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6月抗争と労働者大闘争

[時評] 7・8・9労働者「人間宣言」と社会的ゼネスト

ヤン・ギュホン(労働者歴史ハンネ代表) 2017.06.11 23:59

87年の6月抗争と7.8.9労働者大闘争が30周年をむかえる。 30年前の6月は、3低景気と宥和期の局面だった。 平和な権力継承を約束した全斗煥(チョン・ドゥファン)は急変して「4.13護憲措置」を発表し、 これに対抗して野党と民衆陣営は直接選挙制改憲を当面の目標とする反政府闘争を本格化させた。 全斗煥は権力再生産のために大統領直接選挙制ではなく、内閣制、特に二元的政府制を好んだ。 この戦略は野党の分割支配戦略だった。 内閣制というニンジンを使って野党内部の勢力を分断する戦術を駆使し、 在野と呼ばれた民主化推進協議会(民推協)への圧力を強化した。 4・13措置の後、軍部独裁勢力・反独裁連合間の民主主義の争点は、全面的な対決の様相に発展した。 6月9日に李韓烈(イ・ハニョル)が催涙弾に当たって殺され、6.10大会の後に路上に飛び出した労働者民衆は 「独裁打倒、護憲撤廃」を叫び、怒りは極みに達した。 強硬にデモを鎮圧する警察に対して石ころや火炎瓶で公権力を無力化させ、 警察署まで攻撃して「護憲撤廃、独裁打倒」を叫んだ。

6月抗争では労働者の闘争も省けない。 ネクタイ部隊に象徴される事務職労働者とは違い、生産職労働者の参加は遅れたが、 その理由は80年代中盤までの労働者闘争に対する深刻な弾圧により萎縮していたためだ。 しかし抗争が後半に入ると工業地帯を中心とする積極的な労働者の参加が現れ、 地域によっては労働者が抗争を主導する姿も見られた。 6月10日と26日には仁川、城南、安養、釜山、木浦、浦項、光州、裡里、馬山などの地域では 工業地帯を中心として退勤時間に労働者が参加して、 派出所、警察署、労働部事務所が火炎瓶と投石で破壊され、 労働者たちは労働三権保障、低賃金粉砕のシュプレヒコールをあげながら闘争に参加した。

[出処:民主労総]

労働者階級を排除した6.29協約

6月26日までに500万人が参加したと推測されている労働者民衆の闘争に押された 全斗煥政権は、 4・13措置を撤回して大統領直接選挙制を核心とする6・29宣言を発表した。 宣言には、 △大統領直接選挙制、 △時局関連事犯釈放と赦免復権、 △言論の自律性保障、 △社会各部門の自治と自律保障と要約できる。 この措置は新軍部の政治的な後退を意味するものだったが、他方では6月抗争の闘争動力を減少させる契機になった。 野党と合意した6・29協約には、直接選挙制で特徴づけられる政治的自由と選挙法改正、言論の自律性は含まれているが、 直接に労働者階級の民主的権利を規定する意味ある措置は何も含まれていなかった。 こうした状況で、7月に始まる労働者大闘争は当然だったのかもしれない。

6月抗争を通じて自覚した労働者階級の民主化意識が「6・29宣言」という政府与党の戦術後退情勢に乗り、 労働者階級は歴史の前面に登場し始めた。 「6・29宣言」の直後に始まった労働者闘争は、蔚山で点火されて巨大な野火になり、全国をさらった。

7・8・9月の労働者大闘争はこれまで低賃金、長時間労働、劣悪な作業環境、および暴力的労働統制で苦しんできた労働者が現場から立ち上がった自主的で自発的な闘争だった。 大部分の闘争事業場では「労働力の代価(賃上げ)と人間的待遇」を要求して権威主義的な管理体系に対する不満があふれた。 労働者たちは賃上げという生存権闘争だけに留まらず、自分たちの組織の労働組合結成、御用労組の民主化を含む労働三権を勝ち取ろうと自覚して、 壁を越えて地域の連帯闘争を拡張していった。 これは利益対立の側面を越え、労使間の力学関係を再編させることだった。

