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キム・ジンスク、キム・ゲウォル、チェ・ミョンジャ…「戦う女性労働者」の現実トーク

キム・ジンスク「希望の歩み」、解雇労働者と共に7日に青瓦台到着

ユン・ジヨン記者 2021.02.07 09:09

昨年12月30日、釜山市湖浦駅を出発した「希望の歩み」行進が2月7日にソウル青瓦台に到着する。 キム・ジンスク韓進重工業解雇者が第一歩を踏み出したこの行進は、 1か月を越える旅程の間、全国各地から集まった弱者たちの行進へと絶えず拡張していった。 全国の解雇事業場の労働者はキム・ジンスクと連帯し、 キム・ジンスクは彼らと共に行進しながら同じ苦痛を分けあった。 そして2月4日、絶えず対話しながら互いを慰めてきた3人の女性労働者が一つの場に集まった。 キム・ジンスク韓進重工業解雇者、キム・ゲウォル アシアナケイオー支部解雇労働者、そしてチェ・ミョンジャLGツインタワー分会解雇労働者だ。

[出処:シン・ユア]

最も痛快な闘争、そして最もつらかった時間の話

これら3人の女性労働者は2月4日、 希望のバス司法弾圧に対抗する「回し蹴り」企画チームが主催したライブ放送に出演し、 彼らの人生と解雇、そして闘争についての話をした。 「私たちが戦うように」という題名のライブ放送で3人の女性労働者は、 これまで言えなかった多様な「現実トーク」を続けた。 1月26日にキム・ジンスクと共に勇気を加えるライブ 「私がたたかうように」に続く2回目のライブ放送だった。

キム・ジンスク韓進重工業解雇労働者は1986年に労組の代議員大会に出席した後、 労働者の権利を要求する宣伝ビラを配布したことで対共分室に連れて行かれ、拷問された後に解雇された。 そんな彼女が解雇35年目の昨年12月30日、復職を要求して釜山から青瓦台までの行進を始めた。 そしてその日、ソウル汝矣島にあるLGツインタワー清掃労働者約80人が契約満了通知書を受け取った。 彼らは約半月前から雇用継承などを要求してビルのロビーでストライキ座り込みを行っていた。

昨年5月10日にはアシアナ航空手荷物分類および機内清掃を担当するアシアナケイオー航空機清掃労働者が整理解雇された。 昨年12月8日、中央労働委員会がアシアナケイオーの労働者の不当解雇をまた認めたが、 会社は行政訴訟を提起して9か月、労働者たちを路上に放置している。

彼らはこの日のライブ放送で解雇以後の闘争で一番つらかった点、 そして最も痛快だった瞬間などを打ち明け、互いの人生に共感した。 キム・ゲウォル アシアナケイオー解雇者は労働委員会から不当解雇判定を受けた時が、 一番痛快だったと話した。 彼女は「昨年5月10日に解雇された後、2か月間テント座り込みをしながら、 3回の強制撤去を受けた。 そして湿っぽい夏の日をトラックで過ごさなければならなかった」とし 「そして7月13日に仁川地労委で不当解雇の判定を受けた。 1日中雨が降る日で、12時間の集中文化祭が続いている時だった。 午後8時に不当解雇判定の携帯メッセージを受け取ったが、 この巨大な会社に勝ったと思うと嬉しくもあり、とても痛快だった」と伝えた。

チェ・ミョンジャLGツインタワー解雇者は労組を作って会社に声をあげ始めてから、 痛快な事件がたくさんあったと話した。 女彼は「(労組を作る)前は土曜日に無賃金労働をさせられた。 3か月に1回、食堂2か所で床のワックス作業をしたが、それも無賃金だった。 しかし労働組合を作ると声を上げることができた」とし 「1年間、会社は無誠意な交渉を続け、12月31日付で解雇した。 それで12月16日からロビーに座布団を敷いてストライキと野宿を始めたが、 そこで『具光謨(ク・グァンモ)』と叫んだ。 『具光謨が出てきて解決しろ』とその人たちの名前を呼んだことが一番痛快だった。 今も叫び続けている」と声を高めた。

