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「3年戦って『GM労働者』認められたのに... 工場閉鎖だなんて」

[韓国GM非正規職インタビュー] 「勤労者の地位」認められた日に工場閉鎖...「共に悩み、一緒に暮らそう」

ムン・ジュヒョン(チャムソリ記者) 2018.02.21 14:46

2月13日、最大の名節のわずか二日前に韓国GMは群山工場の閉鎖決定を急に発表した。 この数年間、着実に提起された危機説とは違っていた。 ある人は韓国GMが残忍な方式で閉鎖を発表したと話した。 労働運動関連のメッセンジャーにはこんな話が流れた。

「外国の役員らは旧正月がただ休みの日だが、 労働者たちには家族や知り合いと共に過ごす日だ。 さらに地方選挙を控えて(発表が)問題になり、韓国政府も圧迫して、 労働者の生存権を威嚇する一番良い日にした」。

▲2月14日、金属労組韓国GM支部群山支会は工場閉鎖撤回を要求する決意大会が群山工場内で開かれた。[出処:チャムソリ]

▲2月14日、金属労組韓国GM支部群山支会が開いた工場閉鎖糾弾決意大会に非正規職労働者が参加しようとしたが、使用者側の制止で参加できなかった。[出処:チャムソリ]

グローバルGMの経営戦略によって、新車の生産から群山が除外された2013年から、 韓国GMの危機は着実に提起されてきた。 危機論が登場して構造調整が始まると、非正規職労働者は職場から離れなければならなかった。 群山工場は危機論の中心にあった。 2014年には物量の減少を理由として下請企業との請負契約を解約し、360人ほどの非正規職労働者たちが工場を離れた。 2015年の初めにも同じ理由で500人ほどの労働者が工場から離れなければならなかった。 同年7月末には下請企業の構造調整が行われ、500人ほどの労働者が雇用を失った。 そして韓国GMは工場閉鎖というカードを切った。 非正規職に向けた解雇の刃は、今、正規職にも向けられている。

2月14日午前11時。 群山工場内で開かれた閉鎖撤回決意大会に参加した群山工場の正規職労働者たちが無表情な顔で正門から出た。 彼らの表情からは群山工場閉鎖という惨憺たる現実を読み取るのは難しかった。 あるいは長期間にわたる危機説に慣れきった表情だった。

▲韓国GM群山工場東ゲートの前に非正規職支会が設置した横断幕[出処:チャムソリ]

▲韓国GM群山工場東ゲートの前に非正規職支会が設置したプラカード[出処:チャムソリ]

工場が操業しておらず、労働者たちが決意大会が終わって出て来る群山工場の前には 「差し迫った危機、じっとしていたらやられる」という内容の横断幕がかけられている。 韓国GM群山非正規職支会が設置した横断幕だ。 「経済危機本当の主犯、財閥が責任を取れ」という内容のプラカードも、 横断幕の横にある。

非正規職支会の労働者たちは「一緒に暮らそう」というゼッケンを背中に常に付けて歩き回る。 一緒に暮らそう。 解雇されてから3年間、世の中に向けて訴えてきたスローガンだ。 今は8人しか残っていない戦い。 群山工場非正規職支会は工場閉鎖を控えて心中が複雑だ。 危機説が流れるたびに非正規職が職場から押し出された。 富平、群山、昌原まで、韓国GM工場内の非正規職は、 いつも危機の頂点で危険を耐え忍んでいる。

▲キム・ギョミョン金属労組韓国GM群山非正規職支会長[出処:チャムソリ]

「3年ぶりに認められた正規職、工場閉鎖という現実」

「3年間で初めてでした。 制止されずに工場の中に入ったのは。 3年ぶりに生きて入れるうになりました。 ところでそれが...」

2月14日午後に会った群山非正規職支会のキム・ギョミョン支会長は、 最後まで言葉を続けられなかった。 群山工場の閉鎖が発表された13日。 韓国GM富平、群山工場の非正規職労働者は、超国籍企業GMを相手に訴訟で勝った。 3年ぶりだ。 「原告(韓国GM富平、群山非正規職支会)は被告(韓国GM)の勤労者であることを確認する」。 仁川地方裁判所第11民事部は、韓国GM富平、群山非正規職支会所属労働者45人が提起した勤労者地位確認訴訟で労働者たちの主張を認めた。 キム支会長は判決を聞くために仁川地方裁判所に向かっている時に群山工場閉鎖の報せに接した。

