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ワーカーズは潰れないのかという言葉ではなく

ワーカーズ10号 ウィークリー・マッドコリア - 独立言論の営業をしてみる

ユン・ジヨン記者 2016.05.17 15:39

民衆言論チャムセサンの新しい挑戦、週間「ワーカーズ」創刊。 締め切るから締め切りなので、あっという間に10号が発行されて2か月が流れた。 外では新しい挑戦だとかなんとか大声を上げてまわるが、 内部のスタッフはますますボロボロになっていく。 顔も、そして生活も。

人々から民衆言論チャムセサンの時と較べて何が変わったのかという質問をよく受ける。 明らかに変わった。 借金は比較にもならない程増え、労働強度は強くなった。 それでも「私たちは金はないけど、見栄はある(訳注:最近ヒットした映画のセリフ)」という気風が残っているのか、 スタッフは堂々たるジャーナリストとしての姿勢を失わないように努力している。 企業の広告などは受けず、資本や権力に振り回されず、私たちが書きたい記事を思いきり書けるメディアなのだから。

だから本当にぶつぶつ言いたくはない。 これまで貧しくなかったことはなく、仕事に苦しまなかったこともない。 今さら特にこわいものはないと思っていた。 だが発行号数が増え、ますます重い岩塊が肩の上に乗っているような気持ちになる。 単に気持ちだけではない。 本当に痛み始めた、両方の肩と首の後ろが。

この前、犬に噛まれる悪夢を見た後、もう黙っていられないという怒りが湧いてきた。 韓国社会で本当に独立言論や民衆言論が生き残ることは不可能なのであろうか。 それで始めたウィークリー・マッドコリア。 民衆言論の購読を勧める営業社員なった。

「それで連絡してきたのか」という壁

すべての営業の第一歩は「知人」の活用だ。 その中でも一番接近が容易な対象は家族。 だが兄はごりごりの保守で、父も難しい人だ。 父は1年の定期購読を口実として私に覚書を要求した。 それも父の前にひざをついたまま。 揉めた末にペンを持った。 覚書の内容は今年中にとにかく結婚すること、違反した時は1年の購読料の5倍を弁償することなどが骨子だった。 そこまでなら良かった。 父はその覚書を結婚するまで、私の部屋の机に貼っておけと言い張った。 私は結局、ぎゃあぎゃあ騒いでそのゴミ案を捨ててしまった。

家族ではない知人をターゲットにしてみようか。 だが私に近いベストフレンドたちはすでに購読をしている状況。 近そうでもあり、そうでもなさそうな知人に視線を転じた。 だがすぐに私は気付いてしまった。 彼と私の間に見えない壁があるという事実を。 自然に週刊誌の話を切り出して、かくかくしかじかと内容を説明した後、購読を薦めた時、受話器の向こうの表情と空気までが変わるのを感じることができた。 声や語り口は言うまでもなく。 「状況が難しい」、「考えてみる」、「週刊誌には関心がない」といった言葉は不愉快なものではなかった。 それは十分に予想したことだから。 つらかったのは「それで電話したんだな」とか「私をただの営業対象と考えているんだな」という感じが伝わった時だ。

大学の時、高等学校の同窓1人が私を訪ねてきたことがある。 突然、何の用だろう? いぶかしがっていると、彼女が私に保険加入書を差し出した。 私はその時、彼女にどう対応したか。 あまりよく覚えていない過去をふと思い出した。

何日か前、やはり購読募集に飛び込んだ同僚記者が目を真っ赤に腫らして出勤した。 両親と喧嘩しという。 週末に家に電話をかけて、購読を要請する姿が両親の眼についたようだ。 「あの子、またあんなことしてる」という不平を聞いて両親と大喧嘩をしたといった。 両親の立場としては、不安定でつらい職場に見えたのか。 「それでも泣いたらせいせいした」という彼女の言葉はとても悲しかった。 何か話でもしようと思ったが、話を切り出せずただ笑ってしまった。

独立言論が必要な民主労組は貧しかった

痛みを忘れてテレマーケティングに挑戦してみることにした。 完全に日程をあけて同僚の記者と向かい合って座って電話をかけた。 それでもいやしくも働く人のための雑誌「ワーカーズ」なのだから、無作為に労組事務室に電話をかけた。

携帯電話に発信番号が増えるほど苦笑が出てきた。 たびたび前の席に座った記者とむなしい笑いを漏らしたりもした。 内容は似たようなものだった。 もう1年の予算が策定されていて、すぐ購読するのは難しいと思うと言われた。 いくつかの労組は今、内部がとても混乱した状況なので、ある程度落ち着かなければ話ができないと答えた。 担当者ではないという回答と、会議をしてみなければならないという言葉も多かった。 一番胸が痛い返事は「予算がとても難しい」ということ。 「私たちの財政状況が苦しくて、メディアの購読を全面的に中断しています」、 「法律費用も払えません」、 「少数労組なので個人の金で運営しています」、 「新生労組なので殆ど予算がありません。すみません」等。

一等セールスマンになりたければ、そんな人にもマーケティングをしなければならなかった。 だがとてもこれ以上、話をするのは難しかった。 労組の財政状況は、規模と職種などによって千差万別だ。 苦しいところは本当に苦しいということは知らないわけではなかった。 それでも金持ちの労働者が私たちの雑誌を購読するはずもないという状況。 それで時々混乱に陥ったりもする。 なぜ記事を書けば書くほど、財政の安定化から遠ざかるのか、という。

一日中、電話に取り付いていたので骨がぽきぽき鳴る。 それでもテレマーケットの労働とは較べるまでもなかった。 ぷつんと電話を切られたり、悪口を言われたり、怒鳴られることはなかったから。 不幸中の幸いだと言うべきか。

