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政権が閉じ込めた人々

ソウル拘置所に収監された民主労総幹部4人の話

パク・タソル、ユン・ジヨン記者 2016.07.04 16:06

政権が閉じ込めた人々

「多くの人が本裁判を見守り、判決を待っているのはハン・サンギュン個人の裁判ではないからだろう。 くやしい解雇で命を落とした労働者と、非正規職を理由に疎外され、結局くやしい死に至った十九歳の労働者。
産業現場で名前もなく死んだ多くの労働者たちも、この裁判を見ているでしょう。 詰まってしまった車壁の前で私たちの話を聞いてくれる耳を持ってくれと叫んだ市民も、 この裁判の判決を待っているでしょう。 労働者の権利が記された韓国の憲法が、飾りではなく、生きている私たちの憲法であることを見せてくれるだろうと堅く信じています。」
6月13日、民主労総のハン・サンギュン委員長最終陳述より

「空腹の人の食事を奪って財閥の食卓にする政府に抵抗するのは当然です。 朴槿恵政権は私たちを説得することもできず、私たちが口を開けば小さな声もあげられないように防ぎました。 光化門に集まって民生破綻の責任を問うたすると、数万人の警察が暴力で鎮圧しました。 警察は集会開始前に甲号非常警戒を出しました。 われわれは当初から暴徒と規定されていました。 これが朴槿恵(パク・クネ)政権が公安統治を維持する本質です。 民衆総決起で誰が一番死に近かったのでしょうか。 ペク・ナムギ農民が6か月経っても目を覚ましません。 11月14日の民衆総決起は国家暴力を見せたこと、それ以上でもそれ以下でもありません。」
6月28日、ペ・テソン民主労総組織室長最後陳述中

容易な解雇と一生非正規職推進。 労働者たちの人生が崖っぷちに追いやられ、怒りが湧いた。 政府の労働改悪に反対して数十万人が街に出てきた。 2015年11月14日。 労働者、農民、貧民、青年学生など13万人がソウル市光化門の交差点を埋め尽くした。 2008年のBSE(狂牛病)集会以後、最大の人波であった。 警察は車壁を積み、放水銃とペッパースプレーを発砲した。 巨大な車壁はデモ隊の行進を阻止し、警察の暴力はデモ隊の口をふさいだ。 そして警察の放水を受けた農民1人が昏睡状態に陥った。 だが公権力は何の責任も負わなかった。 むしろ政権は民主労総に対する弾圧を始めた。

11月14日の民衆総決起に参加した民主労総組合員526人が召還調査を受け、 20人が拘束された。 2016年7月現在、拘束者は合計6人。 民主労総のハン・サンギュン委員長をはじめ4人の民主労総中央幹部とチョ・ソンドク公共運輸労組副委員長、イ・ジェシク貨物連帯亀尾支会長が拘置所に収監されている。 「ワーカーズ」は現在収監されている民主労総中央幹部4人(ハン・サンギュン委員長、ペ・テソン組織室長、パク・チュンソン組織局長、イ・ヒョンデ組織局長)と会うためにソウル拘置所を訪れた。

[出処:民主労総]

ソウル拘置所囚人番号49番

民主労総のパク・チュンソン組織局長と、ガラスの壁を挟んで向かい合って座った。 「私が出られるまでは長くかかりそうです」。彼が笑いながら話した。 裁判所は3月、パク・チュンソン局長に懲役1年を宣告した。 裁判所が明らかにした彼の罪目は、特殊公務執行妨害と犯人逃避。 手配中だったハン・サンギュン委員長の逃避を幇助した容疑であった。

「宣告は1年を受けたが、今は執行猶予の期間なので2年6か月程度収監されるものと予想しています」。 パク局長は2008年にも社会主義労働者連合(社労連)の活動に関して国家保安法違反で起訴された。 検察と裁判所は社労連がさまざまな労働者ストライキを支持して介入し、綱領を通じて国家紊乱を企てたとして国家保安法違反の容疑をかけた。 この事件の執行猶予期間に拘束されたパク局長は、懲役1年と共に追加で1年6か月服役しなければならない。

