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システムを変えるために辺境の地に入った人

[ワーカーズ ブラックキューブ]パク・ペイル独立ドキュメンタリー監督に会う

パク・タソル記者 2018.06.07 11:44

「三歳の息子を心に埋めたクミョン、 なくした名前を見つけるために家父長制と戦ったスンブン、 ひどく貧しかったのに分かち合いを楽しんだウイソンの喜怒哀楽が 山と森で静かな韶成里にそのままはらまれている。 625戦争の時に人民軍がパンを売った公民館と韓国軍が住民を虐殺した村の入口、 その死体を埋めた渓谷は韓国近現代史の傷痕だ。 村の人々は足かせの歴史と疲れた人生を抱き合って互いの日常を支えながら暮らした」。 - 〈韶成里〉シノプシスより

[出処:〈韶成里〉場面より]

パク・ペイル独立ドキュメンタリー監督は郊外、辺境地、またはどこにもあるのに見えない人々を追う。 ティーシャツ、半ズボンにサンダルを履いて、カメラ持って時にはお年寄りに叱られる。 12年間、大小の現場で戦う人々の話を撮った。 そんな彼は今回、映画〈韶成里(2017)〉で釜山国際映画祭ビーフメッセナ賞とソウル独立映画祭孤立無援将軍賞を受けた。 この作品はソウル人権映画祭とインディフォーラムのスクリーンにもかかる。 撮影の現場では「監督さん」より「ペイル」の方がなじむ現場一体型のメディア活動家。 「かくかくしかじかですね」 要約整理しようとする記者に「いえ、それはこうした部分でかくかくしかじかで、 あの部分はかくかくしかじかでです」と ディテールを正確に捉える慇懃細心なタイプのパク・ペイル独立ドキュメンタリー監督。 密陽送電塔闘争、生濁マッコリ労働者闘争、星州THAAD闘争などの地で誕生した彼の作品は、 おそらく路上、座込場のような「ブラックキューブ」で上映してこそ、 味があるようだ。 5月20日、ソウル劇場の前のカフェでパク・ペイル監督と直接会った。

映画〈韶成里〉で数々の映画祭に名前を連ねている。お祝い申し上げる。

映画では成果だが、映画を見にくる人はあまりいない。 光州で上映会をしたら五人がきた。 そのうち三人は光州の人でもなかった。ハハ。

五人? (しばらく言葉を失った記者をおいてパク監督は話を続けた。)

二つの映画祭とも選定基準が難しい。 人権映画祭は映画的な完成度だけでなく、相当な人権感受性が要求され、 インディフォーラムは既存の映画的文法を脱した新しい技法を重視して選定する。 独立映画の上映機会が多くないので上映の機会を提供するこうした映画祭がありがたい。 映画祭が多いからといって、多くの映画が上映されるわけではない。 映画祭の特徴に合った映画を、また注目すべき映画を選択する。 ソウル独立映画祭は一年を終える映画祭だが、1400編の申し込みがある。 そのうち多くても5〜60編の映画が上映される。 韓国の問題は、良い映画を見る機会が多くないということだ。 だが観客がまた甘受すべき部分だと考える。 良い映画を見るためにちょっと苦労をしてほしい。

[出処:パク・ペイル監督]

〈韶成里〉の話をしよう。どんな縁で映画を撮るようになったか

昨年の夏「メディアで行動しろin星州/金泉」プロジェクトに参加した。 毎年のプロジェクトだが、メディア活動家が1年に1回集まって現場に行き、 それぞれができるメディアで現場を記録する作業だ。 最小の費用で運営している厳しいプロジェクトだが、 活動家、芸術家、現場の主導者が集まって大きな力を得る。 昨年の夏にプロジェクトが終わって作業の結果を村会館の前で公開したのだが、 住民の表情が変わったのを見て、それで活動しようと考えた。

プロジェクトが終わっても残って記録を続けた理由は

個人が足を踏んばって立っていることも不安な社会が韓国社会ではないのか。 闘争現場の声は個人を立たせて、そうしなければまともな世の中にならないほどだ。 ところが闘争の価値を認める人はますます少なくなっている。 韶成里の闘争は文在寅金正恩が話す平和ほどに重要だ。 密陽闘争で原発の危険を多くの人々が知り、 そのために核発電所を作るべきかどうかを議論し始めた。 生濁マッコリの労働者のおかげで釜山市民はさらに清潔な生濁を飲めるようになった。 たとえ彼らが一人も復帰できなかったとしても。

個人的に予想に反した映画だった。本格帰農推奨映画のようで、中間は恐怖映画のようだった。最近流行するおばあさんビデオ・ブログのようでもある。何を話したかったのか

韶成里で過ごして、空間について考えるようになった。 ここは戦争の痛みを持っている。 戦争が終わり、平和な空間で農作業して暮らす人々に、また戦争が始まったのだ。 この平和な空間へのTHAAD配置は誤っているというメッセージを伝えたかった。 ここはそうすることができるような場所ではないということを見せたかった。 運動的な戦略で、それで題名も韶成里だ。

出演陣の個人的な話も興味深かった

韶成里婦女会長さんと話す、「イム・スンブン」という名前を探して行く過程を一つのストーリーとして捉えなければならないと考えた。 イム・スンブン会長がTHAADを体験して、どう抵抗するのか、 彼女の名前と顔を見せたかった。 韶成里とは名前と共に、闘争するおばあさんたちの顔と名前を刻印させたかった。

