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News Item 20170906
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あの時あの時期-雇用20年史

[ワーカーズ イシュー] 1997.1121.20000.982

キム・ハンジュ、パク・タソル、ユン・ジヨン記者 2017.09.05 11:09

すでに20年も前の話だ。 もう一世代が過ぎたので、97年頃の事件はただ苦しかった人生の峠ぐらいでやりすごされる。 だが記憶は未来に向かうという。 20年前の悪夢のような記憶ははるか未来を先行獲得してしまった。 流行歌が変わり、ファッションが変わり、生活と文化が変わっても、 苦しみと不安がいつもついてきた。 20年間、多くの雇用政策があふれたが、いつも空に櫓を漕ぐような気がするのはなぜであろうか。

あの時、あの時期の雇用政策 1.金大中政府

IMF外国為替危機で失業大乱が頂点を打った98年2月。 当時の失業者数は123万5千人に達した。 わずか4か月で78万人が路上に追いやられた。 一軒置きに一軒の割合で嘆きの声が聞こえる時であった。 その年に就任した金大中(キム・デジュン)政府は何とかして事態を収拾しなければならなかった。 雇用を創出して、失職者を保護して、国民の人生を安定させなければならなかった。 金大中政府は任期5年間に失業対策予算として26兆6千億ウォンを注ぎ込んだ。 歴代で最高の雇用予算だった。 統計上は明らかに確実な効果が現れた。 就任初期に6.8%だった失業率は、任期最後の年の2002年には3.6%まで下がった。 IMF外国為替危機が退路を見つけたようだった。 だが誤った判断だった。 その後、雇用の質と賃金所得は最悪の最悪を繰り返した。 20年経った2017年、青年失業率は何と10.5%。 また最悪の記録を塗り替えた。

金大中政府は99年3月、 「雇用創出と失職者保護のための失業対策強化方案」を出した。 雇用創出方案は2種類だった。 恒久的な雇用と短期的な雇用。 そのうち政府が「恒久的雇用」対策として出したのは、 「中小・ベンチャー企業創業活性化」だった。 当時、政府は中小製造業者数を97年の9万2千社から2005年には15万社に拡大するという目標をたてた。 創業資金の支援が大幅に拡大した。 目標値にははるかに達しないが、中小企業の数は着実に増えた。 2015年度基準で、中小製造業者の数は約13万4千社程度だ。 問題は量的増加ほどには質的上昇はなされず、そのための政策も不在だったという点だ。 労働者たちがベルトを締め直すことが国民統合だと感じたその時期を経て、 中小企業の労働者たちの賃金と労働条件は日に日に劣悪になった。 実際に、93年には73.5%だった大企業と中小企業労働者の賃金の割合は、 ますます格差が広がって昨年は54.5%まで落ちた。 そればかりか、中小メーカーの平均寿命もわずか12.3年に減った。 昨年、中小メーカーのうち、20年以上続く業者は11.7%に過ぎなかった。 しかし10年未満の事業場は53.9%に達する。

もうひとつの恒久的雇用対策だったベンチャー企業育成政策も事情は似たようなものだ。 金大中政府はベンチャー企業対象業種の拡大、 税制支援拡大をはじめ、 KOSDAQの企業登録要件を資本蚕食率30%まで認めるなどのベンチャー企業育成政策を取った。 その結果、99年に4934社だったベンチャー企業は翌年8798社まで幾何級数的に増えた。 1次ベンチャーブームだった。 だが栄光は長くは続かなかった。 2000年に米国ナスダックの先端技術銘柄が暴落して、KOSDAQも急激に崩壊した。 ベンチャーブームのバブルが消え、ベンチャー事業に飛び込んで信用不良者に転落した人が続出した。 その後、ベンチャー事業は「バブル経済」の象徴になったが、歴代の政権はすべて 「2次ベンチャーブーム」をスローガンにして投資活性化政策を出した。 政府次元の創業手続きや進入規制の緩和が度重なり、 ベンチャー企業の数は今年、3万4720社を記録した。 だがこれらの中で生存に失敗して莫大な借金をかかえたり、 政府から延命措置を受けている不良企業も多い。 昨年、共に民主党の金秉寛(キム・ビョングァン)議員が発表した資料によれば、 この5年間で完全資本蚕食ベンチャー企業に対して保証あるいは資金を支援した回数は約3万9千件であり、 金額は総額13兆5800億ウォンにのぼる。 大韓商工会議所によれば、ベンチャー企業のうち62%は3年も粘れずに扉を閉めることが明らかになった。