キム・ジンスク韓進重工業解雇者も1987年に労働組合が初めてストライキをした時を一番痛快だった瞬間だと記憶した。 彼女は「解雇されてから1年間は、叩かれ、殴られるだけだった。 会社と御用管理者150人と警察バス何台かがきて、朝も晩も踏みつけられた」とし 「そのうちに1987年に労働組合が初めてストライキをして、 あれほど勢いいっぱいだった管理者たちが船に乗って逃げた。 妻の実家に隠れ、病院にも嘘をついて入院して。 それを組合員たちが特殊部隊を組織して捉えてきた。 幹部から謝罪を受けて民主労総を初めて建てたその組合員たちの躍動性が、 今の私を頑張らせる力」だと明らかにした。

[出処:シン・ユア]

では解雇以後に闘争を続けながら、一番大変だった瞬間はいつであろうか。 キム・ゲウォル アシアナケイオー解雇者は「闘争発言」の時が一番大変だと打ち明けた。 「話」よりも「文」を書くほうが気楽だというキム氏は 「(闘争すると)文化祭などで現場発言をしなければならない時がある。 しかし私はライブにとても弱い」とし 「ある日はライブ(発言)をしなければならないと決心してマイクを持った。 ところが頭の中が真っ白だった。 その日だけは携帯電話に書いておいたものを読むのではなく、ライブでしたかったのに、 結局書いてきた文を読むことになった」と説明した。

LGツインタワーのチェ・ミョンジャ解雇者は共に戦う同僚が一人二人と 闘争の現場を離れる時が一番苦しかったと言う。 彼女は「会社で慰労金を払うから勧告辞職書にサインをしろといった。 何百万ウォンかの慰労金で何人かが出て行き、 それでも人々が残っているので会社は相談をしながら懐柔した。 そこに傾いて、また何人かが出て行った」とし 「そのたびに悲しく力が抜ける。 いくらか前までは、そうして組合員たちを揺さぶった。 だがストライキの後には30人の組合員がみんな固く団結している」と説明した。

それでもチェ氏は組合員が闘争を続けられるように頑張らせるのは「連帯の力」だと強調した。 彼は「金持ちが連帯するのではない。労働者の気持ちを知る人たち、 貧しい人たちが連帯する。 そんな人々の連帯が私たちに戦わせる力」と強調した。

キム・ジンスク解雇者も 「他の人たちは解雇されて戦うのを大変で苦しいことだとしか考えない。 しかしそれでは36年も戦えない」とし 「86年にアカ、スパイ、金日成の娘だと言われて解雇された。 その時期には、そばに来ただけで同じアカになった。 それでも何の私心もなく支持してくれ、連帯してくれる本当に良い人々が多かった。 そんな人々の力でここまできて、新しい世の中の秩序を知ることになった。 その力で頑張る」と話した。

一方、キム・ジンスクと解雇労働者、そして多くの市民が連帯する 「希望の歩みデモ行進」が今日(2月7日)に大統領府に向かう。 「リメンバー希望バス企画団」はこの日の午前11時に黒石駅から出発し、 午後1時に韓進重工業で使用者側を糾弾する象徴儀式を行った後、 2時30分に光化門を経て午後3時に青瓦台の座込場に到着する予定だと明らかにした。 現在、青瓦台では昨年22日からキム・ジンスク復職と解雇禁止を要求する48日間のハンストが続けられている。 なおこの日のデモ行進には、 大宇バス、韓国ゲイツ、コレイルネットワークス、アシアナケイオー、 LGツインタワー、旭硝子、ソジンENGの解雇労働者も参加する予定だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2021-02-15 05:14:46 / Last modified on 2021-02-15 05:14:48 Copyright: Default

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