彼は昨年、ハン・サンギュン指導部の任期が始まる頃から民主労総で活動した。 政府の労働改悪の試みに対抗し、民主労総はさまざまな闘争を繰り広げ、労政対立は増幅した。 そして昨年11月14日、民主労総をはじめとする汎市民社会が労働改悪阻止などを掲げて「民衆総決起」闘争に立ち上がった。

この日の午前、手配中だったハン・サンギュン委員長が参加した記者会見場で、警察は奇襲逮捕を試みた。 これを防ごうとした組合員や労組の幹部は続々と召還調査を受けたり拘束された。 パク・チュンソン局長も当時、ハン委員長の逮捕令状の執行を妨害したという理由で実刑を宣告された。 一緒に労働改悪阻止闘争をした委員長の逮捕を防いだ罰はあまりにも大きかった。

痛いところはないかと聞くと「痛いところはなくて無事もなく過ごしている」と笑うだけだった。 不便なことも全くないから心配するなというほどだった。 ずいぶん痩せたように見えたので「なぜそんなに痩せたのか」と言うと、 「私は本来痩せていましたよ」と冗談を言う。 むしろ「雑誌(「ワーカーズ」)はどうか。監獄から購読料でも払わなければならないか」と心配な表情をつくる。

お母さんはよく面会に来るのかと聞くと尋ねよう 「息子の顔を見て泣き出せば私がつらいことが分かっているから。 ただ『無事に過ごせ』とだけ言ってください」と答えた。 お母さんの話が出ると、わけもなく雰囲気が重くなった。 彼が話を続けた。 「以前にも学生運動の時に拘束されたことがあったが、その時はお母さんが民主化実践家族運動協議会活動もしました。 強い人です。私が一番尊敬する人だよ。」

彼は最近、監獄で手紙を書く楽しみで過ごしている。 仲間たちから手紙を受け取り、直接手紙で返事する時が一番うれしいという。 接見中はずっと刑務官がやりとりする話をいちいち記録している。 彼がそれでも世の中と気楽に対話できるのは手紙だけだろう。

ソウル拘置所囚人番号277番

6月28日、検察がペ・テソン組織室長に懲役6年を求刑した。 1次民衆総決起大会で暴力デモを主導したという理由だった。 検察は法治国家の根幹を押し倒しかねない重大犯罪だとし、厳罰の必要性を主張した。 反省の兆しがないとも言った。 ペ・テソン室長は最終弁論に立った。 「空腹の人の食事を奪って、財閥の食卓を整える政府に抵抗するのは当然です」。 彼の声が40分以上、法廷に鳴り響いた。

検察の求刑がある前の6月23日、ソウル拘置所で彼と会った。 ペ室長のメガネの向こう側に充血した目が見えた。 眼病にかかったという。 拘置所生活について聞くと 「拘置所は本来不便なところ」とし、大丈夫だといった。 かなり好き嫌いがある方だが、拘置所の食べ物にもある程度適応していると話した。

一番よく面会にくるのはKECの同僚だ。 ペ室長にKECにとっては痛い指だ。 「KECの仲間たちと戦ったこの5年間は、私の運動の全ての過程の中でも特に貴重です。 整理解雇も二回も阻止しましたし。 労組を壊すための損害賠償をかけられても、ずっと闘争していきました。 運動の方向についてもよく考える契機になりました。」

