった。 煙突の上で飢える仲間たちがいるから」と話した。 労使は合意でファインテック工場を再稼働し、 代表は「キム・セグォン スターフレックス代表理事」ではなく 「キム・セグォン」個人が引き受けることにした。 当初、労組は労組と雇用、団体協約3継承の履行を要求してきた。 核心は、スターフレックスの直接雇用だった。 会社が過去に子会社を清算、機械を撤収するなど、 労働者たちを路上に追いやった前歴があるからだ。 その上、スターフレックスは社内留保金(利益余剰金+資本余剰金)が774億ウォンにのぼり、 直接雇用しても全く無理がない状況だった。

直接雇用の要求が受け入れられないのはスターフレックス側の「反労組情緒」ためだった。 高空籠城長期化で言論の注目をあびると、 ファインテックのカン・ミンピョ代表(スターフレックス専務)は1月8日、 記者を呼び集めた。 カン代表は「雇用する余力があるが、雇用できない」とし 「合理的労組はいいが(ファインテック支会は)少し特異だ」と話した。 民主労組に対する反感を公開で表現したことだった。 当時、労組はスターフレックスの直接雇用要求から一歩退いて、 ファインテックを再稼働するが、 スターフレックスが法的責任を取れと主張した。 これによりキム・セグォン「スターフレックス代表理事」が合意文に署名して ファインテックが破産すればスターフレックスが雇用することを要求した。 だが使用者側はこれを断固拒否した。

結局、高空籠城410日目の1月6日。 ホン・ギタク、パク・チュノは労組連帯体の 「スターフレックス(ファインテック)闘争勝利のための共同行動」に無期限ハンストを 「通知」した。 直接雇用を拒否した会社を圧迫するためであった。 煙突の上の労働者たちは、食事を上げるロープを縛ってしまった。 これで水や防寒用品、非常連絡を維持する携帯電話のバッテリーも上げられなくなった。 チャ・ガンホ支会長と金属労組、民主労総、共同行動は翌7日、 彼らのハンストを引き止めるために動いた。 朝食を上げるために電話通話を試みたが、返事は「ハンストを止めるつもりなら これからは電話に出ない」という言葉だけだった。 ホン・ギタクは当時の状況をこのように伝えた。

「われわれは煙突の上ではっきり要求しました。 会社の案(今回の合意案)には合意できませんと。 主体が抜けた合意書を合意というのは難しい。 労働者を人と見ようともしない資本家の素顔が、 使用者側の記者会見であらわれたのではないですか。 マスコミも使用者側を批判する記事を吐き出し始めたのではないですか。 合意しなくても戦いになると考えました。 それで交渉方向を定めてみようとハンストに入るのです。 死んでも頑張ろうと気持ちを引き締めました。ところが結果は…」

ホン・ギタクは言葉を濁した。 当初の労組の要求であった労組、雇用、団体協約3継承履行は合意内容になかった。 単に「交渉団体としてファインテック支会を認定」するという内容だけが入った。 労働者たちの雇用保障期間は最低3年で、基本給は最低賃金プラス1000ウォンに過ぎなかった。 事実上、また間接雇用、契約職労働者の身分に戻れということだった。 ホン・ギタクの目は無念さでいっぱいだった。

高空籠城労働者たちがハンストを始めると、記者が集まった。 チャ支会長はその前で結局泣いた。 「本当にハンストだけはやめてほしい。 一日も早く解決して二人の同志が降りてくるように願います。 本当に使用者側はひど過ぎます。 400日以上交渉に出てこなかった人が、今になって出てきて責任がないといいます。 政府は何をしたのですか。 われわれは憲法が認める最低限の権利を行使しようといっているだけです。 いつまで苛酷に傾いた運動場で暮らさなければならないのですか」。 極限を越えた同僚のハンストの知らせに、 これまで涙を見せなかったチャ・ガンホも崩れ落ちた。

同僚を守ろうとする気持ちと原則の間でチャ支会長は苦しんだ。 スターフレックス資本は労組の要求を拒否しており、 このままではハンストは長期化するほかはなかった。 高空籠城者に何が起きるのか誰もわからない急迫した状況だった。 過去に高空籠城を経験したある労働者は、 ファインテック高空籠城者のハンストを見ながら 「私も高空にいた時に、極端なことも考えた」とし 「気持ちが弱まった状態で、どんなことを考えるのか恐ろしかった」と伝えた。 何回かの説得の末に、結局組合員5人は合意することに決定した。 そして緑色病院に運ばれたホン・ギタクはこのように話した。

「私たちの戦い、やっと一段落しました。 三つが残っています。 文在寅(ムン・ジェイン)政権退陣、財閥体制解体、労働悪法撤廃」

#3 残る三つの戦い

病院で会ったホン・ギタクの目は相変らず怒りに満ちていた。 文在寅大統領が資本家のための悪法に服務して、労働者を搾取していると熱弁を吐いた。 「文在寅が当選演説でキャンドルの要求を実現するといいました。 積弊を清算すると自分の口で話しました。 1年半をよく思い出してください。 何かきちんとやったことはありますか? 自由韓国党と協力する政治、財閥とはビールを飲んでいませんか? しかし労働者たちには弾力勤労制を改悪して労働権を奪っています。 私たちの闘争には傍観し続けました。 コルトコルテック、ユソン企業、キム・ジェジュのタクシー闘争に耳を傾けたことがありますか? キム・ヨンギュン遺族の要求も拒否しています。 労働者、民衆がこの政権を追い詰めない理由がありますか?」