観客が少ないのは残念だ

知っていると錯覚しているから韶成里を見に来ないようだ。 独特な地点は、韶成里THAAD配置作業をしている間に政権が変わってしまった。 平和ムードができて、この雰囲気が延びて、政権が努めているのでTHAAD配置が解決すると楽観している人もいるようだ。 また闘争現場についての話なので、漠然と似てるのではないかと思う人もいる。 また、闘争がちょっと多いか。 そんな疲労感もある。 それで違うように表現しようと努力した。 しかし日常生活で忙しい人にもっと積極的に調べてみろ、 知っていることをアップデートしろと言えるのかとも思う。

南北に春が来るという期待でいっぱいだ。余計なことをすると非難されてはいないか

南北首脳会談をブラウン管で見ていた。 両首脳が橋を歩く時にジーンとして、こんな姿を見られるとは面白いと思い、 コンクリートを行ったり来たりした時は面白くも感動的だった。 ところでその瞬間、おばあさんたちがどう見ているのか想像すると、気持ちがとても重かった。 相変らずその空間は警察と軍人と対峙しているから。 平和ムードは支持するが、本当の平和がきたのか、来ているのかという本質的な質問をしてみなければならない。 防御用であれ攻撃用であれ、戦争の武器が今なお残っている空間で、平和を話せるのかということだ。 私はこんなことを言うしかない。 知らないのなら知らないのだろうが、(国防政策に)呼応して支持できない人だ。 「韶成里」を見た人たちは、これから落ち着かないだろう。 平和ムードができて、待てという言葉を聞けば、まさに苦しがむ人たちの顔がはっきりと見えるだろう。

不法なTHAAD配置に対する謝罪と無用の物であるTHAAD撤回を要求する映画人255人の署名に最も早く名前を上げたよ。キャンドルの念願で誕生した政府を支持する気持ちを抱いて、THAADに反対して配置過程の暴力に謝罪しろと要求した。

「韶成里」を映画として評価されることがすべてではない。 私が今までそう活動してこなかった。 昨年、釜山映画祭で私の映画が上映されるといった時、何ができるか考えた。 映画人を組織して、THAAD反対の声をあげて、韶成里の平和を話さなければならなかった。 映画館の中で観客が同意すれば一緒にピケッティングをしたし、 映画の殿堂では1人デモする監督を見つけて署名する作業をした。 映画を媒介として共に闘争することにが意味ある。

行動と芸術は違うという人もいる

活動が担保されない芸術は、私にとって無意味だ。 密陽と韶成里、似たような現場だが、観客にどう違った体験をさせるのかについての悩みをずっと持っている。 話、メッセージよりも映画的にどのようにして出会うのかについての悩みだ。 現場をもっと違うように体験させて、韶成里はどんな空間なのか、ここで人々はどう暮らしているのかを話したい。 映画的に悩むとしても、それが結局どう変えていくのかについての考えだ。 それが連結してこそ意味がある。(区分しようとする試みを)非難したくはない。

女性、障害者、労働者が、あなたが深く掘り下げるキーワードと主題だ。なぜ男性で非障害者のあなたがそのようにこだわるのか気になる。

保守的な町で30年暮らし、軍隊文化に慣れた。 偶然にドキュメンタリーに接して「世の中はちょっと変だね?」という気がし始めた。 障害者が主人公の〈蝶々と海〉を撮りながら、母性がある部分では社会的に作られたものだと初めて知った。 ずっと勉強した。 この社会が障害者、あるいは少数者をなくすために、どんなシステムを備えているのか。 障害者や女性の闘争現場をどう隠そうとするのか、そんな問いをその時に始めた。 女性、障害者、労働者の権利がきちんと確立した時、この社会がきちんと一歩を踏み出せるのではないかとその時から話していた。 相変らず男性なので、特定の瞬間に特定の懸案に発揮される私の男性的な感受性を点検しながら。 作品もそうだが、生きていく方式も、フェミニストになるためだ。 社会がきちんと一歩を踏み出す前に、まず私がきちんと生きていかなければならないから。

12年目の独立ドキュメンタリー監督だ。迂余曲折も多かったようだ。

まず私の作品のクレジットを見れば、演出、撮影、編集をみんな私がしている。 費用がないからだ。 撮影監督がいて、助演出もついていれば、私が気を遣う部分は少なくなって、 演出だけに気を遣えるのだが。 今までは私に力が残っていて、環境がよくなくてもすぐに投入して撮ってきた。 今の作業が終われば2、3年ほど休む予定だ。 次の作業が10番目の長編だが、産業社会を経て廃虚になって行く空間についての映画だ。 移住労働者、老いた労働者、都市再生事業が破壊した共同体住民が出てくる。 時代が持つ感受性、そして私が育った所、思想という空間の感受性を描きたい。

ドキュメンタリー映画の魅力は何か

世の中のシステムを少しずつ変える話をしたくて、ドキュメンタリー監督という職業を選択した。 ティーシャツ、半ズボンにサンダルを履いて、これぐらいのカメラを持って追いかけながら、お年寄りらに叱られる、現場に入り込む感じも好きだ。 都市とは違う速度を体験することが楽しい。 もちろん私の映画の空間は郊外でもある。 結局、辺境地の話だ。 特に意味を付与されず、規定されない人々の話だ。[ワーカーズ43号]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-07-16 20:19:26 / Last modified on 2018-07-16 20:19:31 Copyright: Default

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