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通貨緊縮の開始? そして財政緊縮の終わらない苦痛

[ワーカーズ]経済で見る世の中

ソン・ミョングァン(チャムセサン研究所) 2017.08.03 15:27

流動性パーティーは終わり? 「緊縮発作」の始まりか?

経済学でいう「流動性」とは、まさにお金のことを意味する。 そのため普通「流動性パーティー」というのは、低金利政策などの緩和的な通貨政策でお金があふれることを意味する時に使ったりする。 ところで最近いきなり、「流動性パーティーは終わった」という表現が日刊紙の経済面に登場し始めた。 ドイツ、米国、日本の国債金利が急上昇して債権価格が急落したというニュースが出てきた。 その理由は世界金融市場の後に倍加した米国中央銀行(Fed)に続き、 ヨーロッパ中央銀行(ECB)、国中央銀行(BOE)などが続々と通貨緊縮信号を送ったためだ。 この10年間維持されてきた各国の量的緩和(QE)政策が、また回帰の兆しを見せているのだ。

これは5年前、当時の米国中央銀行のベン・バーナンキ議長が緊縮を示唆する発言の後、 世界の金融市場が瞬間揺れ動いて大混乱に陥った場面を思い出させる。 これを契機としてその後、「緊縮発作」という用語が生じたほどだが、 果たして各国の中央銀行は「緊縮発作」を起こさずに現在の計画のとおりに緩和的な通貨政策を取ることができるのかの帰趨が注目されている。 この10年間、量的緩和政策により中央銀行が買った長期国債などの債権資産をまた売り始めれば、 債権価格の下落と市中金利の上昇は必然的だからだ。 これまで債権資産に多くの投資をした機関の損失は火を見るように明らかだ。 負債をたくさん抱えている企業と個人も金利引き上げによる費用負担はさらに大きくなるのは自明だろう。 そのため、もうパーティーは終わったとマスコミ各社が書いているのだ。

しかしふと一つの疑問が浮かぶ。 果たして私たちにとって「パーティー」といえるようなものがあっただろうか? 2008年の金融危機から10年間、私たちの周辺に金があふれ出て楽しいパーティーを楽しんだ記憶はない。 この言葉の通りなら、私たちの財布は金で一杯になっているはずだろう。 果たしてどんなパーティーが私たちにあったのか、問い直さざるをえない。 ご存知の通り、そんなことはなかった。 帳簿の数字で決められる債権価格と株式価格が増えただけだ。 私たちの月給通帳の数字は全く増えなかった。 貯蓄どころか毎月赤字を免れない家計もどんどん増えた。 しかも皮肉なことは、こうした通貨緊縮で市中金利が上昇すれば、最大の打撃を受ける階層は生計型負債の多い一般庶民だという点だ。 全家計負債の規模に占める割合が大きくなく、大きな社会問題とは思えないかもしれないが、 一日稼いで暮らす当事者一人一人にとってはとても致命的だ。

このように、量的緩和による緩和的通貨政策の恩恵は特定集団に集中するが、 反対に緊縮的な通貨政策は、社会に広範囲な影響を与える。 果たして「緊縮発作」なく安定した政策変更ができるのか、憂慮される部分だ。

ところでなぜこうした通貨緊縮シナリオが提起されるのだろうか? 2種類の理由が上げられるだろう。 一つは金融危機以後の金融市場の全般的な状況が安定し、 その上株式市場は過熱の様相を示し、 中央銀行の緩和的通貨政策の調整が必要になったためだ。 次に中央銀行の立場では経済が好転している状況だと判断し、 次に現れる景気低迷に備えてあらかじめ通貨政策を原状復帰させようとする先制的な対応だ。 簡単に言えば、あらかじめ金利も少し上げ、 量的緩和もあらかじめ集めておけば、次に起きる景気低迷で緩和的な通貨政策を使う余力ができるということだ。

ある者はこう言うかもしれない。 中央銀行家のこうした先制的政策対応に対して確実に悪口を言うのは難しいと。 彼らは自分たちの任務を与えられたマニュアル通りに忠実に(?)実行しているだけで、 民意によって選出された権力でもなく、ただ任命された金融官僚でしかないということだ。 その通りかもしれない。 しかし中央銀行の政策が韓国社会に与える影響は甚大だ。 金づるを握っているということは、とても大きな権力を持っているということを意味する。 私たちが体験する生活の苦痛のほとんどがお金のためではないか? だから彼らをただ普通の金融官僚とだけ見てはならないのだ。

