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選挙が民主主義の花だという錯覚

ワーカーズ10号 時評

姜来熙 2016.05.18 11:30

第20代総選挙から1か月経った。 すでに誰もが知っているように、4.13総選挙は誰も予測しない結果になった。 選挙の前は野党圏の分裂でセヌリ党が国会先進化法を改正できる180議席は勿論、 単独改憲線の200議席まで取ることも可能だという展望があったが、選挙の結果は違っていた。 セヌリ党は122議席しか獲得できずに第二党に転落し、 共に民主党は所属の有力者が大挙国民の党へ移動したが123議席を得て、第一党になり、 国民の党は38議席という少なくない議席数を確保して院内交渉権を得た。 一言でセヌリ党の惨敗であり、野党勢力の大勝利という計算だが、 そのために一方では有権者が総選挙碁盤で「神の一手」を打ったという評価も出てくる。

選挙は「民主主義の花」だという通念がある。 これは、民主主義とは選挙をすることでその可能性を花開かせることができるという意味であろう。 ちょっと見れば前の総選挙は、民主主義の花が選挙であることを証明したようだ。 総選挙がなければ朴槿恵(パク・クネ)政権の反民衆的な国政運営を支援してきた巨大与党を第二党に転落させることができただろうか。 選挙があったから、有権者がセヌリ党を審判することができ、 選挙があったから、湖南の民心が共に民主党を審判することができたのだろう。 こうした考えはいつの間にか選挙が民主主義の花だという通念をまた強化する。

しかし、総選挙から1か月経った今、その結果をまた反芻してみたいのは、それに対する批判的な解釈が必要だという思いのためだ。 事実、前の総選挙は韓国の公式な政界を保守一色に変えたと見なければならない。 何よりも進歩勢力の政治的進出がさらに萎縮した。 共に民主党と国民の党が期待以上に善戦したのと違い、進歩勢力が得た議席数はすべて合計しても7議席にしかならない。 正義党が地方区2議席と比例代表3議席を得たのに終わり、 無所属で蔚山に立候補した進歩候補2人が当選しただけで、 緑色党など他の進歩政党は議席の確保にも失敗した。

この結果、韓国の政界は20代国会では右偏向するものと予想される。 セヌリ党は言うまでもなく、今回思いがけずに第一党になった共に民主党がさらに保守化する可能性は高い。 共に民主党はまだ「運動圏」の伝統に埋没しているという批判を最近、外部から輸血した勢力から受けているが、 金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時にすでに新自由主義政策を強化して労働者たちを抑圧した前歴がある。 しかも前の総選挙での勝利も、朴槿恵(パク・クネ)大統領作りに参加した保守政客の金鍾仁(キム・ジョンイン)を借りてきたことの結果だ。 共に民主党がこうしてさらに保守的な色彩を帯びれば、国民の党はどうだろうか? この党の主な議員は共に民主党議員よりさらに保守的であるということは、セヌリ党との連立政権の提案が内部から時々飛び出してくることからも確認されている。

4・13総選挙の結果は、有権者による「神の一手」だと見るより、選挙制度が作り出した有権者の戦略的ミス、または自滅を招く手法はでないかと見なされるのは、こうした理由だ。 もちろん、これまで意気揚揚としていた与党と大統領の鼻をへし折ったのは気持ちがいいことだ。 だがセヌリ党の「一党独裁」を防ぐ意図が戦略的投票により成功を収めたとすれば、 その過程で進歩勢力の政治的進出が萎縮したのは、 民主主義の花だという選挙がむしろ民主主義を枯死させたケースに該当する。 民主主義の「民」が民衆だとすれば、この民衆の利害関係を代弁する進歩勢力が前の選挙でむしろ萎縮したためだ。 それでも進歩勢力の政治的な無能力までが免罪符を受けたわけではないものの、 前の選挙が必ず民主主義の花を咲かせただけではないという指摘も可能だ。

選挙が民主主義の花になりにくいのは、本来それは貴族政治の手段だったからだ。 シェークスピアのハムレットの最後の部分には、主人公のハムレットが投票する場面が出てくる。 すべての王族が皆死に、デンマークの次期王位をノルウェー王子のフォーティンブラスに渡すと言いハムレットは自分の票を彼に投じると話すのだ。 ハムレットの投票行為が成立するのは劇中のデンマークが少数の王族が選挙をして王位を決める国と設定されているためだ。

このような形の王族または貴族中心の投票の伝統は、枢機卿が投票で法王を選ぶカトリックの伝統でも発見される。 こうした事例を通じ、われわれは選挙や投票が必ずしも民主的な手続きはないことを知れる。

民主主義の産室である古代アテネで重要な懸案を決める方式は籤引だった。 籤引きと選挙は異なる選択および決定の方式だ。 選挙が少数の立候補者の中から必要な数の人を選ぶものであるとすれば、籤引きは多数の立候補者の中から抽選で必要な数の人を選ぶ。 籤引きが投票と違う点は、立候補者の特権を完全になくすところにある。 投票では権力、財力、名声を持つ人が有利なはずだ。 しかし籤引きでは福・不福の原則、すなわち運が作用するだけだ。 アテネで公職者を選出する時、籤引き方式を選んだのは、すべての立候補者に徹底して公正な機会を与えるためだった。

人口が数十万しかいなかった古代アテネとは違い、韓国のような現代の国家では、有権者が数百万、数千万人もいるという点で、籤引きに依存して国会議員を選ぶのは難しい。 だが、選挙だけで民主主義の花が満開になると期待することを望むこともできそうもない。 先日の20代総選挙で、そして過去の選挙でも、進歩勢力が公式的な政界で成長できないのは、選挙が必ずしも民主主義の花を咲かせないからかも知れない。 個人的にハムレットは私が一番好きで、これまで一番よく読んだ作品だが、 ハムレットが死ぬ瞬間に投票権を行使するのを見ると、 この作中人物が少数の上層部が支配していた王国の特権層だったことに改めて気付かせる。 進歩勢力は選挙とは違う方式で民衆の支持を得る方案を探す努力を怠ってはなるまい。

付記
姜来熙(カン・ネヒ)チャムセサン理事長、知識循環協同組合代案大学学長で働いている。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-05-22 18:14:11 / Last modified on 2016-05-22 18:14:12 Copyright: Default

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