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「秋美愛法」をごそんじですか?

[連続寄稿]すべての労働者に労働三権を-労組破壊禁止・交渉窓口一本化廃棄を叫ぶ(2)

チョ・ナムドク(金属労組コンチネンタル支会) 2017.07.13 13:39

2009年12月30日、当時環境労働委員長だった秋美愛(チュ・ミエ)議員は、 労働界をはじめとする民主党の引き止めにもかかわらず労組法改正案を通過させ、 2010年1月1日に国会議長の職権上程で労組法は改正されました。 複数労組許容を1年6か月間延期し、労組専従賃金支給禁止を6か月延期しながら、 強制的な交渉窓口一本化を明文化して、 少数労組の交渉権を使用者の「同意」に任せました。 産別労組の交渉権を「事業場の全組合員の過半数を確保することで可能」にしました。 言論はこれを秋美愛法と呼びました。

秋美愛法から7年、 本当に多くの労働組合がこのために労組破壊にあいました。 本当に多くの労働者たちが労働組合を作りたくても作れずにいます。

労組破壊、疫病のように集まった

工場正門前には二つ労組の表札がまるるで競争でもするかのようにかけられています。 一つは87年の労働者大闘争の歴史をそのまま抱いている金属労組の表札です。 もう一つは2012年に設立された企業労組の表札がまさにそれです。 2012年、複数労組労組破壊の疫病が地域を深く傷つけて過ぎ去った頃、 われわれの現場も対応無策で崩れました。 合計320人の労働者のうち現在では50人の組合員だけが残り、 5年間金属労組を守っています。 時間は記憶の傷を治癒すると言いますが、まだわれわれの傷痕はあまりにも深く残っています。

われわれは昨日のことのように今でも鮮やかに思い出します。 会社は企業労組が設立されてから少し後に金属労組指導部をまるごと解雇しました。 もちろんとんでもない懲戒理由をあげて解雇し、ずいぶん時間が過ぎてから解雇は不当だという判決を受けました。 数十年間結んできた団体協約は、会社の一方的な解約通知により一日でごみ箱に入りました。 経営環境の変化でやむをえず団体協約を解約するしかないという会社は、 企業労組との間でわずかな文句だけを修正して、 そのまま引き写したような新しい団体協約を締結しました。

少数労組、消えた労働三権は誰に行ったか?

2012年、会社は企業労組と金属労組の両方に交渉権を付与するといいました。 「交渉窓口一本化手続き」なじみがうすいこの制度は、初めはそれほど恐ろしいものを含んでいるとは本当に想像もできませんでした。 「交渉費用削減」というもっともらしい名分で労組に交渉する権利を制限し、 その上その選択権をこっそり会社に付与するという、 それこそ資本にとっては如意棒のような制度。 しかし労働者にとってはまた恐ろしい鉄の棍棒になって戻るという事実をわれわれはいくらも経たずに確認できました。 交渉開始から一週間も経たないうちに、会社は企業労組と賃金と団体協約を締結しました。 会社と企業労組の代表者は互いを称賛し、まるで救国の決断でもしたかのように互いに安泰を約束しました。 会社は企業労組の決断に拍手を送ると言って分厚い成果給を抱かせました。 ところが金属労組との交渉は開始前からふらつき始めました。 団体協約は前文から会社の妨害が続きました。 賃金交渉では金属労組がストライキをしたという理由で会社は公然と賃金差別を言い立てました。 結局、会社は交渉窓口一本化手続きという法の上で自由に踊り、 露骨に労働者たちを嘲弄しました。 金属労組に残れば損害を甘受しなければならないと言って烙印を押しました。 結局、最後まで躊躇していた多くの労働者たちが泣きながら企業労組に移動して、 意気揚揚とした会社の交渉態度は無誠意そのものでした。 その時、5人の労働者たちが勇気を出してまた金属労組に戻りました。 すると今度は会社が企業労組の賃上げ合意の内容を適用しないと脅しました。

