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No Bra! プット・ユア・ハンズ・アップ

ワーカーズ16号 ウィークリー・マッドコリア

ユン・ジヨン記者 2016.07.04 15:00

人に混じって生きる人なら誰でも他人の視線から自由になれない。 人々の視線はすぐその人の評判や評価につながるもの。 「平均だけしよう」とダンドリをしても、その平均に到達するには多くの不便と精魂を打ち込まなければならない。 特に女性の場合、かなり赤裸々にその不便を甘受して暮らしている。 「女だから」とても高価なオプションを装着してまわらなければならないのが現実。 理由もよくわからないまま、社会が要求するままに暗さなければならないのは、とても不公平なことだ。 それでその高いオプションを体から外して暮らしてみることにした。 果たして私はうまく適応できるだろうか?

▲写真ホン・ジノン

心の準備

ブラ解放。 一番最初にネタを出した時、同じチームの同僚記者は「とにかく乳首が見えなければいけない」と主張した。 白いTシャツ一枚だけ着て、堂々と私のノーブラを誇らなければならないということだった。 私は驚いたが、彼女は頑として聞き入れなかった。 私が今まで提案したネタで侮辱を受けてきた彼女。 どうしても私に復讐しようという工作のようだった。 私はぶつぶつとつぶやいたが、彼女は冷淡だった。 そうして、全体会議の時間にネタについて問題提起をした。 同僚記者の提案が反映された「乳首露出ノーブラ体験」。 人々は首を振った。 あえて見せる必要まであるかということだった。 「最近、携帯電話でこっそり写真を撮る人が多いじゃないの。 写真を撮られるかもしれない」。 「どうして絶対に見せなければいけないの?」、 「ジヨン氏が絶対にするという確信があればいいけど、無理にするのは反対だ」。 普段は互いに何の関心も持たずに過ごした「ワーカーズ」の構成員たちが、 この日に限っては本当に愛らしかった。

No Bra - 1日目

私の胸を固く締めつけてきたブラジャーとお別れする日。 出勤を前にして苦悩に陥った。 気温が30度以上まで上がる予定だという熱い初夏。 薄い半袖だけ着ても暑さに苦しむ天気、何かノーブラで着られる服があるのかという悩みだった。 私は夏服で薄い綿の材質の白いTシャツを好んで着ていた。 あるいはと思って着てみたが、やはりとてもわかってしまう。 少し厚い藍色カラーのTシャツが眼についた。 喜んで着てみたが、今度は形態がそのままあらわれた。 薄ければ薄いなりに、厚ければ厚いなりに問題が出た。 出勤時間が近付いてきて、気持ちは急だった。 普段あまり着なかった藍色の綿のTシャツを取り上げた。 あまり薄くも、あまり厚くもない普通の厚さの夏の半袖Tシャツ。 特に胸にはよく分からない模様があった。 着てみるとそれなりに良さそうだ。 じっと見ないければ、簡単にわかりそうもなかった。 確かにブラジャーを着用した時と脱衣した時、胸の形には違いがあった。 鎧を脱いで戦争に参戦する兵士のようなむなしさ、あるいは甲羅が剥がれた亀が感じるアイデンティティの混乱のようなものというべきか。 とにかく私は急いで、家を出た。

「えい、絶対わからない」と理性をマヒさせたかったが、肩がすくむのはどうしようもなかった。 ブラジャーを脱いで出勤、あるいは登校したのは20年で初めてだった。 そうだ。私は20年間、ブラジャーの奴隷として生きてきた。 道で人々と目が会うだけで、肩は何倍もすくんだ。 普段私がこれほど鋭敏でオーバーな人だったのか、自責を感じるほど。 不便をなそうという意図だったが、さらに大きな不便を招いたのではないかと思われた。 ブラジャーを着用することが気楽なのか、脱衣することが気楽なのか、混乱しさえした。