パク・チュンソン局長の接見に行ってきたというと目が大きくなる。 「パク局長の知らせが一番気になります。 今回、また1年6か月を受けたのではないですか。 当然出て行くと考えたのに…」。 検察がハン・サンギュン委員長に要求した8年の求刑も彼女を複雑で息苦しくした。 「委員長の求刑を聞いみんなずいぶん驚いたのではないか? 20年ぐらいふっかければどうかと言いたいです。 見せしめにする、何、そんな考えでしょう。 朴槿恵政権に反対する人は必ず捕まえるという腹いせよ。 常識的というのは難しいです。 求刑の権限を人を攻撃するのに使うとことも問題だし」。 彼女の声がますます大きくなった。 「本当にあきれた。 話になりますかということです。 集会一件で8年とはどういうことかと。 検事に聞いてみなくてはなりません。 あなたたちは本当のそう考えているのかと」。 よどみない発言のためだろうか。 後に座っていた速記官はたびたび席を外し、該当の内容について諮問を受けているようだった。 委員長の求刑に対しては、情けないが心配はしないといった。 「委員長は愉快な人です。かなりおもしろい人で」。 ペ室長は記者に代わりに挨拶を伝えてくれと頼んだ。 「出て行って(委員長と)面会したら、私は無事に暮らしている、誰の心配をする境遇でもないから自分の心配でもしろと伝えてください。」

彼女の息子は6月14日に入隊した。 夫は地方で画像面会をするという。 彼女の楽天性は両親譲りのようだ。 ペ室長が拘置所にいることを両親が知っているが、あまり心配をしていないという。 自分の人生を生きるのに忙しいと。

ペ室長は外にいる人々に言いたいことがあるといった。 「組合員たちが労働改悪を阻止すると信じています。 すでに政権は半分以上力を失いました。 私たちがもっとしっかり戦って欲しいし、どんな権力も労働者と民衆の命ほどの尊厳ではありません」。 いつのまに10分が経ち、マイクが切れた。 きちんと挨拶もできないまま、彼女はまた独房に歩いて入った。

ソウル拘置所囚人番号20番

「検察にはとても悔しいです。 税金から月給を受ければ国民を保護しなければいけないのに、なぜ罪を押し付けるのか」。 民主労総のイ・ヒョンデ組織局長の家族は裁判が終わった後、検察への恨みを続けた。 6月16日、ソウル中央地方法院で開かれた裁判の後、ソウル拘置所でイ・ヒョンデ局長と面会した。 彼の2人の姉も共に接見室に入った。

イ局長は昨年11月の民衆総決起大会の当時、ロープとはしごを購入したという理由で拘束起訴された。 検察は、彼が購入した物品が警察の車壁を傷つけたとし、特殊公務執行妨害と特殊共用物損傷などの容疑を適用した。 ロープとはしごのために、警察の車20台が壊され、総額2億4480万ウォンの被害を受けたという主張だった。 この日の裁判で検察は、昨年の国会で座り込み事件と、労働改悪阻止集会の時の道路占拠などの件を追加で起訴したと明らかにした。 イ・ヒョンデ局長は「検察が実績をあげようとしている」と話した。 「ロープとはしごで横断幕をかけたことしかしていないのに、 自分たちが危険になった時に使おうとしたなど、用途をでっちあげるんです。 証人になった警官も、実質的に(ロープ、はしごで)殴り合うのは見ていないと証言をしたのに、 委員長に8年というとんでもない求刑をしました。」

イ・ヒョンデ局長は7月5日の検察求刑後、約2週間後に最終宣告があると予想した。 実刑になるのか執行猶予が付くのかはまだ分からない。 彼の罪は「不埒の罪」だった。 政府の政策を批判する人々にはいつも「不埒の罪」にされる。 「民衆総決起の件で続々と500人を召喚したので、事実上の政権の弾圧でしょう。 朴槿恵政権になって、特に深刻になった。」

いつ頃出られると思うかという質問に、 「ここは、出るのがかなり難しいところ」という答が返ってくる。 最近になって途方もなく拘束者数が増え、面会時間も減らすという公示があった。 「今日も法廷で24人が捕ってきました。 途方もなく拘束された」。 10分から15分程度の短い面会時間まで減らされるという話に拘束者の家族はため息をつく。