では中央銀行の政策変化が引き起こす後遺症にどんな対応が必要なのかを考えなければならない。 ただ突然の夕立として受け入れなければならないのだろうか? 違う。経済を動かす二つの水車のうちの一つが通貨政策なら、もう一つは財政政策だが、 私たちは今まで財政政策に対してまともに話してみることができなかった。 通貨政策という水車が回って速度を下げる現時点で、 これまで特別な動きがなかった財政政策という水車に注目しないわけにはいかないのだ。

財政緊縮の長い苦痛と財政政策の転換期

2008年の金融危機以後、財政政策が大きな話題に浮上した時期は2009年だった。 当時、新しく発足したG20体制で、世界的な景気浮揚を目標として共同対応する決議がなされた。 その後、急転直下した実物経済は徐々に回復し、金融市場も安定した。 そのうちに2010年が過ぎて、ギリシャ財政危機を契機としてまた財政政策が話題に浮上した。 しかし今度は正反対に国家負債危機が議論され、大部分の国々を財政緊縮へと向けさせた。 その上韓国のように国家負債の割合が低い国も負債危機を指摘して、均衡財政を強調した。

ところで今、世界的に財政緊縮に疲れた大衆の不満が爆発している。 特にヨーロッパで行われる政治的な激変はこうした大衆の不満と連動している。 その上、7年間、緊縮の手綱を引いたイギリスの保守党政府の閣僚の間でも、緊縮に反対する声があがってきている。 先日の大型火災惨事、相次ぐテロ事態などで政府が国民の安全を守る事案にあまり金をかけていないという疑いが大衆的に広がったためだ。 保守党政府の総選挙の敗北も、財政緊縮に対する大衆の怒り、さらに多くの政府支出と賃上げへの念願などが入り乱れた結果だ。 こうした政治的対立はイタリアでも浮上したが、イタリアのレンツィ総理はヨーロッパ連合の財政規律を緩和するか延期しようと提案した。

すでにこうした政治的な対立を感知したIMFは、昨年から財政政策の拡大を注文し始めた。 ベン・バーナンキ前連準議長も在任時に中央銀行の通貨政策だけでは明らかに限界だとし、 財政政策の対応力を高めるよう強調した。 だが世界的に見れば、相変らず財政緊縮あるいは均衡財政のイデオロギーはこわれずにいる。 政治的慣性がまだ作用しているためだ。 前述のイギリスのメイ総理も、財政緊縮の中心基調を変更しないと明らかにしている。 恐らく財政緊縮の苦痛は当分続きそうだ。

ところで一つ探ってみるべき点がある。 果たして財政緊縮論者の主張のように、各国の財政状況が良くなったのか? 財政赤字は継続的に増えている。 ただし借入の規模がちょっと下がっただけだ。 相変らず政府がするべきことは多く、大衆の暮らしに責任がある選出された権力は、財政政策を放棄することができない。 韓国も朴槿恵(パク・クネ)政権の時、あれほど均衡財政を強調していたが、国家負債は増え続けた。 徐々に社会が高齢化することにより発生する福祉支出の自然増加分があるためだ。

事実、財政緊縮あるいは均衡財政論は現実に基づいた政策ではない。 「小さな政府」を強調する新自由主義の神話的理念に近い。 今や現実にこうした「小さな政府」は存在できないことが明らかになっている。 「人がいて金があるんだろ、金があって人がいるのか?」というこの諺こそ今、 私たちがぶつかっている世界を一番よく説明する言葉であろう。 英国労働党代表のコービンが主張する 「民衆のための量的緩和」という標語が恐らくこの諺を一番現実的に説明する政治的スローガンなのではないかと思う。

ぢが比較的良好な国家負債比率、経常収支黒字、外貨準備高世界7位の韓国では 「財政はどこで?」という言葉ですべての福祉政策議論を「乙たちの戦場」にしてしまうことが何度となく行われる。 最近、教育や安全分野の国家人員拡充問題で提起されるこうした均衡財政論者の攻撃は、 財政政策の転換期の中で産みの苦しみを味わっている世界的潮流と較べればずいぶん遅れた話だ。 また彼らに私たちの諺をきちんと聞かせてやりたい。 「人がいて金があるんだろ、金があって人がいるのか?」

原文(WORKERS/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-08-07 05:29:04 / Last modified on 2017-08-07 05:29:06 Copyright: Default

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