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「保守プロテスタントと韓国党の『人権条例殺し』は決して『勝利』ではない」

ウ・サミョル「忠南人権条例守り共同行動」執行委員長インタビュー

チェ・ハンビョル ビーマイナー記者 2018.04.13 19:11

地方選挙までわずか二か月残す現在、人権条例が熱い政治的な話題に浮上した。 昨年、保守プロテスタント界を中心に構築された 「同性愛同性婚改憲反対国民連合(以下、同反連)」は 「地方人権条例の廃止のために努力し、 地方選挙の立候補者に同性愛についての立場を聞く」と明らかにした。 人権条例が候補検証の新しいリトマス紙として登場したのだ。

このような現象は忠清南道から始まった。 「忠清南道道民人権保護および増進に関する条例(以下、忠南人権条例)」廃止案が去る4月3日、 全国地方自治体の中で初めて道議会を通過したのだ。 廃止案は1月16日に発議された後、2月2日に可決され、 安熙正(アン・ヒジョン)前忠清南道知事の再議要請を受けて道議会に戻され、 再び可決された。 自由韓国党が過半数を占める忠南道議会が二回にわたり、 人権条例廃止に対する確固たる意思を明らかにしたのだ。

まだ人権条例の廃止が確定したわけではない。 ナム・グミョン忠清南道知事権限代行が4月9日、 大法院に人権条例廃止案議決無効確認訴訟と執行停止申請をすると明らかにしたのだ。 これにより人権条例廃止の確定は大法院の判断を待たなければならない状況に置かれた。

再び点火された「同性愛賛否議論」の出発点になった忠南人権条例。 「条例を生かす」ことの先頭に立ってきた 忠南人権条例守り共同行動のウ・サミョル執行委員長と会って話を聞いた。 忠南人権条例をめぐる政治と宗教問題を彼の視点から調べる。

▲ウ・サミョル忠南人権条例守り共同行動執行委員長[出処:ビーマイナー]

2012年に忠南人権条例を発議したのは現自由韓国党所属の宋徳彬(ソン・ドクピン)議員だ。 当時条例は議会で全員一致で通過した。 宋議員をはじめとする韓国党の議員全員が今回の廃止案可決に賛成票を投じたのだが、 2012年はなぜ人権条例の発議と通過が可能だったのかが気になる。

忠南人権条例は人権委で2012年に配布した人権条例標準案とほとんど異ならない。 平易な内容で、予算についての強制条項もなく、また人権委員会に強い力を与える内容でもなかったため、 保守陣営でも格別な負担なく発議した。 しかも条例の中には「性的指向」や「性同一性」という単語が入っていなかったので、 発議や制定の時も特に問題にならなかった。 とても静かに自然に通過した。

そのうちに昨年突然、忠南地域の大型教会を中心として人権条例廃止請求署名運動が行われ、 こうした動きを感知した議員が自発的に廃止案を出した。 すでに住民請求手続きが進められているのに政治的ジェスチャーで廃止案を発議したのだ。 保守プロテスタント界の結集力が実際に選挙で有意味な水準なのだろうか?

実質的なパワーがどの程度なのかはよくわからないが、 政治家たちがこのように判断して行動するのだから、 何の根拠もないと見ることはできそうもない。 かたまって動く保守プロテスタント会の票をはっきりと韓国党側に引っぱることができるという判断があり、 そのため教会との結合を政略的に選択したと見られる。

「私は宗教家のひとりとして話すのです。 神様の言葉である聖書に金鍾泌(キム・ジョンピル)議員様、キム・ヨンピル議員様が言葉をくれたのでリバイバルしているようですが、 神様の言葉である聖書ロマ書1章26節を読めば、理の通りにするようなことを女ではなく男と男が恥ずかしいことをすることにより、 その人たちは大きな堰ウーンを受けるだろうというような言葉があります。 私はその言葉、私たちの宗教団体がする話の中にそれが誤りだと考えます。(中略) ですから神様の聖書に出ているその文字通り私たちは同性愛は反対すると考えるから、今日人権条例(廃止案)私は明確に賛成をします。」 (宋徳彬(ソン・ドクピン)自由韓国党議員の2月2日忠南(チュンナム)道議会本会議発言中)

