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基本所得を越えて

ワーカーズ14号デスク コラム

ホン・ソンマン編集長 2016.06.14 08:31

スイス基本所得国民投票をめぐり、とんでもない主張が乱舞している。 77%が反対した国民投票の結果、片方では「ポピュリズムに対する77%の偉大な勝利」と自賛し、 他方では「23%の可能性を確認した一大事件」と絶賛している。

韓国マスコミの最大の嘘は、この国民投票の案件が「毎月300万ウォンをあたえる基本所得」だという報道だ。 今回のスイスの国民投票は憲法改正だ。 この改憲案は、まず無条件の基本所得導入、二番目に基本所得で人間的な人生と公的生活参加の保障、三つ目に基本所得の財源と金額は法律で定めるという内容だ。 改憲案のどこにもすべての成人に2500フラン(約30万円)を与えるという文句はない(チョン・ウニ記者、「スイス『基本所得』発議…進歩陣営内でも議論」、チャムセサン2013.10.7)。

では「毎月30万円」の話はどこから出てきたのだろうか? 改憲案を発議した団体が最低賃金などを考慮して、 成人は2500フラン、子供は625フランが良いと説明した。 この費用の総額は、スイスの国内総生産(GDP)の約3分の1にあたる2000億フランに相当する。 彼らは国民投票で基本所得の規模と財源調達方式などが論議されないように、 わざわざ改憲案には基本所得の金額と方式を指摘しなかったと明らかにした。 だがハンギョレを筆頭として、ほとんどの国内のマスコミは、スイスの国民投票は毎月300万ウォンを受ける基本所得だと書きまくった。

もし発議した団体が300万ウォンを提案したと報道したのなら、財源をどう作るのかも話さなければならなかった。 この団体は2000億フランのうち、スイス国民年金(AHV)と同じ社会保障費として約700億フラン、 消費税(付加価値税)値上げなどで残りの1300億フランを充当することができると説明した。 つまり、国民年金などをなくし、基本所得に一元化して、代表的な間接税であり労働者と庶民にとって負担が大きい消費税を上げて充当しようという提案だ。

一方、保守報道機関と大多数の経済紙は、77%に達する国民が反対票を投じたとし、 「福祉 対 新しい経済の選択」、 「福祉ポピュリズムに反対したスイス国民の偉大な勝利」という調子で、さらにとんでもない主張を続けた。 この国民投票について「ダム・アンド・ダマー」的な批判と論争が形成されたのだ。 スイス国民が基本所得を否決したのは既存の福祉制度を維持する方が、基本所得より良いと判断したのであって、 経済を憂慮したり、過度な福祉だとして反対したわけではない。 2014年末現在、スイスの1人当りGDPは8万4344ドルで、 GDPに対する公的社会福祉費支出の割合は19.4%だ。 無理に消費税を上げず、1年に1人当り平均1万6500ドル(20万円程度)以上の支援を受けている状況だ。 スイス労総(SGB)も「(基本所得に対する)価値ある回答は、最低賃金と強い社会保障だ」と答え、基本所得に反対した。

基本所得は両刃の剣だ。 国民年金、老齢年金、健康保険、障害者支援、貧困層基礎生活保障、保育費支援も従来通りで、さらに基本所得として毎月30万円でなく、3万円、3千円だとすれば、いったい誰が反対するだろうか? だが基本所得はどんな形態であれ、既存の福祉制度をなくして吸収して作るしかない。 つまり、既存の福祉制度を代替する手段として基本所得が軌道に乗る。 左派より右派の一角の方が基本所得に熱狂している理由も、まさに既存の福祉制度を基本所得に一元化できるという理由だ。

韓国の基本所得論者も、特に低い韓国の租税負担率を根拠として租税負担率を10%上げるだけで、30万ウォン(約3万円)の基本所得が可能だと主張する。 もしどのような形式であれ、租税負担率をさらに10%上げられるのなら、なぜその財源を基本所得の形態で配るべきか? 65歳以上の老人人口に分配すれば、現在は20万ウォンの基礎老齢年金よりもはるかに多く支払うことができ、 最悪の老人貧困を誇る韓国の老人貧困がなくなり、老後が安定する。 財源があれば、基本所得よりもっと良いところに使える。 基本所得の必然的な理由がない。

その上、基本所得は公的部門を弱め、市場支配を強化する。 基本所得は国家が公的に直接支援する社会保障サービスではなく、現金で支払い、個人が処理しろということだ。 国家が支援する国民年金がなくなるため、基本所得を節約して貯蓄したり民営年金に加入しなければならない。 多少、極端な形態で健康保険が基本所得と統合されれば、 国家の健康保険支援はなくなり、基本所得として医療費全額を病院に直接支払ったり、 サムスン生命のような民営医療保険に加入しなければならない。

基本所得の議論は賃金闘争に疲れた人々に対し、賃金の他に方式があるという思考を開いてくれた。 そして誰もが普遍的な暮らしを営むためには、基本的なお金が十分に必要だということも想起させた。 資本主義の長期不況と、アルファ碁に代表される技術革新により減少する雇用対策として、 国家の所得支援は避けられないという事実を呼び覚ました点も否めない。 しかし、後期資本主義の特徴は「消費資本主義」だと言う。 結局、基本所得も「消費」を維持する方便に過ぎない。 基本所得が私たちの制限された想像力を解放してくれたとすれば、 そこで止まることなく、さらにもう一歩踏み出すべきではないだろうか?

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-06-16 18:03:42 / Last modified on 2016-06-16 18:03:43 Copyright: Default

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