以前、胃潰瘍を病んでいた彼は、相変らず胃の痛みで苦労していた。 姉たちの心配は並大抵ではない。 「胃が痛くならないように、ご飯をよくかんで」という要請が続く。 父親はまだ彼の拘束の事実を知らない。 また倒れるかと思って話ができないまま、監獄に入ってきた。 二日後の父親の誕生日を控えて、三兄弟姉妹が諸々の話を交わす。 接見が終わった後、彼の姉は相変らず心配な気持ちを隠せない。 「以前、拘束された時に、父が倒れました。 だからまたそうなるかと思って話ができません。 今は弟の妻がお父さんに海外にボランティアに行ったと話している。 遠方に行って電話もできないと言いました」。 約一か月後の宣告を待つ家族の気持ちは相変らず重い。

ソウル拘置所囚人番号120番

2坪ほどの接見室が満杯になった。 25日にあったハン・サンギュン委員長の面会には、彼の夫人、双竜車同僚2人、「ワーカーズ」の記者2人まで合計5人が入った。 ハン委員長が接見室に入ってきた。 週末特別面会の15分が始まった。 健康状態を尋ねた。 「仲間たちが心配だね。 私はこの通りピンピンしているけど…」。 中にいる人は外の人が、外にいる人は中の人が心配になってしまう。 さらに彼は70万の組合員がいる民主労総の委員長だ。 つらく苦しくても不平を漏らせないと思った。

彼に昨夜にあったユソンのニュースを伝えた。 ハン・ガンホ烈士の自決100日目に、現代車本社前でユン・ヨンホ牙山支会長が高空座り込みを敢行し、 警察が侵奪して支会長を連行して行ったという知らせだった。 ハン委員長は怪我をした人がいるのかと尋ね、ユソン事態を心配した。 「財閥問題はユソン企業、非正規職問題は東洋セメントが代表的でしょう。 この二つの問題を乗り越えなければ、他の問題も解決できません。」

ハン委員長の釈放を要求する嘆願書がSNSを中心に回っているというと、無関心な回答が返ってくる。 「それを回すことが重要なのではなく、組織がきちんと決断することが重要です。 私は朴槿恵(パク・クネ)を嫌っていません。 あの人がいなかったら気が付かなかったでしょう。 どん床がどこかわからなかったでしょう。 私たちがうまくやって勝てばいいけれど、あの人のせいにばかりしていてはいけません」。 苦言と反省が続く。 「1月22日(政府が二大指針を発表した日)決断できなかったことをすべて政府が把握をしたのでしょう。 率直に言えば、私たちの実力を見抜いたのです。 そのために公共(運輸労組)を押して、じわじわと押そうということ。 公共は簡単に退かないでしょう」。 雰囲気が重くなった。 彼は特有の話法で雰囲気を反転させる。 「それでもいつも潰されることにはならないでしょう。 反撃もして、攻撃もすることができます。」

検察の8年求刑、当事者の気持ちはどうか。 すでに双竜車闘争で3年服役して出てきた彼だ。 「民主労総中央指導部への強迫でしょう。 ハン・サンギュンをこれほどまでしたのに、お前たちはまだ騒ぐのか? 静かにするか? こういうクエスチョンマークでしょう。」

接見に来た双竜車の同僚が最近仕事を始めたというので、とても心配する。 「地域も重要だが、とにかく工場の中に民主労組一つを作らなければならないということではないから。 必死に努力しなければ難しい。 ただその枠組みで固まってしまう。 (労組組織に)集中をしてほしい。 期待だ。 私も何かやりたいけれど君たちがやらなきゃいけないのだから、だちょっと力にならないか?」 外の同僚に伝えたい話は多いが、率直な話をするのは適切な空間ではなかった。 その代わりに彼は「塩を入れるから塩味です。 塩を入れずにおいしい汁を望んではいけません」とまとめた。 6月22日、民主労総はゼネストを宣言した。 いくら閉じ込められ、弾圧されても、ハン・サンギュンは相変らず委員長であり、民主労総はまた闘争する。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-07-16 02:00:27 / Last modified on 2016-07-16 02:00:29 Copyright: Default

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