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パックス(pax、平和)

[ワーカーズ]ワーカーズ辞典

チェ・ヒョジョン(政治学者、慶煕大フマニタスカレッジ解雇講師) 2018.06.10 21:44

「私はテラスにいる(Je suis en terrasse)」。 2015年のパリ・テロの当時、パリ市民はSNSを通して以前と同じように屋外テラスでコーヒーを飲みながら平和な日常を送る認証ショットを書き込み、 文章にハッシュタグを付けて共有した。 テロのような暴力には屈服しないという市民の平和主義と非暴力意志の表示であった。 しかし、このような形で暴力に抵抗する平和主義者の行動は、なぜ命をかけた自殺テロが起きたのかに対する原因を隠し、 平和と暴力を文明対野蛮の構図で置換させやすい。 こうした構図の中で、平和と暴力は選択の問題としてあらわれ、 平和的な方法と暴力的な方法のうち、どちらを選択するのかは各自の意志と選好にかかっているように見える。 しかし平和は方法論や選択の問題ではない。 平和主義と非暴力主義は平和を奪われた所、暴力が乱舞する所で、 それに正面から闘う人々が持つ行動の原則であり、信念だ。 その言葉は平和が保障された体制の中の安全地帯に生きる人々の心的状態や行動様式に対して使える言葉ではない。 パリジャンのテラスは、パレスチナの人々の家よりも安全だ。 資本が制度化された民主主義と社会的対話を好むのは、 彼らの暴力を嫌って平和的手段を愛するためではなく、 労働者と民衆が道路で戦うのは平和的方法を嫌って暴力的手段を好むためではない。 制度化された暴力は、銃もナイフも使わない人間の生を壊すかもしれないが、 われわれはそれがただ静かに形成されるという理由で平和な方式と呼ぶことはない。

歴史的に「パックス ローマナ(pax romana)」、 「パックス ブリタニカ(pax britanica)」、 「アメリカ中心主義(pax americana)」と呼ばれた平和体制は、 常に帝国の覇権により樹立され、保障された。 ローマによる、英国による、米国による平和体制が続く時、 その平和の時間は、ある人たちには拷問、逮捕、監禁、暗殺、虐殺の時間を意味した。 しばしば第2次大戦以後を戦争が終息した平和の時代と言う。 しかし平和の時代とは、米国と西ヨーロッパ本土で戦争が起きなかったからそう見えるだけだ。 冷戦という言葉で互換される平和体制は、常に局地的紛争と恒久的な内戦状態を含んでいた。 平和は普遍的ではない。 ここの平和はいつも別の所で起きる戦争の代価だ。 平和は万人のものではない。 誰かが享受する平和は、他人が行っている戦争の代価だ。 私たちの平和ももそうだ。 ブルジョア的世界の平穏さは、目に見えない所で処理される残酷な暴力と死の世界の上に成立している。 私たちの平和な食卓は残忍な屠殺の戦場を隠していて、 私たちの平和な都市と安楽な住宅は貧しい人々の命をかけた労働と、戦争のような撤去民の追放の歴史を隠している。

そんな理由で、ある人たちにとっては平和体制が戦争状態よりも残酷なものと受け止められたりもする。 90年代の深刻な経済不況を体験し、平和憲法改正に賛成して「われわれは戦争を望む」と叫んだ日本の保守右翼青年たちは自分たちを代弁してくれる何の政治組織もない下層労働階級青年たちが 絶望的な状態でどんな極端に結集するのかを示す事例だ。 彼らは戦争の方が機会と平等を持ってくると信じた。 この「平和な」国で静かに「平和に」死んでいくよりも、 戦争が起きて英雄として死んだ方が良く、 報勲年金でも残してくれることもあるのでそっちの方が良いと考えたのだ。 愛国心に頼り、戦争を訴えて、拝外主義を扇動する極右政党が世界的に勢力を伸ばしている背景も同じ文脈だ。 日常が戦争になってしまった人生と静かな死は今、 韓国社会でも最も底辺の労働者たちから始まって、随所に起きていることになった。