振り返ると彼らの戦いはいつも世の中に向かっていた。 ファインテック支会が今回の闘争で掲げた要求も同じだった。 △雇用、労組、団体協約3継承履行、 △ヘル朝鮮悪の枢軸(自由韓国党、国家情報院、独占財閥)解体、 △労働悪法撤廃だ。 3つのうち2つが政治的要求だ。 彼らは韓国合繊の時から政治闘争を拒まなかった。 2007年に韓国合繊が破産すると、労働者数百人は「破産企業公企業化」を要求した。 退職金も受けとれない労働者たちが政治的要求をかけて政府を圧迫する戦いを繰り広げたのだ。

「韓国合繊の時、進歩メディアまで私にこう尋ねた。 破産企業の公企業化は筋の通った要求かと。 われわれはいつも政治的要求が核心でした。 労働者2200万人が当然、政治の主人であって、ごく少数の何人かが主人でしょうか? 韓国から逃げ出したくて作られた言葉がヘル朝鮮です。 70年間、権力をにぎった人々が労働悪法を作りました。 李在鎔(イ・ジェヨン)は解放され、われわれは相変らずこうして暮らしています。 しかし自分一人で暮らしているのではありません。 工場で賃金闘争だけして、自分だけ豊かに暮らしているのなら、財閥と何が違いますか。 われわれは社会の構成員で、社会を変える努力をしなければなりません。」

マスコミはファインテック闘争が「終止符」を打ったと話した。 だがファインテック労働者たちは相変らず世の中を変える人々を探している。 世の中に対する「馬鹿正直」は煙突の後にも続いている。 朴槿恵(パク・クネ)退陣キャンドルの時も、 「光化門キャンプ村」で一番最後まで残った人々だ。

▲金属労組ファインテック支会パク・チュノ、ホン・ギタク組合員が2019年1月11日煙突を降りてきて、記者会見を進めている。[出処:チュ・ヨンソン]

#4 彼らの「馬鹿正直」、誰もが知っている

彼らは1990年代後半から資本と政権を相手に戦ってきた。 20代の青年は頭が白くなり、シワが深くなったが、彼らは変わりなかった。 20年間で二回の高空籠城、数回のハンスト、五体投地、数え切れないほどの集会まで。 彼らはやさしい道よりも難しい戦いを選んだ。 絶えず社会に声を伝え、共感を勝ち取った。 ファインテック闘争に連帯した市民は彼らの馬鹿正直さ、真情性が 社会を多少なりとも変えたと皆が話す。

「ホン・ギタクおじさんは煙突から降りてきても『民主労組死守しよう』と言いました。 信頼が揺らがない人です。 チャ・ガンホ支会長も本当に同僚のためなら、どんな事も問いません。 408日間高空籠城をしたのに、自分が先に責任を取らなければならないという重大な意識を持っていたように感じられます。 特に食べ物がないわけでもないのに33日もハンストをしました。 煙突の同僚の面倒を見てきたパク・チュノおじさんも、 韓国合繊の時から黙黙と自己の仕事を頑張る、終始一貫して良い人だとうわさが立ちました。 チョ・ジョンギ、キム・オクペおじさんも、先輩たちに対する信頼、義理が誰よりも強い人です。 「先輩がこうしているのに私がやめるわけにはいかない」といった調子です。 彼らを見ると心が動かないわけにはいきません。 顔も知らないのに共感するほかはない人々です」。(キム・ヒョンス、大学院生、ファインテック闘争に連帯しながら『彼らはなぜ75m煙突に上がったか』ストーリーファンディング連載)

「2006年でした。 キリュン電子が戦っている時、 慶北の韓国合繊の労働者たちが上京までしながら連帯しました。 韓国合繊労働者たちが私たちの労組のために音響機械まで買いました。 自分たちも財政的に難しいのに。 彼らは他の闘争事業場に連帯しに行っても、食事当番を担当しました。 そのようにしてキリュン電子とファインテックは親しくなりました。 彼らの馬鹿力は認めるほかはありません。 チャ・ガンホはちょっと意地っぱりです。 清算された工場をまた動かしたんです。 今回も『死んでも交渉には出て行かない』というキム・セグォンをひっぱり出しました。 想像できないことをやり遂げた労働者たちです。 自分たちが行く道を信じて止まらない人なんです。」 (キリュン電子分会ユン・ジョンヒ)

ファインテックの労働者たちは20年間「民主労組死守しよう」と叫んできた。 彼らの言葉のように、本当に「青春をすべて捧げて」守ってきた民主労組だ。 それで彼らはなかなか止まらない。 民主労組も、民主労組が変える世の中も。 煙突を降りてくるとすぐ、同僚の手を力強くつかんだように、 彼らはまた同僚の手を握って夏の7月に工場に戻る。 彼らの戦いは相変らず世の中に向かっており、 彼らはまた想像できない事をするのだろう。(ワーカーズ51号)

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-02-20 00:02:06 / Last modified on 2019-02-20 00:20:40 Copyright: Default

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