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ジャーナリストがいなくなった場所

[ワーカーズ17号]チャムセサンの話

ソン・ジフン記者 2016.07.11 08:51

2824、1578、1549、1492、1471、1350。 6月29日現在、全国言論労働組合(言論労組)のサイトのトップページに掲げられている数字だ。 ノ・ジョンミョン、チョ・スンホ、ヒョン・ドクス、イ・ヨンマ、チョン・ヨンハ、カン・ジウン、パク・スンホ、チェ・スンホ、パク・ソンジェ、イ・ジョンホ。 数字はこれらの名前の解雇日だ。 彼らはYTN、MBC、釜山日報の解職ジャーナリストだ。 長ければ8年、短くても5年の歳月。 取材した人々が取材対象になって暮らしてきた時間はこんなに長くなった。 多くの関心が集まり、また消えることを繰り返し、大統領も変わった。 そして彼らはいまも道路で戦っている。 6月24日、解職ジャーナリストと1800人の市民が光化門広場に集まった。 言論労組が主催した「公正言論正しく立て直すコンサート」で、 彼らは公営言論正常化を実現する意志を明らかにした。

YTNの解職ジャーナリストは2008年に解雇された。 当時、大統領選挙事務所で言論特別補佐官をしていた具本弘(ク・ボノン)氏がYTN社長に選任された。 YTN労組は、大統領が押し付けた人事だと批判して退陣闘争を展開した。 使用者側は2008年10月6日、労組のノ・ジョンミョン委員長をはじめ6人を解雇して6人を停職するなど、33人への大量懲戒をした。 労使間の告訴告発が相次ぎ、労組執行部が警察に逮捕されるなどの衝突はさらに激しくなった。 その後の8年間、労使間合意、使用者側の合意不履行、解雇無効判決と大法院(最高裁)の判決逆転が続いた。 6人の解職者のうち3人は復職し、3人はまだ路上に残っている。 解雇事態以後、YTNの報道も変わった。 政権への批判と牽制は縮小された。 「国家情報院SNS、朴元淳卑下文2万件」の単独リポートは、たった一回放映された後、 報道局長の指示によって短信に縮小された。 セウォル号惨事の時には朴槿恵(パク・クネ)大統領がセウォル号遺族を無視する画面と記事を伝えなかった。 時事風刺でYTNの代表コンテンツとして注目されていた「突発映像」も廃止された。

MBCのジャーナリストは2012年に解職された。 MBCの創設以来、最長期のストライキを行った後遺症だ。 MBC労組は大統領の「最側近」と呼ばれる金在哲(キム・ジェチョル)氏が2010年に社長として赴任した後、報道の公正性を失ったと主張した。 当時、MBCでは「ニュースその後」などの時事報道番組が廃止され、関係者は時事報道と無関係の部署に発令され、「報復人事」という非難が湧き上がった。 結局、2011年の韓米FTA反対デモの現場では、MBCの記者がデモ隊から追い出される状況にまで行った。 MBC労組は金在哲社長の退陣を要求して170日の最長期ストライキを行った。 似た状況のKBS、YTNもストライキの隊列に合流した。 前代未聞の放送局共同ストライキになった。 人気ドラマと芸能番組らが続々と放送中止になり、世間の耳目が集まり始めた。 しかし国民的な支持を得たストライキの代価は苛酷だった。 労組の広報局長だったイ・ヨンマ記者を筆頭として、労組の委員長と執行部が続々とクビになった。 労組の執行部ではなかったチェ・スンホPDとパク・ソンジェ記者も解職になった。 1月に崔敏姫(チェ・ミニ)前議員は当時、MBCの使用者側高位幹部が 「チェ・スンホPDとパク・ソンジェ記者の解雇には証拠がないが、 このままにしてはおけないと思って解雇した」という録音記録を公開した。

2008年に李明博(イ・ミョンバク)政権になってから解職されたジャーナリストは合計22人だ。 その数十倍に達するジャーナリストが懲戒を受けた。 その間に「キレギ(注:日本の『マスゴミ』に相当)という新造語ができた。 2014年にセウォル号が沈没した時、MBCは「全員救助」という誤報を流した。 「報道惨事」という批判を受けなければならなかった。 視聴者はMBCを不信に思って嘲弄し始めた。 22人のジャーナリストがいなくなった報道の現場は、22人以上の空白を作った。 政権を批判する記事は消えた。 その代わりに大統領の業績を祝賀する記事だけが残った。

しかし逆説的にも「公正言論」の代案を作り始めたのも、これら22人の解職者だった。 解職記者が主軸になって作った「ニュース打破」は、2013年に英国領バージン諸島が財閥らの租税逃避先として利用されているという特ダネを出した。 彼らを解雇した報道機関が「ニュース打破」の特ダネの「引き写し」を始めた。 国家情報院のスパイ操作事件と国家情報院世論操作事件などの大型の特ダネも、「ニュース打破」の役割だった。 ニュース打破のチェ・スンホアンカーは24日の公正言論コンサートの現場で、MBCをクビになった後、むしろ自分の限界と可能性をすべて知ることができた」と話した。 チェ・スンホ アンカーはMBCを解雇された後、ニュース打破の取材陣として当時の李明博前大統領に4大河川に関する突発質問をした経験に言及して 「MBCにいたら、あのような質問は難しかった」と話した。

YTN労組のノ・ジョンミョン元委員長も、解職以後代案言論運動の産婆役をしている。 ノ・ジョンミョン元委員長は、2011年に一種のニュース・キューレーション・サービスである「ヤンガリトンピョ(訳注:恐れず突き進むといったような意味)・ニュース」を運営した。 2012年1月からニュース打破の初代アンカーを引き受け、18代大統領選挙直後の2013年、市民が出資金を集めて作ったメディア協同組合「国民TV」に実務陣として合流した。 ノ元委員長は「国民TV」の制作局長とニュース番組の「ニュースK」アンカーを兼ねた。 現在は「一波万波」という名前のニュース・エディティングサービスを準備している。

2015年に復職し、最近また二回目の再懲戒を受けたMBCのイ・サンホ記者は、5月に結局辞表を出した。 懲戒を受けた理由は、セウォル号惨事の時の大統領の行跡を追った「大統領の7時間}を製作したためだ。 解職された彼らは路上でもうひとつのメディアを作って戦っている。 彼らの話は単に「現場に戻りたい」に終わらない。 チョ・スンホ前YTN記者は、公正言論コンサートの舞台で 「労組の幹部でもない私が解雇されたという事実は、YTN労組が守ろうとしていたものが結局、公正な言論だったということを立証する」と話した。 8年という時間は長い。 解雇者たちは生計問題、敗北感、無力感にすべて勝ち抜かなければならなかった。 彼らは「長い時間は希望さえ灰にする」と話す。 それでもその灰になった希望をつかんでその場を守っている。 彼らがいなくなった場所に、彼らがいなくなっただけの穴ができたのではないことを知るためだ。 言論労組のキム・ファンギュン委員長は 「彼らがいなくなって、平和と労働、生命の価値を含む報道が同時に消えた」と話した。 彼らがいなくなった場所はまだ埋められていないからだ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-07-17 21:59:41 / Last modified on 2016-07-17 21:59:42 Copyright: Default

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