そのような時点で2018年4月27日、11年ぶりの南北首脳会談が成功した。 今や米朝交渉も成功すれば、朝鮮半島の平和体制がすぐ樹立されるかのように見られる。 「平和」という言葉は韓国で暮らす誰も拒否できない絶対善で、 共存と共生の功利を入れる単語になった。 しかし今、この平和の主人は果たして誰だろうか。 パックスロマーナ、パックスブリタニカ、アメリカ中心主義に続き今、 世界で最も強力なパックスの支配者は誰か。 カール・ポラーニの本、〈巨大な転換〉第1章は、ヨーロッパで例がなかった19世紀の百年の平和についての分析から始まる。 1815年から1914年までのこの平和体制をポラーニは金融街の連合による「実用的平和主義」と呼ぶ。 平和体制は本来、勢力均衡体制で 「勢力均衡で得られる結果とは、その均衡に参加する権力単位の生存であり、 これは平和とは全く違うもの」だと彼は話す。 その時期に最も強力に平和を支持して要求したのは「オート・ファイナンス(haute finance)」という国際金融組織だった。 「高貴な(haute)金融街(finance)」とは、金融縁戚のロスチャイルド(Rothschild)一族を中心として、 すでに一国の境界を越えて活動するヨーロッパの国際金融システムを称する。 すなわち当時の平和体制は、金融資本家が自らの利益を守るために勢力均衡と現状維持を追求するよう政府を圧迫した結果だというのだ。 「金儲けを主な関心とする銀行家たちが、狂暴な専制君主に憲法を平和の名で受け入れるように丸め込んだ。 そしてその形式は多様で、また理念も常に違っていたが、 時には進歩と平和の名前で、 時には王権と教権を掲げて、 時には株式市場と小切手帳で、 時には堕落と賄賂で、 時には道徳的主張と啓蒙の呼び掛けで、 時には艦砲射撃と銃剣で、 常に同じ結果が達成されたので、それはまさに平和の保存だった。」 [1]

資本の利害関係がヨーロッパの協力体制を作り出した最大の動因だったというこの分析は、 今の南北協力体制の動因を分析するにも有意味だ。 韓半島で戦争が起きない理由は、韓国経済がすでに金融資本の人質になっているからだ。 戦争による損失が大きいため、現代のオートファイナンスも朝鮮半島での戦争を望まない。 世界的な中立国が金融と貿易の避難所として資本の共同利益のために平和を保障されているのと同じ理由だ。 しかしこの平和体制はまた、それだけ「実用的」な平和体制なので、 損失が利益に計算された瞬間、いつでも戦争を始める武装した平和体制でもある。 また、ポラーニが言うように 「全面戦争は極度に厳格に防止するが、 局地戦は果てしなく行われるように放置し、 その中に平和な営利活動が行われることを保障するというのがその本質的な性格」だ。

北の資源と南の資本を結合する開発協力体制としての平和体制は、 果たして誰の利益になるのだろうか。 その体制に参加する権力集団にとっては利益になるだろう。 しかし階級間の社会対立と南北地域間の対立および恒久的な内戦状態は、 この土地で生きていく民衆の苦痛になるだろう。 IMF体制以後 韓国で展開した内部のディアスポラは、 すでに分断による離散の苦痛を越えており、 共同体的な生活の倫理と社会安全網が極度に破壊され、 社会的内戦のような状態になって久しい。 資本の圧倒的優位により、到来する平和体制下での内部植民地化と難民化は さらに暴力的に進むだろう。 彼らの平和が私たちの戦争を代価とすることなら、 また私たちの平和が他人の戦争の上に基づくものなら、 われわれはその平和を甘受できるのか。 平和は高貴な(haute)者による贈り物ではない。

平和の反対語は戦争であり、 戦争に正面から闘うのが平和で、戦争を阻止するのが平和だ。 労働者にとって平和は労働者たちを死に追いやる戦争を終わらせることだ。 民衆と労働者の平和は資本が望む、国際通貨と国際金融システムを保障するための 「平和体制」とは完全に違うものだ。 平和は方法や選択の問題ではなく、私たちが戦争という直接暴力と、資本主義体制という構造的暴力に正面から闘う時、 そしてその力が大きくなる時、始めて得られる「現実の状態」だ。 資本による平和体制が武装した力の均衡状態による管理体制なら、 民衆と労働の平和は資本の暴力的な力を武装解除して無力化する時に実現される。 パレスチナの平和はエルサレムの晩餐会場に座った列強の交渉テーブルではなく 資本の武器に向かって飛んで行く石にその希望が置かれている。 韓半島の平和も同じだ。[ワーカーズ43号]

[脚注] [1] カール・ポラーニ。ホン・ギビン翻訳.『巨大な転換』. 図書出版道. 2010.98ページ.

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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