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追い出された労働者、キム・ドクチュンが7.30平沢乙に立候補した理由

[インタビュー]苦しむ人々を捨てた政治、苦しむ者が直接変える

キム・ヨンウク記者 2014.07.25 18:56

730補欠選で、首都圏では進歩政党の機会だと言えば機会だった。 64地方選挙のように全国的な選挙になれば有力な人たちの他は、ほとんどがマスコミで報道もされない。 だが730のような再補欠選挙は、とにかく群小候補でも一部の言論の関心を受けられる。 その意味で正義党と統合進歩党、労働党が首都圏のほとんど地域に候補を立てたのは政治勢力として党を広報し、自分の政治路線を知らせるために当然だった。

だが平沢乙には進歩政党は候補を立てなかった。 6年ほど工場から追い出されている双竜車解雇労働者が、 労働者候補という名で候補立候補を決定したためだ。 進歩政党は、金属労組双竜車支部長のキム・ドクチュン無所属5番候補に進歩単一候補というタイトルを譲った。 そして進歩単一候補の選挙運動本部に、地域市民社会団体だけでなく、 進歩政党がすべて集まった。

事実、キム・ドクチュン候補は政治の新人ではない。 彼は民主労働党ができた時、一生懸命に党員活動をして中央党代議員までした。 96年の労働法改悪反対闘争の当時、労働界があれほど願った 「労働者の声を代弁してくれる国会議員が1人でもいれば」という考えが彼にもあった。 「汗を流して働く人々が希望」という民主労働党のスローガンが、多くの民主労総組合員の胸に入ってきたように、キム・ドクチュン候補の胸にも近付いてきた。

キム候補は「その時は、民主労働党の話をするだけで、 税額控除や積極的支持に現場が集まることもあって、気持ち良く活動したし、 私も現場分会長、デモ員会、中央党代議員などをした」と明らかにした。

キム・ドクチュン候補は2008年に民主労働党が進歩新党と分党した時、 民主労働党を離党して以来、党籍を持っていない。 現場組合員としては、進歩政党はみんな似ているが、選挙のために現場が割れ、 民主労働党の代議員までした自分も組合員に対し、それをどう説明するのかに苦しんだ。 割れた進歩政党への不信は現場の怒りにつながった。 進歩政党さえ現場を割り、政治を無視させる状況が残念なキム・ドクチュン候補は、離党を選択した。 そんな労働政治を体験した現場労働者の立候補に、進歩政党が全面的な支持を投げかけたわけだ。

キム・ドクチュン候補は「多くの人たちが平沢乙の選挙が新しい進歩運動の歴史を作る状況だと言って支持している。その責任感で肩が重い」とし 「今でも進歩政党の長い分党により、現場に行くと進歩政党の分裂が持たらした問題をはっきり感じるほどなので、 労働者の政治参加をどう高めて行くのか、常に接触を続けながら選挙運動をしている」と話した。

労働政治に失望を感じた解雇労働者がまた政治に参加するのは容易なことではなかった。 現場労働者の不信はまだ変わらないからだ。 それでも労組が組織的に決定し、国会議員選挙に直接飛び込んだ理由は、 職場と家で公権力により追い出された人々が直接政治をしなければ、 セウォル号のような事故を防げないという悩みがあったためだ。

こんな悩みは別名スカイM(SKYM)から始まった。 双竜車のS、済州道江汀村のK、竜山のY、そして密陽のM。 スカイMは、国家暴力により自分の暮らしの場所から追い出された人々が、 大漢門の双竜車焼香所に集まって国家暴力問題に共に対応するために集まった。

竜山惨事でたった1人の警察でも責任を問われていれば違っていた

これまでスカイM民衆に政治は全く作動しなかった。 キム・ドクチュン候補の随行チームに参加した竜山惨事遺族のチョン・ヨンシン氏は、 同じ年に起きた双竜車暴力鎮圧や数年後の江汀、密陽で起きたことは、 すべて自分のことのような気がする。

チョン・ヨンシン氏は「2009年1月、竜山であんなことが起きた時、 たった1人の警察にでも責任を問うことができていれば、 少なくとも同じ年に双竜車に対し、同じ方法で無茶苦茶な暴力を加えるようなことはなかっただろう。 私たちはスタートを間違った。 双竜車、江汀、密陽はすべて、彼らに不当な権力を与えた契機が竜山のような気がして負債意識が大きい」と言う。 こうした負債意識は、セウォル号にもそのまま続き、 政治は苦痛を受けた人が直接始めなければ本当に変えられないという思ったのだ。

「セウォル号を見るだけでもそうだ。 与党も野党も言葉だけで真相究明を話すのではなく、意志を持ってしなければならないのに、 今の政党はそうではない。 別の見方をすれば、自分のことだからではないからだろう。 当事者である私たちがやれば、少なくとも再発を防止する方法は誰よりもよく知っているので、 きちんと責任を問うことができるのではないか。 撤去されたことがない人は、強制退去禁止法がなぜ必要なのかがわからず、 開発現場でなぜ人が優先されなければならないのかを知らない。 解雇されたことがないから、整理解雇禁止法がどれほど切実なのかがわからない。 野党がまだ権力の顔色をうかがっている部分も多いようで、 少なくとも当事者が政治に参加すれば、今より少しは良くなるのではないかと悩んでここまで来た。」