同僚記者と会って「私、今日ノーブラよ」と打ち明けた。 彼女は世の中のすべてを得たかのようにとても気持ち良く笑いまくった。 「エイ、全くわからない」と行って。 どうしても彼女はわからないのが少し残念な様子だった。 それでもそう言ってくれるたので、気持ちは楽になった。

だが人間は忘却の動物。 世の中にはブラジャー以外にも考えることがあまりにも多かった。 来週の取材企画の準備、取材源との交渉、午後の全体会議まで。 ノーブラの自由を感じる時間は多くなかった。 同僚と会議をして、取材源と交渉して、お昼にうどんを食べようと地下鉄二駅の距離を汗ダラダラ流しながら歩いた。 そして事務室で全体会議をして、同僚と何回かの打ち上げまで。 午前1時を過ぎてタクシーに乗り、はじめにふと「ああ、私、今日はノーブラだった」という気がした。 ほとんどの人は他人の胸の形に格別な視線を向けなかった。 ただ私一人が萎縮していただけ。

No Bra - 2日目

余裕がある週末を利用して、もっと挑発的な挑戦をしてみようと決心した。 今度は胸に模様がない半袖のTシャツだ。 もちろん白いTシャツは自信がなくて、藍色を取り上げたのだが。 着た瞬間、感じた。 「ああ、ある程度わかりそうだ」と。 それでも毎日胸に模様が服だけを見つけて着て回ることもできない。

さっそうと通りに出たが、即座にまた肩がすくんだ。 いったい私はなぜ自分の身体の自由を満喫できないのか。憂うつになった。 そんな必要はないということを知りつつも。 風が強く吹くたびに薄い半袖のTシャツがからだにくっついた。 友人に「わかる?」と聞くと「うん…ちょっとわかるかな」と答えた。 しかしすでにひっくり返った水。 私はいつものように繁華街を歩いたし、食堂でご飯を食べたし、漫画喫茶でマットレスの上をごろごろした。

最初の日と違う点があるとすれば、身体を固く締めつけているもうひとつの不便を感知したことだということか。 ブラジャーを脱いで楽になった上体に比べて、私の下半身はきつ過ぎるスキニージーンズをはいていた。 あまりにも長く着ていたので、もう不便だと思わなかったスキニージーンズが、その日に限ってとても不便に感じられた。 「このどうしようもないズボンさえなければ、私はもっと楽になれるのに」という残念さを拭えなかった。 はやく家に帰って、ジャージに着替えたいと考えている間に日が暮れた。

No Bra - 3日目

私はかなり長い間、女性の胸が人々のゴシップネタになるのを見てきた。 学生時代、某芸能人がノーブラで少しの間、家の前に出てきて写真を撮られたおかげで人々のうわさになった事件は忘れない。 「Tシャツに乳首がうっすら見えたら笑われそうだな」と急におじけづいた。 私はブラジャーのストラップをぎゅっと締めて結んだ。

初めは好奇心半分、うらやましさ半分で着用したブラジャーであった。 小学校5年、大人たちの全てがうらやましかった時期、私は母に「私にもブラジャー買って」と騒ぎまくった。 母が初めて買ってくれたブラジャーは、ウサギのマスコットがついた子供用のスポーツブラだった。 わけもなく、私は友だちに自慢した。 「うらやましいでしょう?」と。

ブラジャーがとても不便な物だと感じたのは、ちょうど中学校に入学してからだった。 ぎゅっと締まる黒いストッキング、伸縮性などは売り飛ばしたブラウスとチョッキおよびジャケット、そしてゆれるギャザースカートからなる冬服。 ぞろぞろとボタンがついた息が詰まる半袖ブラウスと、相変らず膝の上でゆれるギャザースカートでセットになっている夏服。 苦しい制服を装着した重い体の中に、さらに私のからだを束縛するブラジャーの圧迫。 そうして不便な制服を着るようになってから、ブラジャーがわずらわしくなった。