条例廃止案の発議以後、反対する市民社会反発も小さくなかった。 そのため韓国党の議員も負担があったようだ。 それでも韓国党の議員全員が人権条例廃止案に賛成票を投じた。 なぜこうした現象が可能だったと見るのか。

去る1月29日、忠南行政自治常任委員会に初めて廃止案が上程された時、 インターネットの生中継で会議を見ていた。 議員が深刻に議論をして、しばらく会議を中断してみんなが会議室から出て行った。 そしてしばらく後に戻って 「十分に内容を検討しなければならないので廃止案の議論は保留することを決定した」とし、会議を終了した。

そしてすぐその日の常任委会議が終了した直後、韓国党議員総会が開かれた。 議員総会後、人権条例廃止案が一文字も変えずに再上程された。 議員総会で廃止案が二時間で決定されたのだ。 結局、廃止案は翌日直ちに常任委を通過した。

常任委は韓国党議員が6人、民主党議員が2人なので、 もし韓国党の議員が心から「条例案を廃止しなければならない」と判断したとすれば、 最初の会議でいくらでも本会議への上程が可能だったのだが、そうではなかった。 韓国党議員総会が廃止案上程決定の分岐点ではなかったようだ。 議員各自の力量に政策的判断を任せるのではなく、「忠南道党」、 さらに韓国党の政略的判断による上司の命令に服従するような構造で、 この問題が扱われたと見るほかはない。

忠南人権条例廃止案可決によってどのような余波があり、 またどのような余波が起きると見るのか。

一次的には地域人権条例が影響されることになる。 ひとまず釜山の海雲台区で人権条例の一部条項が「改悪」され、 鶏龍、公州、扶余でも人権条例廃止の要求が登場した。 結局否決されたが牙山市でも人権条例廃止案が本会議まで上がった。 特に牙山市では人権条例廃止を要求する理由が 「人権委と協力できるという内容が条例にあるから」だという。 この主張は大韓民国の法秩序体制そのものを否定するものだ。 人権委は厳格に国会で通過した法によって作られた国家機構だ。 (編集者注:東方研をはじめとする団体は人権委が忠南人権条例の廃止に繰り返し反対の意思を明らかにすると 「人権委が同性愛を助長する『悪い人権条例』を擁護している」と糾弾している。)

こうした「反社会的」な主張が横行すること自体が悲劇だが、 問題はこのような話をする人々が恥を感じていないということだ。 彼らは確信を持ってこうした主張をする。

▲忠南道議会で忠南人権条例廃止案が発議され、性少数者団体などの人権団体が1月25日、自由韓国党の前で糾弾記者会見を行った。[出処:ビーマイナー]

そのような「確信」の基盤には「聖書」がある。 人権条例廃止を主張する保守プロテスタントでは 「聖書が罪と規定する同性愛が人権条例、さらに人権委の庇護の下に広がる」と主張している。 ウ委員長はプロテスタントの牧師でもあるが、 キリスト教徒としてこのような現象についてどのような立場を持っているのか。

同性愛を「罪」と見る口約の律法を守ろうという話を今、プロテスタントの牧師がするべきか? 全く同意できない。 われわれはプロテスタントの牧師であって、ユダヤ教のラビではない。 イエスは「あなたの隣人をあなたのからだと同じように愛せ」という。 そして一生懸命その生活を送った。 例えばイエスがザアカイ(編集者 注:新約聖書に登場する人物で、ユダヤ人から税金を集めて当時イスラエルを植民支配していたローマにこれを渡す「税吏」だった。 当時「税吏」は植民ローマの反逆者で、民族の背信者という烙印を押された人だった。)の家に入った時、 ザアカイが税吏をやめた後、彼の家で一緒に夕食を食べて居たのではなかった。 イエスはむしろザアカイがユダヤ社会で「一緒の席にありえない者」と見なされ、 嫌悪の対象だった時、愛の行為を通じてその固定観念を破った。

こうした面でイエスの教え子のプロテスタント人も、 ある対象を両極端に簡単に罪や悪と規定してはいけない。 多くの暴力のしくみがある社会と、教会の中の多くの問題には目をとじて反省もせず、 社会的少数者をこのように攻撃することはとても二重的だという考えを拭えない。

