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群山、近代での時間旅行、あるいは時間停止

[ワーカーズ人権の場所]群山でみた戦争と女性

ミョンスク(人権運動サランバン) 2018.01.15 10:37

[出処:サゲ]

[出処:サゲ]

「近代への時間旅行」。 1920年代の建築物がそのまま残っている群山を広報する文句だ。 時間は逆方向には流れないので、魅惑的であると同時に致命的だ。 そんな時間を逆に味わう旅行とは、どれほど魅力的なのか。 しかしときめきがなかったのは、恐らく米軍基地拡張に反対する平和デモ行進のためだったか。 377万坪にもなる米軍基地から漏れ出した油の帯がまだ鮮やかに目に浮かぶ。 正確に言えば、そこではいつも近現代の方向が私をときめかさなかった。

複雑な気持ちで群山高速ターミナルに到着した私を迎えてくれたのは、平和パラムのク・ジュンソ氏であった。 今回の人権紀行の道案内だ。 彼は文正鉉(ムン・ジョンヒョン)神父と共に群山米軍基地拡張反対闘争をはじめ、 江汀海軍基地反対闘争まで、朝鮮半島の戦争基地化と正面から闘った人だ。 忙しい彼がこっけいな表情で私たちを一番最初に連れていったのは食堂だった。 何といっても旅行を甘美にするのは美味しい店だから。 しかし日曜日だからか、開いているところが殆どなく、徒労だった。 チャプチェご飯とチャンポンで有名な中華料理店も、 地元の住民しか知らないという海産物カルククス屋も門を閉めていた。 他では味わうのが難しいというチャンカルククスでも食べようと、 永和洞のカルククス屋に連れて行かれた。 ようやく旅行客の気持ちになった。 カルククス屋の壁には少女像がかかっていた。 主人が日本軍慰安婦問題を客に知らせるために注文製作したものだという。

[出処:サゲ]

食堂を出て、永和洞一帯の建物を見た。 建物に植民地の残滓がそのまま残る一帯だ。 いわゆる敵産家屋の日本式住宅が多い。 敵産とは、敵の財産という意味で、解放後に日本人が出ていって残した企業、土地 そして住宅をはじめとする各種の不動産と動産類をいう。 月明洞と永和洞、新興洞の一帯は敵産家屋が多い。 蔵米洞には近代歴史博物館があり、近くには朝鮮銀行、旧群山税関がある。 われわれはそこまで行かず、永和洞一帯の敵産家屋を見て回った。 カフェに改造されたところもあり、コンビニになったところも目に入った。 1920年代、1930年代と建物で会うのは新しい経験だ。 「日本の着物を着て写真を撮る家もあるんですって。 看板も観光客を引き寄せるため、日本式の格子模様にしました。 ゲストハウスも日本式家屋を復元して。 誰かの痛みを理解して痛みを収奪したことを記憶はしないってことだね」。 彼の言葉で突然、気分がすっきりした。 こうして建物に惑わされ、苦しんだ人々のことまで忘れてしまうんだな。

国家が介入して遊郭村を形成した

われわれは反対側に神社の跡が見える水徳山公園に行った。 彼は神社の位置を指して、その下にある小学校について説明した。 日帝の時はそこで神社に参拝しに行く人々の服装がちゃんとしているのかを検査しなければ、神社に行くことができなかったと言う。 映画〈8月のクリスマス〉で駆けっこをした小学校とだけ思っていたが違って見えた。 その左側を回って戻ると、ヘマングルがある。 ヘマングルは水産物が好きだった日本人に対し、 早く水産物を供給するために山を掘ったトンネルで、 朝鮮戦争の時は人民軍がいたという。

