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今年も見せよう、私たちの存在「クィアー」

[ワーカーズ インタビュー]カン・ミョンジン クィアー文化フェスティバル組織委員長インタビュー

キム・ハンジュ記者 2017.07.07 09:58

7月15日。 ソウル市庁広場でクィアー文化フェスティバルが開かれる。 1年に一度だけの性少数者の名節。 今年のクィアー名節は特に迂余曲折が多い。 大統領選挙の前には文在寅(ムン・ジェイン)大統領と鋭く対立し、 最近まで市庁広場を占拠していた親朴団体のおかげで困りきっていた。 その上、ソウル市は「(クィアー文化フェスティバルが)広場の造成目的に反する」と通知してきた。 ヘイト勢力と戦うのも苦しいが、ソウル市と大統領候補までが性少数者ヘイトの一役を買った。

「後でではない。今、私たちが変える」。 今年のクィアー文化フェスティバルのスローガンだ。 「今」、世の中を変えようとする彼らのメッセージを聞くために7月6日、 クィアー文化フェスティバルのカン・ミョンジン組織委員長と会った。

[出処:サゲ]

「後でではない。今、私たちが変える」のスローガンは文在寅(ムン・ジェイン)大統領を狙ったのか

スローガンはその年に性少数者が韓国社会に投じる話題だ。 いつものように市民公募で選ばれたが、90%以上が「後で」という言葉を問題にした。 そのうち4つを選んだ。 「今すぐここに、例外ない平等を」、 「後でではない、今私たちが変える」、 「愛に後ではない」、 「宿題は後で、人権は今」がそれだ。 新政府が多くの試みをしているようだが、 社会的弱者の問題には変化が見られない。 大統領候補の時の発言が性少数者の存在を改革課題から直接、後回しにした。

今年のクィアー文化フェスティバルはいつよりも迂余曲折が多い。「6月クィアー」を「芝」に奪われた過程と背景を説明してくれ

性少数者にとって6月は「プライドの月」だ。 クィアーパレードは米国ニューヨークのストーンウォール抗争を契機に始まったが、 それが1969年の6月27日だった。 当時、警察は酒場のストーンウォール・インを急襲し、性少数者を暴力的に連行した。 群衆は翌日の明け方4時まで警察と正面から闘った。 性少数者らは1年後の1970年6月、セントラルパークでストーンウォール抗争を記念するためにプライド・パレードを行ったのが、クィアーパレードの始まりだ。 今年のクィアー文化フェスティバルも、本来は6月に開く予定だった。 ソウル市庁に広場使用申込書を出したが、市庁は親朴団体による広場の整理や芝の問題で、 クィアー文化フェスティバルとともにすべてのイベントをキャンセルした。 市庁は対策を立てなければならなかったが、返ってきた返事はまた「後で」だった。 組織委の要請に対して市はずいぶん後で立場を通知してきたが、 芝の植栽がどれくらいかかるのか、他の対策があるのかも明確に答えなかった。 なぜ広場に芝を植えなければならないのか。

朴元淳市長の性少数者関係行政はどうか

朴元淳(パク・ウォンスン)市長が「性少数者差別禁止」を含むソウル人権憲章を自ら廃棄したのはよく知られている事実だ。 パク市長は市政の指向するところどころか、意志表明もない。 指向するところがないから、市政が動かず、問題が衝突すると原理的な回答しか出てこない。

ヘイト勢力はクィアー文化フェスティバル参加者の露出が過度で淫乱集会だと攻撃する。祭りで性少数者が身体を表わすのはどんなメッセージなのか

自分の存在を表わす方式だ。 私のからだの一部でも全部でも、この社会に私が存在するというメッセージだ。 国は存在が隠しに隠さなければならない存在ではないという意だ。 自分の存在を表わす方式にもさまざまな方法があって、露出はその方法の一つだ。

一部はクィアー文化フェスティバルが非道徳的で淫らだという。 しかし淫乱と道徳の基準は誰のものか? 性少数者ヘイト勢力にとってクィアー文化フェスティバルが刺激的なのは事実だ。 彼らはあまり見たことがない場面だからだ。 しかし下着姿で唐辛子を付けて出る陰城唐辛子祭りと、身体をすべて露出する新村水鉄砲祭りは果たしてどうなのか。 われわれはこれらの祭りを非道徳的とは言わない。 結局、道徳と淫乱の基準は馴染んでいるかどうかの差だ。 この社会にどれほど社会的少数者に対する共感がないのかがわかるポイントだ。

性少数者ヘイト勢力はHIV/AIDS問題を性少数者の人権を弾圧する根拠に使い、性少数者とエイズ患者の人権を抑圧してきた。またクィアー文化フェスティバルも同じ論理で非難するが

既得権が支持層を結集する方法の一つは敵を作ることだ。 1980年代の米国右派は、そのために同性愛エイズ拡散報告書を作った。 そして同性愛者に烙印を押し、社会から隔離して過小評価した。 20世紀に同性愛嫌悪社会を維持した枠組みだ。 それから40年間で世界保健機構、韓国疾病管理本部も何度も説明した。 エイズはコンドームをつけなかったり、安全にセックスしない人すべてに露出するウイルスだ。 だが彼らは聞かない。 認めた瞬間、性少数者を攻撃する道具がなくなるためだ。