「初めは信じられませんでした。 それでも7月あたりに似たような発表をすると思っていましたが、 グローバルGMがこうして先手を打つとは思ってもいませんでした。 旧正月連休になれば、家族がみんな集まるでしょう。 その時に当然GMの話が出てくるでしょうし、政府も圧迫を感じないでしょうか? みんな計算された行動でしょう。 群山工場が(韓国政府に向かった強迫の)犠牲になりました。」

▲2015年夏、韓国GM群山工場の大規模な非正規職解雇を断行し、非正規職支会はこれを糾弾する記者会見を開いた。[出処:チャムソリ]

キム支会長はこの話をしながら「商道」と言った。 商売人が最低限守るべき最小限の道理という表現の「商道」、 旧正月を控えて閉鎖決定を発表したのは、その道理を外れたものだと見た。

「旧正月を控えて閉鎖発表をしたのは、労働者を感情がある人と見ているのではなく、 ただ働くだけの機械で見たということになります。 使い捨て用品のように、必要なら使い、状況が悪くなれば捨てる... それも残忍にです。」

機械、使って、必要がなくなれば捨てられるそんな機械。 解雇を前にした非正規職労働者たちがしばしば使う表現だ。 雇用して派遣法で定めた2年の雇用が近付いてくれば解雇される非正規職。 解雇はいつも「契約満了」という名前でやってくる。 まるで使用者は正当に雇用の義務を果たし、 解雇はすでに契約前に予定されたことのように。 キム支会長をはじめとする群山非正規職労働者たちは、すでに3年前に同じ事を経験した。

「2009年に入社して、レッゾ、オールラウンドなど、GMでよく売れる車を作りました。 正規職と同じラインで仕事をしました。 韓国GMの指示を受けて、車を作りました。」

キム支会長をはじめとする非正規職の同僚は、2015年2月に勤労者地位確認訴訟を提起した。 韓国GMが直接命令し、韓国GMの指揮を受け、自動車生産工程で2年以上働いたので、派遣法によって直接雇用しろという訴訟。 しかし彼らを待っていたのは解雇であった。 同年7月、群山工場は大々的な構造調整を断行した。 10社の下請企業を2社に減らして、既に働いていた非正規職労働者の中から選別的に新規採用の形態で雇用をした。

「群山工場の危機」が報道機関と地域世論を通じて広がった時だった。 彼らは犠牲になった。 全北道庁、群山市庁などの地方自治体と商工会議所など地域の経済団体は 「車売ってあげる」というイベントで、韓国GMの気持ちをかえようと努めた。 そして群山工場で新車を生産するという知らせが伝えられ、 群山市庁をはじめとする地域社会は横断幕を掲げて歓迎した。 その横断幕を見た非正規職労働者たちは胸が裂けるようだった。

▲2015年6月、韓国GM群山工場非正規職労働者たちが受けた解雇通知書[出処:チャムソリ]

その時に500人ほどの非正規職労働者たちが「契約満了」の名前で解雇された。 そして地方政府は非正規職支会の訴訟に関心を払わなかった。 ただ静かに歓迎の横断幕を撤去しただけだ。

「3年ぶりに生き返った。非正規職を無視するな」

群山非正規職支会の労働者たちの解雇後の人生もつらいものだった。 一部の同僚が生計のためにアルバイトを併行しながら闘争を支援した。 彼らが払う若干の生計費と、一部の後援で群山非正規職支会は粘って、また粘った。 そのようにして粘ってすでに963日。

▲韓国GM非正規職労働者のテント座り込みは1000日を迎えようとしている。[出処:チャムソリ]

待ちに待った法の判断を受けたが、一緒に喜べない。 14日午前、キム支会長は3年ぶりに初めて韓国GM群山工場に警備の制止されることなく入った。 これまで正規職労組の離・就任式に招請を受けて入ったことを除けば、初めてだ。 当時も彼は正規職労組の出迎えがなければ群山工場に入れなかった。 5年通った職場。 油飯と共に会社の差別にも耐え抜かなければならなかったが、それでも彼の人生を続けさせた職場。 闘争の末に始めてひとりで工場に立つことができた。 「支会長さん、判決を受けたんですね」。 群山工場の前でいつもにらみ合いをしていた警備要員も、 この日だけはこれまでおつかれさまという意味の言葉で挨拶の代わりにした。

「非正規職解雇闘争をしながら、別の見方をすれば、一番うれしい日のはずでした。 2年以上、お前たちがわれわれを雇用したのだから、 われわれは正規職だと訴えたとき、 GM側は『判決があれば正規職の認定もできるでしょうが』と答えました。 その答に対して、これでまた答えられるようになったのに...」