植民地が奪っていったのは土地と穀物だけではなかった。 彼が紹介したところは遊郭だった。 遊郭は日本人の風俗店で、国家が性を管理する公娼制の公式な根源だ。 遊郭は日本人居留地の中心にしかなかったが、1906年に統監部が設置された後に全国化された。 「公娼制というのは植民地の時に始まりました。 性売買の合法化がこの時に始まったのです。 1899年に群山が開港してから、日本人が入ってきます。 その時に遊郭ができます。 公式な記録では、1902年に釜山、1904年にソウルに新町遊郭ができたのですが、 群山には公式な記録よりも早く遊郭がありました。 群山の大明洞、明山洞といった地域に遊郭ができた時、金融資本も力を使いました。 金融業者が金を借してくれたり、遊郭の土地を見つけるといったような形でした。 風俗業は金になるから。 当時、群山理事庁がありましたが、そこで遊郭地域を選定したという記録があります。 国家が介入して遊郭村を形成したのです」。

解放後、米軍政庁として使われた建物を通りすぎる頃、 彼は米軍政の偽善について話し出した。 米軍は非人道的な公娼制を廃止するために 「婦女子の売買またはその売買契約の禁止に関する法令」を1946年5月に公布・施行した。 法に違反した者は軍政裁判によって処罰されると規定されていたが、有名無実だった。 遊郭にいた女性たちが自立する社会的経済的な基盤もないうえに、抱主が反発した。 1947年11月、やっと「公娼制度など廃止令」が公布され、1948年に効力が発生した。 しかしク氏は、米軍政の公娼廃止令は虚構だと言う。 「日本の芸者たちは家に帰れば良いが、韓国の人たちは行くところがなかった。 路上に追い出された形だ。 だから個別に米兵を対象に営業をしたりもしたらしい。 高級料亭はミュージックホールに名前を変えて。 ミュージックホールは一種のナイトクラブだが、 それがずっと並んでいるほど多かったそうだ」。

彼は当時、遊郭村だった明山市場へと私たちを連れて行った。 戦争後、遊郭は避難民が仮の住まいとして使い、市場が形成された。 当時、大きな遊郭の一つだった七福楼の場所を通った。 1949年から群山華僑小学校として使われたが、 2002年に火事が起きて新しい建物になった。

[出処:サゲ]

[出処:サゲ]

誰のための性産業なのか
大明洞、開福洞惨事で犠牲になった女性たち

戦争と共に成長した性産業は過去のものではない。 日帝はいなくなり、米軍政も消えたが、相変らず群山には米軍基地があり、 米軍基地がある所には必ず性売買集結地がある。 いわゆる基地村だ。 その残滓は開福洞、大明洞の性産業と連結して、女性たちのからだと性を吸い込んだ。 みごとな性的搾取の鎖は2000年と2002年、女性たちの命を奪った。

われわれは、開福洞と大明洞に移った。 新倉洞の住公アパート団地の丘を通ると風俗店が見えた。 扉を閉めたような建物の1階にはガラスがあり、2階の部屋には緑のフィルムを貼った窓が見えた。 しかしおかしい。 ガラス窓の後に鉄製の防犯金網とは。 泥棒を防ぐためならガラス窓の手前になければならないが。 その近くの住宅の防犯窓とも違う。 中にいる人が出られないように防いでいるのだ。 鳥肌が立った。 ああ、ああして性売買女性たちが監禁され、 火事が起きても抜け出せずに14人が死んだんだ!

すぐそばには2002年の開福洞火災惨事の場所がある。 今は撤去された建物の跡地には、風車だけが回っていた。 いくつかの風車には「反性売買の風が吹く」と書かれたリボンが舞っていた。 毎年9月、惨事の現場を訪れるタンポポ巡礼団が彼女たちの魂を賛えるために置いて行ったのだ。 火災の当時、建物の窓は合板で塞がれていただけでなく、 鉄の網が張られていて窓を開くこともとびおりることもできなかった。 すぐ30m前には派出所があっのに、抱主から上納を受けた警官たちは、不法監禁に目をつぶった。 その後、女性団体の努力で2004年に性売買特別法ができた。