韓国では特にエイズ恐怖が格別だ。 映画でも偏見をそのまま脚色して恐怖を助長する。 韓国政府も管理可能な疾病を放置してきた。 こうした要因らがからんで、根拠のない恐怖心が大きくなった。

これまで極右キリスト教勢力はどのように祭りを妨害したか

事実クィアー文化フェスティバルは2000年から2013年まで社会から関心を受けることができなかった。その時は一部が『イエス天国不信地獄』プラカードを持って行き来する程度であった。集団的な妨害動きは2014年始まった。

当時、クィアーパレードはソウルの延世路で開かれたが、 極右キリスト教徒たちが舞台とデモ行進の経路を先に占拠していた。 彼らは追い出されないようにデモ行進経路でセウォル号真相究明のための署名を集めていた。 私たちは当惑して対応することができなかった。 するとデモ行進車両の下に入り、デモ行進の経路に数百人が横たわって妨害し始めた。 結局、パレードは4時間停滞した。 コースは二回も変更された。 現場にいた多くの性少数者は怒った。 「彼らが何者だといって、私がこんなに威嚇される待遇を受けなければならないのか」だった。 性少数者の間では「私たちが退いた瞬間に負け」という認識が広がった。 すぐ彼らに対抗する動きが現れた。 参加者の自発的なスローガンがあがった。 夜9時になり、祭りを妨害する勢力が減って、またパレードをすることができた。 1万5000人にのぼるクィアーパレードの参加者はとても少なくなっていた。 だがSNSでパレードをやり直すという知らせが急速に広がり、すぐに1万人を越える人々がまた集まった。

市庁広場に張られたフェンスにより開放的な祭りの本質から遠ざかったという指摘もある

ひとまずビルの森であるソウルで誰もが互いを見られる広場は市庁広場、光化門広場だけだ。 他の場所は建物でイベントが断ち切られる現象が激しい。 組織委もフェンスは意図していなかった。 だがブラインドをナイフで破って場内に入り、性少数者を威嚇する人々がいた。 祭りの参加者を保護すべき組織委は、警察に協力要請をするほかはなかった。 しかし警察も問題だった。 網で仕切った養殖場のようにフェンスを張った。 また、市民が祭り空間に入るには性少数者を支持すると立証しなければならなかった。 これもとても暴力的だ。 警察に保護を要請したことについては悩みも多い。 性少数者が抑圧されている社会で、1年にたった一日の祭りに参加して解放感を感じようということなのに、警察から管理される感じもするからだ。 警察の過度な統制を遮断するためには、まず嫌悪勢力という危険要素が消えなければならない。 組織委は危険要素を遮断しながらも、祭りの本質を守るための議論を続けている。

これから性少数者人権運動はどんな計画をしているか

今は同性愛処罰軍刑法が一番重要な問題だ。 軍刑法92条6項は同性愛者を問題にしている。 性少数者だという理由で捜査の対象になり、拘束される。 4月には仁川地方法院が憲法裁判所に違憲法律審判提請を出した。
差別禁止法の制定にも努力しなければならない。 保守キリスト教の組織的な攻撃で、差別禁止法が性少数者だけの問題であるかのように注目された。 ヘイトを社会に拡散させることに成功したわけだ。 だが差別禁止法は性少数者だけでなく、すべての社会的弱者のための基本的な枠組みだ。 私たちがこのようなヘイトと正面から闘う運動を展開する一方で、制度圏も動かなければならない。 しかしクィアー文化フェスティバルが体験した政府と地方自治体の公務員は不明瞭なだけだ。

組織委が考えるクィアー文化フェスティバル本来の意味は何か

祭りは多様さを楽しむ場だ。 事実、クィアー文化フェスティバルが胎動したのはクィアーコンテンツを気楽に、安全に接することができる場所がなかったためだ。 韓国のクィアー文化フェスティバルは、海外の祭りとは少し違う点がある。 一週間の祭りの期間にコンテンツを続けていくことだ。 パレードを始め、映画祭など多様なイベントを楽しめる。 祭りの核心は、世の中には私一人ではないということを確認することだ。 社会的少数者である私も、この世の中と調和することができ、プライドを持てということだ。 クィアー文化フェスティバルは文化イベントであれ、集会であれ、世の中に叫ぶ悪でもある。 しかし人によって違って感じても、ただ一つ変わらないものは、ここは性少数者の場だという事実だ。

7月15日のクィアー文化フェスティバルに参加するためのメッセージをお願いする

ひとまず、天気が非常に暑いので十分覚悟をしてほしい。 クィアー文化フェスティバルは社会に性少数者がいることを知らせるイベントだ。 だから性少数者だけではなく、社会的弱者を支持するすべての人が共にする場だ。 参加者は他の時よりもちょっと自信を持って参加してほしい。 もっと祭りを楽しむ時だ。 もし不慮の事態が発生すれば、すみやかに関係者に話してほしい。 組織委はいつも安全が重要だ。 祭りを通じ、性少数者と市民、互いが暮らす話に、雰囲気に、表情に共感してほしい。[ワーカーズ32号]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-07-10 05:37:13 / Last modified on 2017-07-10 05:37:13 Copyright: Default

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