韓国:[派遣美術-現場美術]全泰壹40周忌展示と弾圧、続いた実践 | |||||||
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青年全泰壹、お母さんをお願い![派遣美術-現場美術]全泰壹40周忌展示と弾圧、続いた実践
シン・ユア(文化連帯) 2017.07.11 10:19
2010年10月12日、ソウル市清渓川6街の全泰壱橋で、美しい青年全泰壹40周忌のイベント委員会が出帆式を行った。 派遣美術家と時事漫画家は、40周忌イベントの一環として「街頭文化芸術展」を行うことにした。 全泰壹(チョン・テイル)烈士を描いた人物肖像画とカリカチュア作品集の「お母さんをお願い」、 青年失業と非正規労働問題などを扱った時事漫画の作品を展示することにしたのだ。 10月30日午後、ソウル広場で追慕文化祭「2010全泰壹の夢」が開かれている時間、 派遣美術チームは清渓川の全泰壱橋に集まった。 この3週間、チョン・ミヨンの主導の下でオンライングループ部屋の「青年全泰壹を描く芸術家」を作って全泰壹の人物肖像画とカリカチュア作品を集め始めた。 集めた絵は一つの懸垂幕の絵として完成され、全泰壹の人生を代わりに生きているお母さんの李小仙(イ・ソソン)女史を考えながら 「お母さんをお願い!」という題名を決めた。(訳注:2001年公開の「子猫をお願い」という映画がある) 全泰壱橋の下、清渓川の水が流れる散歩道の周辺に、懸垂幕の絵と時事漫画の横断幕を設置した。 全泰壹財団がソウル施設公団と事前協議をしたので横断幕を張る間は特別なことは起こらなかった。 だが時事漫画というジャンル的な特性のためか、通りかかる管理者たちの目つきは通常でなかった。 やはり目つきは偽っていなかった。 二日後にソウル施設公団は、設置した作品をひそかに撤去した後、ゴミ袋に詰め込んで片隅に集めた。 展示を見たある人からの電話を受けて駆けつけ、巡回査察をしていた清渓川の管理者とひどい口げんかもして、横断幕を引っ張りながら若干の小競合いもした。 「許可されている。ソウル施設公団との事前協議で設置した作品だ。確認してみろ」。 私たちの主張と上部の指示に従ったという管理者の話は相反していた。 施設管理公団に連絡をしてみた。 「内容に政府批判があったので外した。それなら許可をしなかった」が回答だ。 ソウル施設公団は、展示の前に事前実地調査をした時から絵の内容を尋ね続けた。 あまり気を遣わなかった。 時事漫画展という題名だけでも、どんな絵が展示されるのかは推察できる。 その上、すでに新聞と言論に発表された作品だ。 それでも絵一枚で検閲をするということは、文化芸術家の自尊心が許さない。 事前検閲に応じる人は多分誰もいないだろう。 それは直ちに権力が芸術を弾圧する道具だからだ。 全泰壹40周忌の頃、G20首脳会議(Group of 20:世界経済を率いるG7とヨーロッパ連合(EU)議長国に12カ国の新興経済国を含む20か国の会)がソウルで開かれ、 それにより政府に批判的な作品がさらに気になったようだ。 ありのままの韓国を見せることが恥ずかしかったのはでないか。 作品をかけなおさなければならなかった。 搾取される労働者の権利のために全身を燃やした青年、全泰壹。 死を覚悟して走っていったその橋の下で、権力の前で無気力に展示を放棄することはできなかった。 記者会見文を書いてソウル施設公団の前に集まった。 記者会見して、抗議書簡を渡した。 作家たちはダンボールで「清渓川文化弾圧聖地!」という作品を作り、階段と歩道と車道でパフォーマンスをした後、 施設管理公団の階段に作品を設置した。 その上にイ・ドンス漫画家と前時事漫画協会代表チェ・ミンは即席で工団の態度を風刺する漫評を描いて署名もした。 ダンボールの上のプラカードは作品になった。 われわれはまた作品をかけて展示を続けた。 だが施設公団側は、また作品を撤去し、今回はひそかにではなく文書で内容を送ってきた。 「公共の施設で人々が通る所なので認めない」という内容だった。 時事漫画はかけなおすことができず、作品がかかけられた所は管理者が立っていた。 韓国に民主主義はいつやってくるのか。 憲法が保障する表現の自由は権力に好かれなければできないという痛切な教訓をもう一度学ぶ時間だった。 それでもすべきことはしなければならない。 私たちができることはする。 派遣美術チームは仕上げパフォーマンスを準備した。 仕上げパフォーマンスはキム・ガン作家の提案で、多様な形式の多様なパフォーマンスを一人一人が自分で準備し、 それを40年前に全泰壹が8時間労働制を叫びながら死んでいった清渓川で 「8時間芸術をする」という名前で進めることだった。 龍山惨事の現場で発泡スチロールの花を削った経験を蘇らせて筆者は花を削り、 できた花は「8時間芸術をする」が終わる時間に合わせて全泰壱橋の上の全泰壹像の前にさした。 そして8時間、針仕事を続けたソン・ミナ作家は銅像にマフラーを巻いた。 編物をする作家、売らない(?)物を並べて商う作家、 一日中、橋の上をうろうろしながら清掃する作家など、 理由もわからず、内容も分からないが、道に出てきた人々は喜んだ。 質問もした。 何をしているのかと。 「私たちは8時間労働を芸術でしています。 青年全泰壹の叫びを覚えていますか?」 そして翌年2011年9月7日、全泰壹のお母さん、李小仙女史が亡くなった。 済州道江の汀村にいた派遣美術チームは急いでソウルに戻り、チョン・ジンギョンは葬儀懸垂幕の絵を、イ・ユニョプは復活の図を製作して参加した。 「お母さんをお願い」の懸垂幕展示は、お母さんの最後を守って差し上げるために、 全泰壹の精神を受け継いで今日も労働者闘争の現場と共にする。[続く] 付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にものせられました。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2017-07-15 10:23:22 / Last modified on 2017-07-15 10:23:24 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |