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菜食主義者の人生

ワーカーズ12号 ウィークリー・マッドコリア

ソン・ジフン記者/写真キム・ヨンウク 2016.06.03 18:38

「私もいつかは菜食をするんだ。 それまではたくさん肉を食べて30歳ぐらいから始めよう」。 菜食をしているある後輩は、20代の時、しばしば私に菜食を薦めたりした。 当時は私たちが「肉食の終末」のような本を読んだりもして、さまざまな生態主義のテキストを勉強していた時でもあり、 私は「いつか」という端緒を付けて菜食への転向を果敢に(!) 宣言した。 その「いつか」は、まったく来るとは思えない年齢の30歳だったのは一種の小細工であった。 しかし来るとは思えなかった30歳を越えて数年経った今も、私は肉を食べている。 時々その後輩が「もう菜食を始める時」だと足払いをかけてくるが、そのたびにそんな理由を上げて転向を延期してきた。 「ベジタリアン」の代わりに「テジ(豚)タリアン」だという冗談を言いながら笑ったが、 実は菜食への転向は今まで一種の心理的な負債として心の中にある。 文で読んださまざまな話、つまり工場式畜産の話、食用動物を育てることで壊される生態系についての話、 過度な肉食の摂取で破壊される健康についての話といったものが、 菜食での転向を指示し続けてきた。 しかし他人の肉をかじる楽しみを放棄することは容易ではない。 週末の晩のサムギョプサルと焼酎は、平和とビールの杯の前に降臨された「チヌニム」の恩恵は愛なのに。 企画会議で菜食をしてみようという話が出てきた時、あるいはこの負債感を解消できる契機になるかもしれないと考えた。

1日目: もうキムチは食べられないんだな

菜食にも段階がある。 乳製品と動物の卵、魚は食べる「ペスコ」、 魚は食べないが乳製品と動物の卵は食べる「ラクトオヴォ」、 すべての動物性食品を食べないだけでなく動物実験による化粧品や革製品なども使わない「ビーガン」、 種と根野菜さえ食べず、ただ地面に落ちた実だけを食べる「フルータリアン」もある。 フルータリアンはジャガイモやホウレンソウも食べない。

私は一週間「ビーガン」として暮らすことにした。 厳格に菜食を体験するよりも、菜食主義者の「人生」を生きてみるほうが目的に合っていると感じた。 説明したように、ビーガンは食生活だけでなく、生活用品の使用においても動物を虐待し、生命の尊厳を侵害するすべての過程を排除する。 菜食をすると決心した日、真っ先にした事は、持っている革製品をすべてしまいこむことだった。 腰のベルトと財布を引出しの中に入れた。 それでも靴が「レザー(人工皮革)」だったのは幸いだった。 バスルームに行って、スキンとローション、シャンプーとリンスもチェックした。 シャンプーのほかはすべて動物実験をしている会社の製品だ。 石鹸さえも。 一週間、洗面をせず頭を洗うだけでいなければならないのか。

バスルームでシャンプーを持ってぐずぐずしていると食事時間になった。 お母さんには今週はずっと菜食しなければいけないので、一週間の肉おかずは出さないでくれとあらかじめお願いしていた。 それで出てきたメニューは、テンジャンチゲとキムチと味付け海苔。 お母さんは「完全な菜食献立じゃない?」という満足そうな視線を送ってきたが、期待した反応を差し上げることはできなかった。 キムチには各種のチョッカルが入っていて、テンジャンチゲには動物性調味料が入っている。 白飯を海苔で巻いて食べる間、当面のこのみすぼらしい食卓より「これからキムチは食べられないんだな」という考えが一番つらかった。

2日目: 芋の天ぷらになぜチーズをのせるのか

動物実験をしない化粧品会社のリストを持って、石鹸と入浴用品を買いに出た。 幸い数年前から動物保護団体が動物実験反対運動を行って、国内企業等も動物実験をしない会社が増加しているという。 石鹸とボディーソープを一つずつ買ったが4万ウォンになった。 シェービング・クリームはとても高くて買う気になれなかった。 これまで私が暮らしていた世界ではない。

昼食を食べるために近所の菜食専門食堂に行った。 粉食屋のトッポッキにもかまぼこが入っていて、定食屋のすべての食べ物は化学調味料が主材料に近い。 白飯と海苔を食べた前日の昼以後、食べたものはプチトマトしかなかった。 まともな「食事」が必要だった。 曹渓寺の近くの精進料理専門店という所に入った。 メニューにある昼セットメニューの価格は1万9000ウォンだ。 税込価格なのがまだ幸いだったというべきか。 二人でご飯を食べて、また4万ウォン近い金を払った。 一日の間にした事は、石鹸を買って昼食を食べたのが全てだが、交通費まで入れて10万ウォン近い金を使った。 その上、腹がふくれたわけでもない。 安い肉はあっても安い草はないという言葉を思い出した。 菜食をする方が素朴な人生だと漠然と考えていたが、少なくとも韓国社会では菜食の方がはるかに高い人生だ。 特別な決断、大きな決意がなければ日常的な菜食は韓国社会では難しいようだ。

分からない虚しさと喪失感に憮然としていると、一緒にいた友人が酒をおごると言う。 そうだ、ビーガンでも酒は飲める。 近くの酒場に入った。 焼酎とフルーツサラダ、黄桃を注文した (ビールは一般的に製造の過程で魚の浮袋や動物性ゼラチンなどが使われるという。 菜食主義者のためのビールもあるが、確認が難しいので焼酎を選択した。 サラダをつまみにして焼酎だなんて)。 普段は注文したこともないメニューだが。 基本のつまみとして提供されるポップコーンに手をつけようとして、友人の制止で急いで手を引っこめた。 「それ、バターで揚げている」。

つまみを待ちながら、焼酎二杯を続けざまに飲み干した。 つまみというよりは食事を待つ気持ちだった。 待っていたフルーツサラダと黄桃が出てきたが、私は泣きそうになった。 友人は拍手して大笑いをした。 サラダにはヨーグルトがかかっていた。 黄桃は牛乳につけられていた。 あわててまたメニューを見た。 メニューには数十種類のつまみがあったが、食べられるものは何もなかった。 なぜ芋の天ぷらの上にチーズをばらまくのか。

3日目: 工場式畜産の取材に挑戦

自分の意志よりも他意に近い菜食生活は、当初の予想よりはるかに苦しかった。 単にサムギョプサルとチキンだけ食べなければいいものではなかった。 長い間菜食を続けている人々は、この生活にどう耐えているのか、この苦痛の生活をどうやって勝ち抜いているのか知りたかった。 それよりも、何か理由を作りたかった。 映画「雑食家族のジレンマ」を作ったファン・ユン監督は、最近では一番有名な菜食主義者だ。 ファン・ユン監督は口蹄疫の殺処分で数百万頭の豚が死ぬ過程を見て菜食を始めたという。 彼女が作った映画「雑食家族のジレンマ」は、監督の家族が工場式畜産の惨状を目撃して自然と菜食中心の食生活をするようになった過程を見せる。

工場式畜産の弊害は、思ったよりもはるかに深刻だ。 国内で生産される抗生剤のほとんどは病院ではなく畜舎で使われる。 抗生剤を食べて育つ家畜は、抗生剤に耐性がある病原菌を人間に伝播する。 AIや口蹄疫が代表的だ。 産卵しない雄鳥は、ひよこの時に粉砕機で「廃棄」される。 工場式畜産を可能にした大規模飼育は地球の生態系を破壊したりもする。 家畜から出るメタンガスは地球温室ガスの単一原因としては最大だ。 こうした話は本で多く読んだ。 本で読んだだけの工場式畜産の弊害と惨状を直接目撃すれば、私も心からにじみ出る菜食ができるのではないだろうか。

動物保護団体に電話で問い合わせた。 「工場式畜産の現場を直接見たいが、方法はないでしょうか?」 どの団体も現場訪問は難しいと答えた。 ほとんどの畜舎が現場の公開を敬遠するという。 防疫を理由にしているが、最近、工場式畜産に対する批判の声が高まり、畜舎の様子が露出することを極度に警戒しているという。 結局、直接で接触を試みることにした。 インターネットで検索し、養鶏場と養豚農家の電話番号リストを作った。 自らのウェブサイトを持たない農場が多いので、求職サイトを検索しなければならなかった。 働く人を求める農場は少なくなかった。

30か所ほどの農場に直接電話をかけて、訪問取材を問い合わせた。 取材要請を受け入れてもらえるように「養豚産業不況の取材」と目的を説明したが、 取材要請を受け入れるところは一か所もなかった。 やはり、ほとんどが防疫問題を理由にした。

4日目: 「それでもまず私が生きなくちゃ」

強引に頭を突っ込むことにした。 龍仁にあるという、ある養鶏場の住所を持って、とにかく訪ねて行った。 前日、電話で取材要請をした所の中で、それでも一番好意的なところだった。 大衆交通を利用して3時間もかかった。 タクシー運転手のおじさんは進入路が狭いと言って、養鶏場からはるかに離れた場所で降ろされた。 狭い道を養鶏場の入口まで歩いていくと、畜舎臭いにおいがし始めた。 雨が降って、臭いがもっと深刻になったようだ。 道に沿って行くと、養鶏場で働いているような人に会った。 名刺を渡して取材にきたと話した。 社長に会えるかと聞くと、素直に事務室で案内してくれる。 事務室は農場入口のすぐ近くにあって、養鶏場は事務室からさらに深く入った所にあるようだった。 社長に名刺を渡して取材要請をした。 社長は昨日受けた電話も覚えていた。 「防疫問題があって、関係者でなければ養鶏場には入れません」。 3時間もかけて来たのに手ぶらでは帰れないと頑張ったが、社長は不動の姿勢だった。 「鶏が病気かかって死んだら責任が取れますか?」 社長は農場の中でも一緒にひと回りして帰れといった。 この養鶏場には1万羽ほどの鶏があって、ほとんどが産卵鶏、卵を生む鶏だという。

慎重に、鶏はどれほど狭いケージにいるのか、抗生剤はどれほど使うのか、産卵しない雄鳥はどう処分するのか尋ねた。 卵を回収して選別するシステムは全て機械化されていて、そのための小屋の中に鶏が入っているという。 一日に1万個近い卵が生産されるが、それをいちいち手で回収することはできないという説明もあった。 それ以上聞かなかったが、説明が続く。 鶏の価格はますます低下し、大企業の納品単価も低下し続けているという哀訴だ。 工場式畜産に対する批判の世論が高まっているが、工場式で運営しなければ生産量を確保できないということだ。 まさに工場式畜産をやめれば、すぐ養鶏場の運営も難しくなるという。 「とにかく生きている命を育てるのですから、誰もひどいことはしたくありません。 それでもまず私が生きなくちゃ。」

菜食

ブッカー賞を受賞した韓江作家の「菜食主義者」は、暴力を拒否する人間の象徴として「菜食」を選択した。 主人公は自ら木になって行くと信じた。 生命を殺し、その肉を食って生きる肉食は暴力的だ。 現代社会は過度な肉食生活に馴染んでいる。 韓国には牛だけで340万頭がいる。 赤ん坊から老人病院の寝たきり患者まで入れて、人口14人当り一頭の割合だ。 豚は1000万頭もいる。 過度な肉食文化が工場式畜産を誘発し、今では工場式畜産が肉食文化を追求している。

しかし人間は雑食動物だ。 牙(糸切り歯)の発達が証明するように。 人類の進化の過程でも、肉食による蛋白質の摂取は脳の容積を増やし、結局文明を成立させるためにも大きな役割を果たした。 他の生物を殺して食べる肉食は暴力的だが、世の中のすべての生物が他の生命の死によって生存する。 当為的で義務的な肉食を強要することはできない。 工場式畜産も同じだ。 工場式畜産が呼び起こした災難の責任を、畜産農家の労働者や自営業者に回すことはできない。 工場式畜産を中断しろというスローガンは、あるいは工場式畜産で食っていく人々の生計を威嚇する。

「菜食主義者の人生」は、明確な結論を出せないままに終わった。 この原稿を提出したらすぐ私は動物性調味料がいっぱい入ったラーメンを食べようと思う。 ただし、前とは違う考えを持つようになったことがある。 「この食べ物がどこから来て、どう作られたのか」という問いだ。 原則的な菜食を主張するにしても、自然の肉食を続けるにしても、あるいはその中間のどこかからでも、最初からその質問から始まったのではないかと考えた。 私が食べて生を維持させるこの食べ物が、本来は植物でも動物でも、別の生命だったことを認識すること、 それで私の生命は結局、他の何かの生命を踏みつけていることを自覚すること。

私は今後も菜食主義者として生きていくことはなさそうだ。 しかし私が食べる動物が生きている間は、快適で幸せに暮らせるように願い、 死ぬ時の苦痛は最小化するように願う。 狭い小屋で安モノのGMOを食べて育つ牛よりも、 草むらで草を食べて育った牛を食べられると良い。 そしてあまり肉食をせず、人間の食欲のために死ぬ動物が少なくなることを願う。

もう一つだけさらに希望を付け加えるとすれば、菜食を実践する人々がもっと安く生活用品と食べ物を購入できると良いし、 酒場でつまみを選ぶ時、選択の幅もさらに広くなると良い。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-06-11 01:28:45 / Last modified on 2016-06-11 01:28:48 Copyright: Default

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