7・8・9労働者たちの『人間宣言』

1987年の7・8・9月の労働者大闘争は、韓国で労働者階級が形成されてから 初めてそして最大の規模で形成された労働者の「大衆的、階級的進出」だった。 労働者大闘争は3か月で終わった闘争ではなく、民主労組運動を予告する荘厳な歴史であり、出発だった。 1987年の夏、全国を揺るがした「労働者も人間だ。人間らしく生きたい」の叫びは、 これまで単なる機械の付属品としか扱われなかった労働者の「人間宣言」であり、 1970年の全泰壹(チョン・テイル)烈士精神の復活だった。 労働者大闘争は民主労組を構築し、民主労組は1千万労働者の「希望」として定着する契機になった。

87年労働者大闘争は労働運動の自然発生的な動力を復元し、 民主的で自主的な労働組合運動を展開することにより、 御用韓国労総に支配されてきた労使関係を変え、 自由主義的な政治勢力や在野勢力、そして学生運動が主導してきた社会運動から労働運動が主導する変革運動へと変化する出発点になった。 労働者大闘争は全地域・全産業にわたって起きた最大規模の労働者大衆闘争だった。 また、大部分の闘争が労働法の枠を越えて「先ストライキ・後交渉」という法を無視した闘争であり、 その激しさも歴史に例を見ない闘争だった。 労働者大闘争は多くの成果を残したが、それに相応する限界と課題も残したし、その課題は相変らず進行形だ。

6月抗争と労働者大闘争から30年を経過した昨年、 国政壟断を審判する広場闘争の歴史が再現された。 その闘争の政治的な成果は朴槿恵弾劾と自由主義政治勢力が執権する様相へと変化したが、 労働者階級の境遇は相変らず難しい状況だ。 金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を経て定着した新自由主義攻勢はますますその強度を高め、労働者階級を崖っぷちへと追いやった。 資本による変化した統制の技法は労働者階級内部の階層化と対立の構図を作った。 さらに同じ労働者を正規、非正規という両極端な雇用形態による不安定労働を加速し、 労働者を抱き込みと排除の対象として分別管理しており、 その結果は労働者階級の貧困化につながっている。

労働者階級の役割として残されたキャンドル闘争の継承

87年労働者大闘争は、6月抗争の継承であると同時に延長であったように、 2017年の広場キャンドル闘争の継承は労働者階級の役割として残されており、 その最初の役割は当面の「社会的ストライキ」だ。

民主労総が確定した社会的ストライキの五大要求は、 △最低賃金1万ウォン争奪、 △非正規職撤廃・低賃金打破、 △財閥体制解体、 △社会公共性強化、 △労組する権利争奪が核心の要旨だ。 当然の要求と闘争計画であるにもかかわらず、社会的ストライキに対する社会的な見方は肯定的ではない。 批判の根拠は「最低賃金を1万ウォンに上げれば国がほろびる」、 「文在寅政府が非正規職をなくすと言っているのに、なぜ闘争をするのか」、 「資本主義の社会で財閥を解体できるか」などだ。 しかしこれらの批判は労働者の境遇と状況に対する内面を努めて見まいとする発想に始まる。 韓国の最低賃金水準はOECD会員国の中で最下位グループに属する。 平均賃金に対する最低賃金の相対的水準も、OECD会員国の中で最下位グループだ。 韓国の最低賃金は貧困から抜け出し、人間らしい生活をするには非常に不足した水準だ。 したがって最低賃金は未来の課題として片付ける問題ではない。 さらに非正規を正規職化するという措置も、完全な正規職ではなく、 無期契約職として見かけの正規職でしかなく、 決して労働者の貧困を解決する代案ではない。

民主労総の今回のゼネストは、組織労働者の課題だというよりも非正規、未組織労働者の要求を掲げたという面で意味がある。 そのため社会的ゼネストは当面の民主労組運動の危機を克服し、 労働者階級に希望の火種をつける契機にしなければならない。 そして危機の民主労総が1500万労働者の「希望」にならなければならない。 これこそが87年労働者大闘争の精神を受け継ぐことだ。 したがって、社会的ゼネストを組織する責任は民主労総に限らず、 周辺の政治組織と社会団体が共に組織するべきであり、それが歴史的責務だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-06-18 07:20:08 / Last modified on 2017-06-18 07:20:10 Copyright: Default

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