短期的雇用創出は文字通り「短期アルバイト」の水準だった。 高学歴未就業者に対しては、インターン制と学校および公共機関の短期雇用を拡大した。 青年たちは小中高校の補助教師や電算要員、観光名所のヘルパー人、観光宿泊施設のインターン社員などの雇用に配置された。 失業率が最も高かった高卒未就業者を対象としては、高卒インターン制を実施した。 失業対策のうち最も多額の予算が投入された単一事業は「公共勤労事業」だった。 総額5兆8653億ウォンが公共勤労支援予算として使われた。 河川清掃、交通整理や駐車指導員、森林の手入れ、自律防犯要員といった短期雇用が創出された。 これに関する批判も激しかった。 政府が3か月短期雇用の公共勤労事業参加者約15〜39万人を就業者に分類し、失業者を縮小させたという指摘だった。 決定的だったのは、雇用対策が「創業」でなければ質が低い短期アルバイトに集中しており、 非正規職の拡大を放置したという批判だった。 その上、金大中政府は雇用対策として外国人投資誘致のための各種の規制緩和とインセンティブの提供に熱を上げた。 当初、外国人直接投資に対して消極的だった韓国は、金大中政府を起点として超国籍資本の敵対的買収合併と外国人の不動産取得の道をすべて開いた。 民間職業紹介業の規制も解除した。 許可制を登録制に転換し、従事者の教育訓練も廃止して、 事業主が人員募集を委託する時に労働部長官の許可を受けるという規定もすべてなくした。 結果的に金大中政府の雇用創出事業は、雇用の質の悪化と所得格差として現れた。 経済活動への参加率も98年の水準から抜け出せなかった。 その代わりに賃金勤労者のうち、臨時職や日雇い労働者だけが44.5%(98年2月)から49.0%(03年2月)へと増加した。

あの時、あの時期の雇用政策 2.盧武鉉政府

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権になっても雇用危機は続いた。 失業の苦痛は青年と低所得層に集中した。 2000年の全体失業率は4.1%だったが、青年失業率は8.1%と二倍ほどの違いが生じた。 その後も青年失業率は足踏み状態に留まり、04年に8.3%、06年に7.9%を記録した。 政府は2003年9月、「青年失業対策」を発表し、短期および中長期の雇用創出計画を発表した。 短期雇用対策は、金大中政府の政策と大同小異だった。 進学しない青少年や新規卒業者を対象に公共部門臨時雇用を提供して、 国内インターンおよび海外インターン、奉仕団派遣などの雇用を作った。 短期雇用のうち最も割合が増えた事業は、 放課後教室、療養および看病サービス、特殊教育補助員などの「社会的雇用(社会サービス雇用)」だった。 合わせて公務員や軍副士官などの新規公職採用の拡大計画も発表した。 中長期雇用対策においては、以前の政権と差異をおいた。 盧武鉉政権による中長期雇用対策は「ワークシェア」だった。 勤労時間短縮によるワークシェア方案もあったが、 短時間勤労者の拡大と勤労時間の柔軟化などの不安定労働拡散計画も含まれた。

2004年2月に発表した「雇用創出総合対策」では盧武鉉政権の方向性がさらに明確に現れた。 政府は当時、雇用創出の「基本方向」で、 「雇用創出の主体は企業なので、政府は企業の経営に好ましい環境を構築することに力を入れる」という方針を明らかにした。 従来は政府が「失業者」に直接雇用を支援する形式だとすれば、 今は支援対象を「企業」にするということだ。 そのために政府が出した政策は、まさに医療および教育部門の「民営化」だった。 盧武鉉政権は、雇用創出という美名の下で、 経済自由区域に外国人と外国法人が営利医療機関を設立できるようにする法案を進めた。 経済自由区域法は、営利目的の外国教育機関の設立など、教育開放を全面化する内容も含まれていた。 その上、経済自由区域に入居する外国人投資企業には、 勤労基準法に明示された有給月次休暇、生理休暇、派遣法上派遣対象業種制限および期間などを免除する条項もあった。