2013年、今度も会社は双方の労組と交渉を開始するといいました。 もちろん、これも会社の好きなようにです。 やはり予想していたように会社は新しい差別のために心にもなく金属労組と交渉を開始したのでした。 今度は「2年連続無争議激励金」という理由をかかげました。 当初、金属労組の組合員たちだけに成果給を払わないとはっきり言ったのです。 「金の前で頑張れる人がいるか?」、 「この程度ならばわずかなお前たちに何ができるか」、 恐らくこうした気持ちではなかったでしょうか。

労働者の交渉権が使用者の権利になった交渉窓口一本化

鞭打つ人も疲れるようです。 そうして数年頑張っているうちに会社の態度が変わりました。 今度は個別交渉ではなく、交渉窓口一本化により、企業労組に交渉代表権を付与しました。 これも使用者の権利でした。 交渉権が使用者の権利になるという、とんでもない交渉窓口一本化でした。 企業労組の幹部だけが交渉に入り、少数労組のわれわれには何も分かりませんでした。 企業労組は交渉経過を知らせてくれという要求にも、 最低の資料の要求にもひたすら知らんふりをし続けました。 交渉合意の内容が出ると、企業労組は文書を一枚送り、金属労組も合意案に対する可否について結果を知らせてくれと言います。 その一方で可否の結果は全体賛否投票の集計には反映しないという立場を伝えました。 結局、企業労組が交渉代表権を持って交渉に入りましたが、 それについての事前の意見の反映も、または合意以後に金属労組の組合員から意見を聞く手続きは完全に無視されました。 それだけではありません。 その上、合意内容はさらに深刻です。 会社と企業労組が締結した団体協約は事実上、金属労組の労組活動そのものを封鎖するばかりか、 彼らの所属の組合員の権利侵害にも何の意見陳述も出来ないようにしました。

労働委員会と裁判所を経て、結局不当な合意だという事実を認められましたが、 これも真綿の棒でしかありません。 裁判所の判決前に、会社はすでに団体協約合意内容のとおりに金属労組活動を制限したからです。 糠福労組と米福労組(訳注:原文はコンチ労組とパッチ労組)。 そしてそれを合法的に可能にした交渉窓口一本化の手続きで打撃を受けたこの5年の自画像です。

私たちも堂々と交渉したい!

数日間、組合員たちとの討論を通じ、結局われわれは2012年と2013年の賃金案に最終署名しました。 解雇された同僚の早い復職が何よりも優先だという組合員の暖かい心が結局、合意案を通過させたのです。 合意案に対する署名を終えて、会社役員がいきなり吐きだした言葉がまだ耳元に響いています。

「心配しないでください。 これから金属労組を差別することは絶対ありません。 もちろん今から金属労組と交渉することも絶対に無いでしょう。」

複数労組を使った労組破壊は今や社会的な問題になっています。 ところでこんなことを考えてみました。 すべての労組に均等な機会を提供して、組合員たちが自分の決定のとおりに選択する、 それさえできれば複数労組による労組破壊などに頼るのは難しいと思いました。 交渉窓口一本化の廃棄はその最初の一歩だと考えます。 交渉窓口一本化が廃棄され、すべての労組が同じように交渉権とスト権が付与されれば、 使用者は複数労組による労組破壊を夢見ることはできません。

数日前にわれわれは組合員たちと貴重な決意をしました。 「歯がなくなれば、歯ぐきでも戦おう」 「一番切実な人が先に戦いの門を叩くのだ」。 交渉窓口一本化廃棄を要求するデモを組合員たちと共に始めることにしました。 スト権がないのでやむを得ずに組合員が個別に休暇を取ってソウルに上京することにしました。 小さな動きですが、結局私たちのような悩める労働者たちと出会えば不可能な戦いではないという信頼から出発します。 少数労組の生存戦略は交渉窓口一本化の廃棄という、傾いていない運動場から始まれからです。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-07-18 13:52:23 / Last modified on 2017-07-18 13:52:25 Copyright: Default

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