民衆言論が必要な民衆も貧しかった

これはだめだと思って取材源を対象として営業をしてみることにした。 実は少々気が置けない取材源でなければ購読を要請するのは容易ではない。 「私がこんな記事を書いたので、あなたも購読して」という一種の取り引きと読まれるかと思って。 それでも他の主流マスコミが関心を持たない事案を取材して調べる民衆言論の価値と必要を一番よく知っている人々がまさに彼らなので、やらざるを得なかった。 何とか受話器を持った。

やはり容易ではなかった。 何よりも容易ではないのは、民衆言論チャムセサンの時に関係を結んだ取材源は、ほとんどがネズミの尻尾ほどの生活費で暮らしていく人だということだ。 互いに事情はよく知っているので財布を開かせるのが心苦しく、申し訳ない。 「事情が難しい」あるいは「後で余裕ができればする」という拒絶も理解するほかはない。

ずっと拒絶され続けていたら泣いてしまっていただろう。 だが断った人よりも応援を送ってくれる人の方が多かった。 誰よりも困窮した生活をしているのが明らかなA氏は、とても当然だというように定期購読者に加入した。 むしろ私に申し訳ないと言いながら。 彼にありがとうという携帯メッセージを送ると 「もっと早くしなければいけなかったのに申し訳ありません」という携帯メッセージが戻ってきた。

労災で療養中のB氏にも電話をした。 「営業するために電話を差し上げた」と言い出すと「いくらでも気楽にしなさい」と話した。 彼も私に申し訳ないといった。 これまで心の余裕がなくて購読申請ができなかったと。 電話を切った後、彼からメッセージがきた。 頑張れという携帯メッセージだった。

C氏はずっと「義理」を強調した。 自分は子どもの頃から文章は苦手で、今でも本どころかインターネットも見ないが 「義理」があるから当然購読申請をするということでだった。 営業しようとして、逆に人々から慰められた。

再び路上に

雑誌と机をかついでタクシーを呼んだ。 また道端だ。 もう江南の路上で露店をした経験もある(パク・タソル記者、〈用役と会う所百メートル前〉、「ワーカーズ」8号)。 やはり最初は難しいが、二回目は易しかった。 上水洞のホットプレイスというイリ・カフェの前に屋台を出した。 明らかにホットプレイスだったが、雨がやんだ後だったので、あまり人がいなかった。

チラホラ通り過ぎる人々を見ながら、今日はダメだという感じがした。 時々お客さんがきて「創刊号を読んだ」と知っているような様子をしたりもしたが、定期購読にはつながらなかった。 ある外国人が雑誌をあれこれ手にとって関心を見せることもあった。 だが韓国語もたどたどしい私たちが、英語で上手く話せるだろうか。 結局、互いに表情をうかがうだけで、彼を放置してしまった。 さびしく離れる彼を見ながら、われわれは屋台を一つ一つ整理した。

それでもまったく成果がなかったわけではない。 仮屋台を淋しく守っている写真を撮って人々に送った。 主なターゲットは草創期から購読を拒否している取材源。 彼はそれなりに確固たる意地でいつも購読を拒否しているところだった。 はやく週刊誌がつぶれることを願いながら、祈祷でもしそうな勢いであった。 彼の要求は簡単だった。 週刊誌をやめてインターネットにもどれということ。 多くの記事を迅速に上げる言論、SNSに早く、簡単に広がる記事を望んでいるようだった。 民衆言論チャムセサンに対して誰よりも愛情を持っている人だ。 彼に写真を送りながら、最近ではこうして道端で営業しながら暮らしているといううめき声をあげた。 その時初めて彼は「ひとまず後援者として1年契約しよう」というメッセージを送ってきた。 営業3か月目の成果であった。

われわれに可能だろうか

相変らずできるようなできないような感じだ。 果たして韓国社会で独立言論、民衆言論として生き残れるかという質問には。 何と7年間、できるようなできないような感じで暮らしている。 もしその正解を知っていれば、私は神だろう。 世界中に確信できることだけをする人が何人いるだろうか。 初めてチャムセサンに入ってきた時、「まだつぶれないのですか?」という言葉を一番よく聞いた。 そうだ。つぶれる、つぶれると言いながら、絶対につぶれない所だ。 それだけ支持し、応援してくれる人もいるということだ。 創刊初期に購読者が基盤を用意してくれたおかげで、まだ週刊誌が出ている。 さらに遡れば、何一つ受け取りもせず、毎月チャムセサンを後援する会員もいる。 彼らが私たちに望むのは、主流の声にしばられずに新しい世の中の可能性を話してほしいと言うこと。 そして労働者と少数者、社会的弱者の話をそのまま見せてくれと言うことだ。

7年経った今でも「まだつぶれないのか」という質問が相変らず付いて回る。 恐らくこの問いは独立言論の宿命のようだ。 あえて人々が憂慮するところに行くのも独立言論の宿命というものだ。 倒れていく古い家に閉じこもり、家だけを守っていれば、家の下敷きになって死ぬかもしれない。 補修工事もして、新しく壁も塗り直すことで、家も生き、私も生きる。

この記事を書いている途中である地域の独立言論代表から電話がかかってきた。 近い将来、報道社を廃業する予定だという。 はっきり言える言葉が出てこず「一緒に頑張ろう」という空しい言葉しか言えなかった。 独立言論、民衆言論の生存がまったく不可能に見える韓国で、われわれはできるのだろうか?

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-05-22 18:10:22 / Last modified on 2016-05-22 18:10:23 Copyright: Default

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