2005年には「人立国雇用委員会」を構成した。 そして翌年、政府の雇用哲学と基本政策方向を集大成した 「雇用創出と社会統合のための国家雇用戦略」を発表した。 政府はこれを通じて、労働界をはじめとする国民に「労働柔軟化」を受け入れろと要求した。 特に「大企業、有労組、正規職」と「中小企業、無労組、非正規職」を二分化し、 大企業正規職の譲歩を圧迫する戦略を試みた。 政府は雇用危機の原因を 「労働市場の柔軟安定性が不足しているため」と明らかにし 「大企業、有労組、正規職の場合、相対的に多くの保護を受けているが、 中小企業、無労組、非正規職の場合は雇用不安が高く、 各種の制度の死角地帯に存在している」と強調した。 これに伴って政府が出した対策は、 弾力的な勤労および裁量勤労制度の拡大、成果給賃金体系の拡散などの労働柔軟化政策だった。

その後も盧武鉉政権は雇用問題を「正規職過保護」に求めた。 政府は04年の「公共部門非正規職対策」で、 公共部門の非正規職のうち、規模が大きい職種を無期契約または契約自動更新に転換する方案を発表した。 これと共に、06年には「公共機関非正規職総合対策」を発表し、 正規職の硬直性を緩和するとして、 賃金ピーク制、短時間勤労、評価および成果給制拡大適用などを試みた。 「非正規職雇用改善総合対策」でも、非正規職乱用の構造的要因が 「正規職労働市場の硬直性」だと指摘した。 盧武鉉政権は、 低成長、低雇用時代の雇用創出を「労働柔軟性」に求めようとしたが、 非経済活動人口と青年失業が増加する結果を生んだ。 また、政府の予算を投入した短期的、低賃金雇用の拡大が、 主な政策だったという点は、金大中政府と大きく違わなかった。

あの時、あの時期の雇用政策 3.李明博・朴槿恵政府

再び政権が変わったが、雇用対策は大きく変わっらなかった。 序盤まではそうだった。 李明博政権が08年に発表した「労働分野国政課題推進方向」は、 それまでの政府が進めてきた雇用対策と似ていた。 賃金および勤労時間、雇用柔軟化をはじめ、海外就労およびインターン拡大のような政策が含まれていた。 だがその年の末、世界金融危機で雇用危機が深刻化し、 李明博政権は既存の公約を廃棄して土建中心の非正規低賃金雇用を拡大する「暴走」を始めた。 いわゆる「緑色ニューディール-雇用96万」政策だった。 36の緑色ニューディール事業では、4大河川を含む土木建設事業が78%を占め、 全雇用の97%が非正規、単純労務職だった。 暴走はここで止まらなかった。 李明博政権は2年に制限された期間制雇用期間のために大量失職が予想されるとし、 この期間を2年から4年に延長する方案を推進した。 派遣使用期間の延長および派遣業務を拡大する派遣法改悪にも出た。 公共部門ワークシェアを名分として、大卒初任の削減などの賃金カットにオールインした。 仕事と家庭の両立を実現するとし、時間制雇用も拡大した。 公共機関先進化という美名の下に1万9千人を削減し、1万人のインターンを採用する計画を出した。

朴槿恵(パク・クネ)政権でも雇用の暗黒期が続いた。 雇用労働部と経済人総連、韓国労総は13年5月、 「雇用率70%達成のための労使政雇用協約」に合意した。 協約書の骨子は盧武鉉政権の 「国家雇用戦略」の基調と似ていた。 労使政は協約書を通して 「企業の成長と投資活性化が良質の雇用の拡大、勤労者の生活の質を改善するため最も効果的な方法」と指摘した。 「正規職譲歩」を圧迫する戦略も似ていた。 朴槿恵政権が雇用率70%達成のためにオールインしたのは時間制雇用の拡大であった。 5年間93万の時間選択制雇用を作るとし、 サムスンとLG、ロッテなど10大企業を押し出して大々的な広報に出た。 14年には公共部門で初めて「時間制一般職公務員」の採用を推進した。 また、労使政協約には労使が自主的に高賃金役職員の賃上げを自制し、 賃上げ分を非正規職処遇改善に活用するという「正規職賃金削減」の内容も含まれていた。 賃金ピーク制、賃金構造単純化などの賃金体系改編と団体協約および就業規則変更に積極協力するという労働改悪的な要素もあった。

