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野宿ではなく、キャンプ中です

[ワーカーズ27号]チャムセサンの話

パク・タソル記者 2016.12.05 13:54

[出処:ジョンウン記者]

ソウル市の光化門広場、セウォル号座込場の北側に50棟ほどのテントが設置された。 夜になると気温は軽く零下になるが、少しでも暖かさを分け合おうとするかのように、 テントはぎっしりとくっついている。 光化門にキャンプ村を作ろうという提案は、まず文化系ブラックリストの波紋に衝撃を受けた芸術家がした。 青瓦台が昨年5月、進歩的文化芸術家のブラックリストを作り、文化体育観光部に送った。 この事実が明らかになり、ブラックリストに入った芸術家を中心に対応が始まった。 文化芸術界の時局宣言が続き、11月5日、奇襲的に光化門にテントを設置してキャンプ村を作った。 キャンプ村を提案したソン・ギョンドン詩人は、積極的な占拠運動を考えている時に思いついたアイディアだったと話した。 ソン・ギョンドン詩人は「1100万非正規職社会に対するみじめさがあって、 家計負債1300兆とともに積もった不満がある。 青年から泥の匙、自殺共和国、ヘル朝鮮など、社会的な怒りが出てきているではないか。 そんな怒りを急進的な方式で議題化して、広場と街頭の政治を集団化する運動が必要だと考えていた時、私から広場に飛び込もうと考えた」と明らかにした。

初めは警察との衝突もあった。 11月4日、警察は数十のテントを強奪した。 文化連帯、非正規職ない世の中作りネットワーク、文化芸術家が準備したテントであった。 30人を越える芸術家と労働者は激しく抵抗し、テントなしで徹夜野宿を始めた。 続く抵抗に警察も占拠座り込みを阻止できなくなった。 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が「広場をアゴラにする」とし、 さまざまな団体を支援する立場を明らかにしたことも、 警察が光化門広場キャンプ村に手を付けられない理由になった。

韓国社会の自画像が集まる所

文化芸術家の提案で始まったが、キャンプ村は韓国社会の自画像のような非正規職労働者、 復職のために闘争する労働者などと共にした。 10年戦ったキリュン労働者、コルトコルテック労働者がいて、 現代起亜車社内下請非正規職労働者、双竜車解雇者労働者などが光化門広場に場所を作った。 初冬の天候が大股に近付いてきたが、5回の週末キャンドル集会を経て、広場の怒りはますます熱くなっている。

彼らが広場に集まったのは、単なる占拠座り込みのためだけではない。 彼らは広場に集まって、市民だけが権力の主権になることができるという定言命令と、 これを実現する新しい広場政治を模索している。 奇襲的にキャンプ村を作ったのは、市民が直接広場の主導権を持たなければならないという意味もある。 光化門広場が今の姿になったのは2009年で、まだ10年にもならない。 車両中心から歩行中心へと中心の価値は移動したが、相変らず問いは残った。 文化連帯のシン・ユア活動家は「広場を利用するにはソウル市に使用申込書を提出しなければならず、 審議を経て、使用の可否が確定する。 広場は市民のものなのに、わざわざ許諾を受けて入らなければならないのだろうかという問題意識があった」と話した。

広場の想像はすぐ現実になる

広場を公論の場にしなければならないという悩みも続いた。 11月30日午後2時、光化門広場で広場討論が開かれた。 風防けもない広場の中でいくつか机が置かれ、発表者との討論を聞こうとする市民が向かい合って座った。 主題は「広場は何を望むのか」だった。 発表者は、人権は広場においていかに守られるべきか、現在の集会デモの様式、市民が新しい政治主体になれるのか、 広場の争点に対する意見を出して退陣以後の韓国社会が行く方向を考えた。 行き来する100人ほどの市民が2時間近く続いた討論を見守った。

広場から出た政権退陣以後の悩みはきちんと集められて「広場新聞」に入れられる。 広場新聞は市民的な想像で作り出した風刺新聞で、現在2号まで発行されている。 無料で市民に配布している。 財閥拘束捜査、選挙年齢引き下げ、不正蓄財財産没収など、市民が望むニュースが仮想で構成されて載っている。 広場新聞発行委員会は 「一拍子早く問題意識を共有して、市民が主体になって社会を再構成することに意味がある」とし 「1号2万部、2号5万部を刷って集会現場で配ったが、もっとたくさん読み物が集まることを期待する」と明らかにした。

キャンプ村にはそれなりの規律もある。午前9時の「村民会議」で一日の日程と問題を共有する。 12時には「新心愛国退槿惠自律清掃奉仕団」という名前で青瓦台行く道を清掃する。 村民たちは市民意識を発揮した奉仕であって、絶対にデモではないと強調する。 この他に、コンサート、バンド公演、祭祀、作品展示、パフォーマンスなど、数え上げるのも困難なほど多様なプログラムで市民との接点を広げている。 特に「下野しロック」は11月18日に光化門広場で最初の公演を披露した後、 全国9都市で開かれる公演へと規模が大きくなった。 窮極のラインアップで毎週期待する人々が増えている。 舞台に立つことを望むアーティストも多い。 小さな舞台なので観客とのコミュニケーションができ、広場の趣旨に共感するミュージシャンが声を出したがるためだ。

「キャンプ村で私はたくさん変わった」

57号テントの入居者に会った。 キル・ジョンスン(63)氏はKTと戦っている1人デモ者だった。 近くのKTビルで毎日座り込みをするため、荷物もまとめて野宿座り込みまでしていた時、 光化門キャンプ村ができてすぐ入り、暮らしている。 彼女はキャンプ村に入城して初めて現代車非正規職、解雇労働者たちの話に接したという。 「労働者の現実をずいぶん知りました。 私が知らない世界をこの年になって知ったのです。 ユソン企業や起亜車の非正規職労働者の話を聞くと、非正規職は早くなくすべき制度なのです。」

彼女の目標も変わった。 自分の問題だけを解決するのではなく、「朴槿恵退陣」と共に出て行くということ。 入ってきた時は自由に入ってきたが、出て行く時は自由には出て行けなくなったと笑った。 地下鉄が通れば地鳴りがして、通る自動車は耐え難い騒音を出すが、 こうした不便はより良い社会のために喜んで甘受する準備ができているという。

キル氏は昨年末期ガンの判定を受けて手術までした。 キャンプ村の入居者がその事実を知り、もっと暖かくてもっと丈夫なテントを作った。 厚いスチロールで屋根まで覆い、重いスチロールのために落ちそうな屋根は柱をたてて崩れないように作業した。 キル氏は「体調はとてもつらいけれど、キャンプ村にいると孫のために何かをしていると思えてヒーリングになります」と健康を心配する声に明るく応える。 本格的な広場の政治が始まるのではないか。 既存の秩序に抵抗し、新しい世の中に向かって疾走する声を期待したい。(ワーカーズ27号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-12-09 00:56:38 / Last modified on 2016-12-09 00:56:39 Copyright: Default

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