キム・ドクチュン候補も悩みは同じだった。 単に平沢の双竜車整理解雇問題を知らせることだけを考えていたのなら、出馬する決心は容易ではなかっただろうという。 キム・ドクチュン候補は 「選挙という空間で、セウォル号惨事だけでなく、 多くの労働現場の高空闘争、烈士闘争、医療と鉄道民営化問題といったさまざまな議題を話すことが重要だと思った」とし 「われわれは、切実な気持ちで選挙に飛び込んだ。 双竜車整理解雇を語る労働者、竜山惨事を忘れないでくれという声、 宣伝カーの密陽おばあさんと江汀村おじさんたちが今回の選挙の主人公だ。 政治にできないことを私たちがやってみようという挑戦」だという。

そのためキム・ドクチュン候補は、セヌリ党や新政治民主連合候補の主要公約である成長や開発、発展といった話はしない。 むしろ竜山、江汀、密陽のように、開発の裏にいる労働者庶民の暮らしを破壊する共同体の問題をよく話す。 双竜車構造調整の問題も同じ文脈で、平沢という地域共同体の破壊という問題から接近する。 セウォル号の話もよくする。 セウォル号特別法の制定をまず解決することが急がれるということだ。

「双竜車労働者たちが2009年に路上に追い出され、 地域経済がばらばらになって路地商圏も死んだ。 労働者の雇用安定と雇用問題が路地商圏を生かし、地域経済活性化の礎石でないかという話を住民たちにする。 双竜車の労働者たちが地域で焼酎一杯を飲むことができ、何か消費ができる。 しかしサムスン電子、LG電子や米軍基地を大規模に拡大したり、 平沢港を国際港にしても、実質的に路地商圏が広がるわけではないと言うと、 多くの人が共感する。」

▲工場現場巡回遊説のために工場正門に入るキム・ドクチュン候補

キム・ドクチュンの立候補、双竜車の中にも新しい変化を呼ぶ

このように、追い出された人々の苦痛を語り、殺生簿に載った人と生き残った人に分れて対立した双竜車工場内の労働者との関係にも大きな変化が起きていた。 金属労組と違う複数労組の双竜車企業労組が、キム・ドクチュン候補を手伝い始めた。 支部は7.30選挙に関し、何回か企業労組を訪問したし、 6年ぶりに工場に入って企業労組の拡大幹部会議に参加し、補欠選に関する支持を訴えた。 工場内の同僚は、キム・ドクチュン候補のカンパも集めた。 そして7月23日には企業労組の助けで工場の現場ラインに入り、選挙運動をした。

この日の現場訪問には、整理解雇反対闘争の時に支部長だったハン・サンギュン前支部長が同行した。 作業中だった同僚は、工場に入ってきたキム・ドクチュン候補とハン・サンギュン前支部長を熱く抱擁して出迎えた。 この日の現場訪問は午前10時30分に始まって、午後1時10分頃、同僚と工場の食堂で食事をして終わった。 キム・ドクチュン候補は夜間組のラインも訪問した。

企業労組のキム・ギュハン委員長との懇談会も開いた。 企業労組のキム・ギュハン委員長は 「われわれは同じ双竜自動車労働者」とし 「積極的に選挙を手伝う」と励ました。 キム・ドクチュン候補は、税額控除事業などでの積極的な支援に感謝を伝え、 「解雇者復職問題だけが双竜車問題の全てではない。 双竜車が安定した展望を持つ会社として発展する条件と契機が必要だが、 解雇者の双竜車出身候補が一番うまく出来る」とし、 双竜車の展望を共に共有しようと述べた。 キム・ドクチュン候補はこの日の現場巡回遊説について 「選挙を通じ、工場を中心として新しい出会いが形成されたことは意味が大きい」と語った。

こうした意味は、工場の外でも大きくなっている。 演説に行くと、キム・ドクチュン候補は双竜車で通じる。 名刺を与えれば「ああ、双竜車?」という。 そのように、彼が双竜車解雇者だということを地域の住民も知り、 双竜車問題がまだ進行形であることも知られつつある。

首都圏では野党圏連帯の風が吹いているが、 キム・ドクチュン候補は新政治連合のチャン・ジャンソン候補とは候補一本化をせず、 最後まで完走するつもりだ。 そもそもスカイMの問題意識は野党圏の無能と無気力に関係があるからだ。 セウォル号特別法や真相調査責任者処罰も全く解決できない上、 整理解雇、構造調整など、 巨大野党がセヌリ党に対抗する実践や行動をしないことに対する評価も必要だということだ。

ただしキム・ドクチュン候補は候補一本化でなく、事案別の政策連帯は必要だという。 彼は「野党圏連帯についてよく質問されるが、私は人生が連帯であり、闘争が連帯だった。 こうした中での連帯は可能だが、選挙のための野党圏連帯は考えたこともない」が、 「私が主張する内容やチャン・ジャンソン候補が話す政策で一緒にできることがあれば、 地域と中央で一緒に解決していきたいという考えはある」と説明した。 7月30日までの野党圏一本化はないということだ。

キム・ドクチュン候補とのインタビューは7月23日、雨が降った午前9時30分、 平沢双竜車工場正門前のテント座込場で行った。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-07-27 17:46:08 / Last modified on 2014-07-27 17:46:10 Copyright: Default

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