李明博朴槿恵政権の「雇用率対策」は、 新自由主義労働政策の全面化であった。 朴槿恵政権と与党は15年の「労働市場構造改善のための労使政合意」を根拠として5大労働立法案を推進した。 ここには35歳以上の期間制非正規職の使用期間を4年に延長し、 派遣対象業務を根産業まで大挙認め、8時間の追加延長勤労を認めるなどの内容が含まれた。 公共部門を対象としては、公共機関成果年俸制全面拡大と退出制導入を推進し、 公務員年金も削減するなど、大々的な労働条件後退政策を押し通した。

20年にわたって後退してきた労働基本権

この20年間の雇用政策は、非正規職を拡大して賃金条件を下降平準化し、 二極化を深化させる過程だった。 労働者たちは反発したし、政府はこれを静めなければならなかった。 最も効果的な方法は、労働基本権を後退させて労組運動を無力化することだった。 当初、金大中政府は大統領選挙前に、労働基本権を国際水準に押し上げるという公約を掲げた。 だが執権後の動きは違った。 悪夢は98年の派遣法と整理解雇制度の導入から始まった。 「労使政委員会」という機構を通じて「派遣法と整理解雇法」を「教員労組合法化と失業者の労組加入」等の労働基本権問題とバーターしようとした。 前者はいち早く通過したが、後者は一足遅れて立法化されたり漂流した。 金大中政府の時の拘束労働者数も828人に達した。 金泳三政権当時の拘束労働者数、632人より30%増えた。 2001年にはその年に施行することになっていた単位事業場複数労組許容を5年間留保した。 大統領選挙の公約だった公務員の労働基本権保障約束は守られず、警察兵力を投入して公務員労組出帆式を強制解散させた。

2003年に盧武鉉政権が発表した「労使関係ロードマップ」も、労働基本権制約指針書そのものだった。 必須共益事業場でのストライキの時に代替労働を認め、ストライキの適法性とは無関係に職場閉鎖が可能になった。 事業場への無断出入と占拠座り込みを侵入罪および業務妨害罪などで制裁できる方案、 不当解雇救済時の金銭補償制により復職を代替する方案、 複数労組窓口一本化方案なども含まれた。 同年、政府は国家的危機状況を呼ぶと判断されるストライキが発生した時は、 民間の人員と装備を徴発して業務復帰を命令することができる「国家危機対応特別法」の制定を検討して議論を起こした。 2004年には派遣業種をネガティブ方式に転換して派遣期間を延長するなどの派遣法、期間制法改悪も続いた。 盧武鉉政権で拘束された労働者数だけで1042人にのぼる。

李明博政権は 「労組破壊シナリオ」を稼動させて露骨な労組無力化戦略を展開した。 まず2010年1月1日、政府与党は複数労組の許容延期、 産別労組交渉単位の不認定、労組専従者賃金支払い延期等を含む労組法改正案をかっぱらいで通過した。 そして2011年7月、複数労組と窓口一本化制度が施行され、 これを悪用した労組弾圧が行われた。 2012年は労働界にとっては悪夢の年であった。 政府と企業、創造コンサルティング、用役業者はストライキ誘導→用役投入→攻撃的職場閉鎖→御用労組設立につながる労組破壊合同作戦を展開した。 SJM、マンド、ヴァレオマンド、KEC、ユソン企業、コンチネンタルなどの労組が相次いで少数労組に転落した。

朴槿恵政権になって初めての標的は、公務員、教師であった。 2013年7月、労働部は公務員労組に労組設立申告畢証を交付するという記者会見を開催する予定だったが、 2時間前に突然日程を取り消した。 そして一週間後、労働部は公務員労組の労組設立申告書を返戻した。 2か月後には「解職教師9人を労組から排除しなかった」という理由で、 全教組に「労組ではない」と通知した。 その年の12月に発生した鉄道労組ストライキでは、史上初めて民主労総の事務室を侵奪した。 当時の鉄道民営化ストライキは組合員8797人の職位解除、191人の告訴告発、290人の懲戒回付、152億の損害賠償請求、116億の仮差押え、10億の慰謝料請求訴訟という最大の弾圧を記録した。 朴槿恵政権の労働基本権弾圧は 「労働改悪二大指針」で頂点を打った。 政府は2016年1月、別名「やさしい解雇」と呼ばれる低成果者の一般解雇と過半数労組や過半数勤労者の同意がなくても賃金体系を変更できる 「就業規則不利益変更」の指針を発表した。