ではなぜ、 こうした傾向が爆発的に広がると見るのか。

内部的な結束を固めるためだ。 政治勢力化の過程で嫌悪のメカニズムが使われるのがひとつ、 もうひとつは教会の成長の勢いが鈍ったことに対する危機意識に始まると見る。

6〜70年代、爆発的に教会が成長したのには、さまざまな要因があった。 そのうちの一つは教会が貧しい人と社会的弱者にとっての慰めになり、 彼らが宗教的カタルシスにより苦しみを中和する空間になった面があるということだ。

しかし90年代以後に成長の勢いが鈍り始めた。 80年代後半の民主化運動と、87年の改憲などで民主主義が大きく成長して「合理性」が重要な価値になり、 信仰にもこうした視点が要求されたが、 教会はこのような要求に応じることに失敗した。 牧師中心の統制的/権威的/独断的な牧会の方式から抜け出せず、 教会が伝えるメッセージの内容や教会権力体系の構成、運営方式などが 時代的な変化にしっかりついて行けなかった。

社会がどんな状態にあるのか、それで教会がどんな方式で苦しむ人々を抱くべきか、 柔軟に悩んだり疎通しようとしないまま、独断的なメッセージだけを提示してきた。 教会が社会の一部だという考えを持てなかったのだ。 そのうちに、むしろ社会から敬遠され、断絶する現象が発生することになった。 今はここから抜け出さなければならない。 本当に危険なこともある。

この危険性は、 教会だけだと見ることはできないだろう。

実は教会もすでにこの危険性を知っていると考える。 それで最近、性少数者反対活動をする時に、教会の名前が入っていない市民団体の名前を使う。 決定的な瞬間に、教会の人的、物的資源を動員するが、 結局教会の名を出してこうした活動することの負担になるという事実を認知しているのだ。

「反同性愛」活動をする人々は、人権条例が「同性愛を助長」するわけでもなく、 そうすることもできず、 自分たちの行為が反憲法的だということを数えきれない程聞いただろう。 また、自分たちが主張する「反対の論理」がどれほど脆弱なのかもよく知っているだろう。 彼らの主張によれば、罪人の中の罪人は、結婚しても子供を生まず、 それでこの国の「人口減少」の一助となる30万組の異性愛者夫婦であり、 さらに結婚さえしない人々だ。 だが教会が「神様の創造の摂理に反する」として彼らを激しく批判し、罪人扱いするのか? なぜ唯一「同性愛者」だけに創造摂理の基準を突きつけて「反対」するというのか。 結局、自分たちが持つ嫌悪に宗教の外皮をかぶせ、伝播しているのだが、 これを合理的思考で修正するどころか、どんどん強化している。 自ら退路を断って嫌悪に没頭している姿だ。

地方選挙を控えて「同反連」はすべての候補に 「同性愛を支持するのか、人権条例に対する立場は何か」と質問すると明らかにした。 忠南人権条例守り共同行動は、 今回の地方選挙で候補に人権条例についての立場を公式質問する予定があるのか。

まだ公式に議論されていないが、人権条例への立場を明らかに候補たちに要求するべきだと見る。 憲法を否定する人々が公職に選出されてはならないのではないか。 憲法精神守護に対する意志を候補たちが堂々と明らかにした後に選出されなければならず、 憎しみと嫌悪に基盤をおく候補が当選することは決してあってはならない。

人権条例をなくせという主張が受け入れられてはならない。 これは憲法の価値を傷つけるものだ。 人権条例は憲法第10条を具体化したものだからだ。 こうした人権条例に「悪」をかぶせてなくそうとする戦略は、 しばらくどこかの地域で(人権条例が)廃止されるとしても、 最後には必ず負けるしかない戦いだ。 社会の進歩を教会が防ぐのなら、結局淘汰されて孤立させられるのは教会だ。 保守政党も、宗教を政治勢力維持に動員する試みを止めなければならない。 これを推し進め続けるのであれば、とんでもない逆風を受けるだろう。[記事提携=ビーマイナー]

付記
この記事はチャムセサン提携言論ビーマイナーの文です。

原文(ビーマイナーの/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-04-20 21:47:55 / Last modified on 2018-04-20 21:47:57 Copyright: Default

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