女性人権団体はその場所に女性人権センターを作ろうとしたが、容易ではなかった。 国家は簡単に性産業を放棄することも、人権蹂躙を記憶しようともしない。 結局、監禁された女性たちが望んだ希望、鳥や蝶になっても抜け出したがった彼女らの気持ちを象徴した彫刻は、まだサンドル学校にある。 監禁された窓に蝶が一羽乗っている姿は孤独に見えた。 続いて2000年に惨事があった大明洞に移動した。 すぐ道の反対側だ。 大明洞火災惨事があったところは新しい建物ができ、痕跡も見つからない。 米軍基地があったからか、名前もヤンキー市場のそこには軍服を売る店が特に多かった。 前は市場の建物だが、ある路地の裏に行くと風俗店が並んでいる。 昼間なので灯りが消えた店に、すぐに見える全身鏡が営業中であることを語ってくれる。

[出処:サゲ]

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アメリカタウン、国際文化の村にも
隠せない米軍慰安婦

われわれは性産業の活性化に寄与した米軍基地村といえるアメリカタウン(Aタウン)に移動した。 空が暗くなると、誰かの涙のように雨がぽつぽつと降ってきた。 その前に米軍基地に立ち寄った。 休日だからか、ものものしいというよりは荒涼としていた。 やっと写真一枚撮ってアメリカタウンに移動した。 SBS放送〈それが知りたい〉にも出てきたように、群山のアメリカタウンは国家の積極的な協力で作られた。 米軍基地村の収入は、1960年代にはGNPの25%に達し、 クラブが稼ぐ収入が韓国全体の外貨収入の10%に迫っていた。 朴正煕(パク・チョンヒ)はドルを稼いだと言って表彰もした。 しかし入口に置かれた柱には、国際文化の村と紹介されている。 2008年だったか2009年に、Aタウンの名前を変えたという。 手の平で天を隠そうとしたのか、少しでも恥を感じたからなのか。 しかし、また名前を変えたところがあった。 国際文化の村健康増進室。 ク氏は2007年にも性病検疫所と書かれていたという。

1969年、アジア地域の米軍削減計画を含む「ニクソンドクトリン」が発表された後、 米軍の削減を憂慮した政府は強制的な性病管理を始めた。 1971年、青瓦台は駐韓米軍撤収抑制のために「基地村浄化委員会」を作って管理した。 今年の1月、1審だが、裁判所は「韓国内基地村米軍慰安婦国家損害賠償請求訴訟」で米軍慰安婦の存在を認め、これに対する国家責任を一部認めた。

アメリカタウンの建設には朴正煕軍事政権の側近が中心的な役割を果たした。 ク氏は「516クーデターに加担した白泰夏(ペク・テハ)が群山に株式会社オックを作った。 オックがアメリカタウンを造成した。 株式会社が作った民間人基地村だ。 本来はここで農業をしていた所だが、Aタウンを作るために強制収容された。 家と農地を奪い、タウンを造成して、今は管理をしている」。 国家の計画で性的暴力と搾取の対象になった存在が基地村女性、米軍隊慰安婦の実体だ。 そしてその中間に性産業がある。

アメリカタウンの中に入った。 クラブと商店を通り、丘の末に到着すると、廃虚になった建物が見える。 ク氏は過去に女性従事者が住んでいた居住地だという。 蜂の巣や月部屋と呼ばれた建物がぞろぞろと立ち並び、その後に塀がある。 塀の上にはガラス片が刺さっている。 どのようにして女性たちを統制したのかは想像できる。 今はロシアや東南アジアの女性たちがいるという。 国籍が変わっただけで、相変らず戦争と国家、性産業は、女性を性的な道具として収奪していた。

いつのまにかわずかな光もない夜になった。 初めて群山を一回りする女性たちの時空間を経由すると、まさに日が暮れるのも気付かなかった。 永和洞から開福洞、明山洞を経て、山北洞まで、そこで向き合った女性たちの人生は、そのままであった。 名前だけが遊郭からミュージックホールに、アメリカタウンに、遊興店舗に変わっただけ。 これは時間旅行なのか、時間停止なのか。[ワーカーズ38号]

[出処:サゲ]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-01-18 16:43:39 / Last modified on 2018-01-18 16:43:41 Copyright: Default

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