そして、これからの5年

2017年。 雰囲気は確かに違う。 改革政権、保守政権を問わず、執権の初めから刃を研いできた労働界の態度の変化も眼につく。 文在寅(ムン・ジェイン)大統領就任100日を前にした去る8月16日、 民主労総は論評を通じて 「100日をむかえた時点で文在寅政府に対する一面的評価をするのはまだ早い」とし 「雇用委員会の発足と共に、公共部門の非正規職の正規職転換を推進していることは、 それ自体としてこれまでの政権とは違った道、労働政策の転換を見せたという点で高く評価する」と明らかにした。 だが文在寅政府の労働政策がこれまでの政権と違った道を行っていると評価することも、明らかに時期尚早の感がある。

先立って大統領直属雇用委員会は6月1日、「雇用100日計画」を発表した。 その中で、公務員の追加採用および社会的サービス雇用の拡充などの公共部門雇用創出方案は、以前の政権の事業と似ている。 中小企業と創業企業に対する金融、税制支援拡大、新産業に対する規制緩和、雇用創出企業に税制優遇、社会的企業などの社会的経済の育成による雇用創出なども、 過去と違わない政策だ。 その上「労使共生型雇用モデル」は正規職労働者の賃金を抑制して雇用を創り出す政策だ。 これは過去の政権が押し出した「正規職譲歩論」と一脈相通じる。

ただし、文在寅政府はこれまでの政権とは違い、「雇用の質の向上」にかなり力を入れている。 政府は就任直後から現在まで、「公共部門の非正規職の正規職転換」を重点事業として推進している。 だが転換対象者が拡大し、規模が増えたという点を除いては、 「基本原則」から「転換方式」まで、過去の政策とあまり違わない。 賃上げを抑制し、子会社の設立で迂回的な正規職転換を試みるのは、 「正規職化」というよりは「無期契約職」への転換に近い。 無期契約職への転換は、盧武鉉朴槿恵政権の時も進められた政策だ。 雇用が保障されるだけで、賃金と昇進などでは差別される新しい非正規職の形態だ。 「国民の負担を最小化しつつ、正規職の連帯で推進する」という基本原則も、 正規職譲歩論の婉曲な表現だ。

文在寅大統領は候補だった時に大学生たちと会い 「参与政府が非正規職・二極化の問題にきちんと対応できなかった点が骨身にしみる」と反省した。 非正規職と二極化の出発点は、20年前の金大中政府の時に進められた派遣法と整理解雇制の導入だった。 盧武鉉政権の派遣法、期間制法改悪は、問題をさらに拡大、深化させ、 その後保守政権が新自由主義労働政策を押し通すための踏み台を作った。 現政権が過去とは違う労働政策の転換を試みようとするのなら、 20年前の痛恨の法案からまず手をつけなければならないが、 まだそのような気配は見られない。 その上、現政権が労働基本権問題については微温的な態度を見せているという指摘もある。 実際に大統領選挙の時に文在寅大統領は就任すれば直ちに公務員の労働基本権を保障すると約束したが、 100日が過ぎた今も、まったく何の便りもない。 朴槿恵政権の時に 「労組ではない」と通知を受けた全教組も、相変らず法外労組の身分だ。 そして去る8月23日。 政府はムン・ソンヒョン前民主労働党代表を労使政委員長に委嘱した。 派遣法と整理解雇法を始め、朴槿恵の5大労働法案まで、 労働改悪の波瀾万丈な歴史を作ってきた労使政委をわざわざ直して使うという意志だ。 民主労総は声明を通じて 「去る盧武鉉政権でも親労働界の代表者が労使政委員長になったが、 非正規悪法をめぐる鋭い対立を露呈しただけで、本来の役割を果たせなかった歴史を反すうすべきだ」と警告した。

20年前の悪夢のような記憶が再び未来へと向かう。 労働改悪の波瀾万丈な歴史は、絶えず現実の足を引っ張る。 果たしてわれわれは不安なだけのこれまでの人生と、クールに別れられるのだろうか。[ワーカーズ34号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-09-14 11:10:54 / Last modified on 2017-09-14 11:10:56 Copyright: Default

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