私だけではなかった。 月曜に運動場での朝礼の後、教室に入ってきた私の友人は「朝礼の時間、ずっと目がくらむようで吐きそうだったけど、 戻ってブラジャーのひもを緩めたら良くなった」と話した。 その後、私は気分が悪かったり消化がよくない時ごとに、少しでもこっそりとブラジャーのひもを緩めた。

ノーブラ3日目。 ふと「なぜ私は20年以上、ブラジャーをしていたのだろうか?」と思った。 初めは大人をまねるためだった。 だが14歳を過ぎてから、ただ「当然着用しなければならない」と考えていた。 いったいなぜ、私がブラジャーをしなければいけないのか、理由もよく知らないまま。 もちろん、時々「ブラジャーをしなければ胸が垂れる」という話を聞くこともあった。 だが胸は本来垂れるものだ。地球の重力によって。

欲がわいてきた。 ブラジャーなしで、きつ過ぎるズボンなしで暮らしてみたい。 「明日すぐに試してみなくちゃ」と考えた。

No Bra- 4日目

朝から衣装だんすをかき回した。 私の身体を自由にする服を探すために。 私のからだを固く締めつけるものをすべて除去してしまえば、飛び回ることもできそうだった。 サスペンダーのあるワイドパンツを取り上げた。 麻袋のように丸ごと落ちるだぶだぶの服地のズボンだ。 半袖シャツにサスペンダーのワイドパンツで出勤した。

解放感は想像以上だった。 上体と下半身の解放。 本当にからだが軽くて楽だった。 人々に自慢でもしたい気持ちだった。 私はその日、軽い体で取材して、酒を飲んで、気持ち良く酒代を払った。 そうしたら、どういうわけかくやしいような感じがした。 10年間も流行しているスキニージーンズ。 120年以上も全世界の女性の胸を束縛したブラジャー。 私は今まで一度でも人々の視線と慣習、流行など気を遣わず、自分の意志のとおりに自分のからだに自由を与えたことがあったのか。 なぜいつも隠して追いかけて行くことだけに全神経を注いでいたのか。

胸平等社会は来るのか

記事締め切りの日。 久しぶりにブラジャーをした。 解放を満喫した後の束縛は、時間が経つほどますます苦役になった。 息が苦しかったし、それで何度も背中が曲がった。 胸の下に打ち込まれた鉄のワイヤーが不愉快だった。 考えてみれば、単に久しぶりにブラジャーを着用したために不便を感じただけではなかった。 私は普段もしばしばブラジャーを不便に思い、特に仕事がうまくいかなくなるたびに、 何度も体をよじったりした。 まるでブラジャーのおかげで仕事が進まないかのように。

それでも私は慣習にとらわれて視線にすくむ小心な人間なので、 相変らず「ノーブラ、プット・ユア・ハンズ・アップ」と叫ぶのは怖い。 取材の末に堂々とノーブラで暮らしている活動家のA氏に聞いた。 「すごくわかてしまいそうで萎縮するのですが、どうすれば良いでしょうか?」と。 彼女が助言をした。 「若干暑いかもしれないが、少し厚いシルクティーを着ればわかりません。 袖なしを着たり重ね着をする方法もあるよ」。 彼女が7〜8年間ノーブラで暮らしてきた理由は、自分の身体を不公平に束縛するのを投げ捨てるためだ。 そんな彼女も時には他人の視線を感じる時があると言う。 ここで重要なことは、自然にその視線に真っ向から目を合わせること。 「相手もセクハラや性暴力の意図で見るのではなく、無意識的に視線を向けるようでした。 そんな時は相手の目を見つめれば、すぐ視線をそらしますよ。」

女にも乳首があって、男にも乳首がある。 だが唯一女性の胸は性的対象になる。 ブラ解放と男女胸平等社会。 果たしてその日は来るのだろうか。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-07-16 01:47:33 / Last modified on 2016-07-16 01:47:35 Copyright: Default

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