キム支会長は3年ぶりに生きて帰ってきたと叫びたかった。 工場の中でGMを相手に思う存分悪口でも浴びせたかった。

「3年ぶりに工場に入ってきたのに、絶望的でした。 正規職労働者たちはみな集まって工場を生き返らせろと叫んでいる状況でした。 私は一緒に暮らそうという言葉を心の中で叫びました。 これらすべてが夢なら嬉しい。」

3年間、この日だけを待っていた。 勝訴すれば工場の中に入って、金属労組韓国GM支部執行部と議論をして、復職を推進しようと思った。 ちょうど労組の団体協約期間。 法の判断は復職交渉の立派な武器になる。 しかし非正規職支会はその甘い想像を置いて、また闘争を始める瞬間を目前にしている。

法は彼らを「韓国GM労働者」だと認めたが、 同じ日の韓国GMの群山工場閉鎖発表に、皆きちんと祝いの挨拶もすることができなかった。 14日午前に開かれた韓国GM群山工場閉鎖撤回組合員決意大会、 彼を除く他の非正規職同僚は参加することができなかった。

「前日、韓国GM支部群山支会に決意大会参加の意を伝えました。 しかし断られました。 組合員だけですることにしたとし、今回は入ってこなくても良いという話を聞きました。」

韓国GMの危機はすでに3年前、非正規職労働者たちが職場から追い出された時から提起された。 非正規職支会は当時も静かに「正規職と非正規職の連帯」を強調した。 2015年5月に解雇を前にした群山工場非正規職労働者たちとのインタビューでも、 元請・下請の連帯の話が出てきた。

「私たちの次は正規職です。 現実だけを守ろうとして、さらに多くのものを渡すほかはありません。 昨年(2014年)に1交代に合意し、今年(2015年)は物量生産縮小を要求するでしょう。 この状況を苦しむ正規職組合員たちもあります。 資本の習性はそういうものでしょう。 一つ渡せばもっと多くくれ、もっと多くくれ。 いまこそ答えを探さなければなりません」。〈2015年群山工場非正規職労働者インタビューより〉

3年経った今、キム支会長は変わっていないと話した。 「政府の支援を受けて物量を確保しても、それは1年分の物量です。 もう群山、富平、昌原を競争させるでしょう。 工場内の元請・下請が一緒に暮らせる道を模索しなければなりません」。 群山工場閉鎖撤回組合員決意大会で言いたかった言葉だ。 一緒に知恵を集めようという言葉を結局言い出すことができなかった。

▲韓国GM群山非正規職支会は少ない人員で毎週水曜、群山の繁華街で宣伝戦をする。[出処:チャムソリ]

「一緒に暮らそうというスローガンを今こそ実現しよう」

キム支会長が今回勝訴した判決資料を渡しながら、 別れぎわにまた言い出した。

「3年前に労組を設立してから2か月で解雇されました。 もし当時、労組を作らずに訴訟だけをしていれば、絶対こうした判決は出てこなかったでしょう。 現場検証(動画で代替)など、勝訴に必要な基礎資料も闘争で勝ち取りました。 そして私たちが違う職場生活をしていたとすれば、司法府がこうした判決を出したでしょうか? 現代車非正規職闘争もそうですが、すべての判決は厳しい弾圧に耐え抜いて勝ち取ったのです。 争奪したわけです」。

祝いを受けることもできない勝訴。 韓国GM労働者という地位確認。 もう彼らは二つの戦いの前で目撃した。 一つは法判断にもかかわらず職場に戻れずに963日前から続けてきた非正規職闘争。 もう一つは元請・下請の差別なく一つになって資本の撤収(食い逃げ)を試みるGM資本を相手にした闘争。 難しいことだ。 しかし3年粘った非正規職労組支会長は、 難しくても元請・下請の連帯を必ず成功させ、闘争を始めなければならないと話した。

「私一人で生き延びようと、他のことを捨てれば、結局市民も呼応しません。 非正規職も一緒に生きていく方式を今からでも考えなければなりません。 一緒に暮らそうという言葉が今、すべての人に必要な言葉です」。

そして行政当局にも訴えた。

「群山市庁と全北道庁、政府も非正規職を無視する方式の方案を出していてはいけません。 これまでそうしてきたし、結局ここまできました。 もう少し遠く見て、一緒に暮らせる方法を模索しなければなりません。」[記事提携=チャムソリ]

付記
この記事はチャムセサン提携言論チャムソリの文です。

原文(チャムソリ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-02-23 09:59:07 / Last modified on 2018-04-05 10:59:51 Copyright: Default

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