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光復70周年…青少年、10月抗争・民間人虐殺と向き合う

「記憶されない歴史は時間の中に埋もれる」

チョン・ヨンギル記者 2015.08.17 11:05

「10月抗争はあまり教科書に出ていないので知らなかった話だ。 今回勉強して内容を知るまでは(朝鮮戦争前後の民間人虐殺について)私もアカだと考えていたし、 それなら死んでも当然だったと考えていた。 ところが勉強して、虐殺された現場に来て考えが変わった。 友だちによく知らせなければならない」-大邱カンドン中学校1年チョ・ヒョンジュ

「(慶山の)コバルト鉱山に埋められた人々を見て、かわいそうだという気がした。 覚えていなければ10月抗争が時間に埋められて消えてしまう。 10月抗争についての内容をいろんな人に知らせて追慕会にも参加したい」-大邱コサン中学校1年キム・ヨヌ

光復70年をむかえた8月15日。 青少年を含む市民約20人は、「10月文学会」が主催した10月抗争踏査をした。 10月抗争と朝鮮戦争前後の国民保導連盟事件の民間人虐殺地といわれる大邱嘉昌ダム水辺公園一帯と慶北慶山のコバルト鉱山を歩いた。

▲10月抗争をきちんと見る講座に参加した青少年を含む約20人は8月15日、嘉昌ゴルの慶山コバルト鉱山踏査をした。[出処:ニュースミン]

踏査地に向かうバスの中のTVには、光復70年をむかえる朴槿恵(パク・クネ)大統領の記念演説と大極旗を振るイベントの参席者が映っていた。 その頃、嘉昌ゴルの嘉昌ダムについた。 ダムと周辺の公園は美しい景観を見せていたが、ここには思想犯にされて国家の犠牲になった人々の墓だ。 光復70年を記念する国家の首長にとって、名もなくここに埋められた犠牲者は、追慕と黙祷の対象ではなかった。

「10月文学会」のコ・ヒリム詩人は 「韓国動乱(朝鮮戦争)と共に10月抗争に参加したなどで大邱刑務所にいた人々と、 国民保導連盟に加入した人々がここに埋められた。 戦争が終わると、遺族はリヤカーを引いて深夜、ひそかに遺体を山に移して埋めた。 だが貯水池ができて、5.16クーデターが起きた後に国家暴力の犠牲者はアカの汚名のために隠れていなければならなかった」とし 「今からでも国家暴力による犠牲があったことを認め、くやしい魂を慰霊できるように、 私たちが記憶して知らせなければならない」と話した。

貯水池の深いところだろうか、山の中の深いところだろうか。 犠牲者の遺体が埋められた正確な位置は誰にもわからないが、 くやしい魂がここに留まっているという事実は分かる。 嘉昌ゴルの周辺を歩きながら、 10月抗争を忘れないようにしようというシュプレヒコールをあげて移動した。

▲コバルト鉱山入口[出処:ニュースミン]

慶北道慶山市坪山洞にあるコバルト鉱山第2スピョン坑道の入口からは冷たい風が吹いてきた。 ここは1950年の韓国動乱(朝鮮戦争)直後に国家が国民保導連盟員の検束を実施した後、 虐殺したところだ。 扉をあけて入った坑道は、暗いトンネルと気持ちの悪い風、 湿気に満ちた壁面の臭いが入り乱れていた。 腰を曲げて古いレールの上を100m程過ぎただろうか。 遺骨と今も腐らない小さな肉がチラホラ現れた。

民間人虐殺地のコバルト鉱山を捜し出して20年間、真相究明を続けているチェ・スンホ慶山新聞社代表は 「日帝の占領中に日本が太平洋戦争に必要なコバルトを採るために作ったトンネルだ。 コバルトを収奪するために途方もない規模のトンネルを掘った。 解放以後は、政府が国民保導連盟員虐殺者を団体で埋葬したところでもある」とし 「韓国の歴史で誤った部分を確かめて行かなければ、不幸な歴史はまた繰り返される。 遺骸の発掘と追慕、そして真相究明をきちんとしなければ、不幸なことが繰り返される」と話した。

[出処:ニュースミン]

▲コバルト鉱山を直接現地調査している。[出処:ニュースミン]

山の上につながる垂直坑道からだけで3百余体の遺体が発見された。 民間人を射殺して、そのまま落とし、また岩で覆ってしまった場所。 だから発見された遺骨はちりぢりに小さく割れていた。 自分の目の前に置かれた遺骨を見た青少年らは恐がらなかった。 国家の犠牲になった人々の痛みが染みこんだ遺骨だからだった。

1994年からうわさをたよりに鉱山周辺を捜したチェ・スンホ代表は 「初めは町の住民もここにまつわる過去について話したがらなかった。 アカという烙印の犠牲者だが、口を開くことができない抑圧だった」と話した。 そのうちに2000年代に入り、コバルト鉱山が民間人虐殺地だったという事実が世の中に知られ始め、 2010年に「真実・和解のための過去史整理委員会」は 「慶山コバルト鉱山民間人虐殺関係報告書」を発表する。

報告書は1950年の7月から8月まで、軍人と警察により、民間人3千名ほどがコバルト鉱山で集団射殺されたと明らかにした。 主に慶山と清道地域の国民保導連盟員と大邱刑務所の収監者で、 韓国動乱(朝鮮戦争)が起きると北朝鮮軍に協力する危険があるという理由で犠牲になった。 過去史委はこれを不法行為だったと結論を下した。 嘉昌ゴルでも3千人ほどが射殺されたと出ている。 その後、約5百柱の遺骨が発掘された。

▲過去史委員会活動が中断し、コバルト鉱山遺骸発掘への支援も切れた。発掘された遺骨も遺族会と市民社会団体が鉱山入口に用意したコンテナに安置されている。

今年で69年をむかえる10月抗争は、1946年10月1日に大邱で警察による民間人の銃撃以後、 慶北地域と全国に広がった大規模抗争と評価されている。 米軍政の米配給問題と親日警察の登用問題の解決を要求して、 あちこちの都市中心部でデモが行われた。 だが民間人虐殺が隠されていたように、10月抗争も正しく記憶されることができなかった。

これについて粘り強く10月抗争に関する作品活動を行ってきた「10月文学会」は、 「第3回10月抗争正しく見る」と題したイベントを行った。 また、8月12日から3日間、フマネル・ポムオ図書館で 「青少年のための10月抗争正しく見る」と題した講座を進め、 共に踏査を行った。 9月6日には遺族との出会いのイベントを行う。

付記
チョン・ヨンギル記者はニュースミンの記者です。この記事はニュースミンにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-08-18 01:23:16 / Last modified on 2015-08-18 03:47:25 Copyright: Default

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