本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:[女性労働者、話す](1)慶北大清掃労働者
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1415141163243St...
Status: published
View


「用役が何の労組かと思ったが、私達にもやれば出来る」

[女性労働者、話す](1)慶北大清掃労働者

キム・ギュヒョン記者 2014.11.04 12:09

ほとんどの大学生より早く学校に行く。 建物の汚れたところ隅々まできれいに清掃する彼女ら。 朝8時に出勤し、学生が授業を受ける講義室から清掃を始め、 授業が始まる9時からは廊下を清掃する。 清掃といっても全く引け目を感じる必要はない。 彼女らの自負心はどんな高位職にも劣らない。 まさに慶北大学校清掃労働者だ。 しかし彼女らが初めからこうして堂々としてはいなかった。

15年前、慶北大学校の清掃労働者に就職したチョ某氏(62)は 「月給をもらう時はそのまま受け、少ないとか多いとかは言うこともなかった。 初めは1か月に40万ウォンだった。 ボーナスもなく、秋夕の名節に食用油をもらうと有難くて、 もらえなければ何も言わず...」と初めて入社した時を思い出した。

30年、慶北大で清掃労働者として働くキム某氏(63)は 「慶北大の門の前で暮らしているが、隣りのおじさんが慶北大に通っていた。 慶北大が清掃用役を取るというので、その時に働きはじめた。 仕事が多い社会大、人文大、図書館から仕事を始めた」とし 「初めて入って、月給がいくらかも知らなかった。 男女の賃金に違いがあることも知らなかった。 隣の人がいくら月給を取るのかも知らなかった」と話した。

シン某氏(61)は「昔、デモをしていた時は社会大、人文大の仕事が多かったんですよ」とし、17年前に慶北大で働き始めた時を思い出した。 続いて「初めての時は30万ウォンぐらいだった。 労組でもできてからずいぶん上がった。 労組をすると人として扱う。 自分の都合で追い出していたが、下の人々を...」と話した。

▲朝授業(9時)の開始前に講義室清掃を終わらせる。[写真=女性労組大邱慶北支部提供]

初めて慶北大で清掃を始めた時、月給与は最低賃金にもならない平均40万ウォン程度だった。 同じ仕事をする男性労働者の賃金より約10万ウォン程度少なかった。 定年も男性は63歳、女性は58歳で、男性労働者より5年短かった。

2001年8月、彼女らは賃上げと男女の雇用差別をなくすために労組(全国女性労組大邱慶北支部慶北大清掃員分会)を結成する。 労組の発足から集まった彼女らは労組を通じて権利を知り、世界を知ったという。

キム氏は「こんなことはしたことがなくて、権利を見つけただけでも満足だ。 昔、私たちには権利は夜明けの遠い東の空だと思っていた。 何も知らない状態から、少しは発言権もあるので確かに学校は良くしてくれる。 草創期に学校で労組なんて言えば、だめだ、大変だっただろう。 道ができていたから良かったよ」と話した。

チョ氏は「私もここに清掃に来なかったら、この世界がどうなのか分からない。 飽きるほど家の中で暮らした。 誰がしてくれることを願えば10年、20年かかる。 労組をして、この世の中に知らせなくちゃ。 上の人たちが世の中を替えられなければ、下の人たちが苦しむ。 下の人たちがこれを知って、こうしなければならない。 どこの国会議員もこんなことはしてくれない」と話した。

男性と女性の雇用差別をなくす6年の戦い

労組を作って、まず男性労働者と定年差異、賃金差異をなくす戦いから始めた。 彼女らは労組を結成した当時、58歳で定年になったト・ジェグム分会長の犠牲があったと言う。

キム氏は「労組をする時、何も知らずに始めたが、労組といえばつかまると思ってこっそりした。 だんだん認識ができてきた。 ト・ジェグム分会長が何人か集めて、分会長とそこから始めて、どんどん認識が良くなって行った。 労組は良いことなんだと知って、うまく労組を引っ張ってきた」と話した。

チョ氏は「労組を始めた時は、用役に何の労組か。誰も認めなかった。 労組を作って戦って、そのせいで解雇もされて、初めの6か月は大変だった。 (ト・ジェグム分会長が)仕事も給料もなく働いた」と話した。

▲[写真=女性労組大邱慶北支部提供]

当時、58歳で定年になったト・ジェグム初代分会長は、労組を結成したという理由で解雇された。 約6か月間の法廷闘争の末にト・ジェグム分会長はまた復職し、男女定年差異を問題提起して、 その年に男女とも定年が65歳に延びト・ジェグム分会長はさらに7年働くことができた。

賃金格差をなくす闘争も容易ではなかった。 雇用において男女の平等な機会と待遇を保障するという男女雇用平等法が制定されてから約20年経った時だったが、 やはり男性と女性の賃金格差は当然のこととして受け入れられていた。

チョ氏は「その時はそれを受けてやったが、女の月給を削って男に払うんじゃないか。 同じように働くのに、なぜ男にたくさん払い、女には少なく払うのか。 同一労働・同一賃金にするのにほとんど7〜8年戦った。 その時は女が一緒になった」と話した。

同一労働・同一賃金を要求した後、2004年に男女賃金格差が1万9000ウォンまで縮まった。 2005年には男女賃金格差が1万5000ウォン以上になれば、その差額を女性に払うようにした。 労組を結成して学校と戦って6年目の2006年、いよいよ同一労働・同一賃金を保証されることができた。

女性たちだけの労組ではなく、清掃労働者全体の処遇改善

女性労組慶北大清掃員分会は約6年間、男性と女性の雇用差別をなくす闘争をした。 しかし女性労組でも女性組合員しかいないわけではない。 最初は女性組合員だけだったが、次第に男性組合員も加入し始めた。 労組を作って闘争して、男女雇用差別廃止だけでなく、賃上げ、勤労条件改善など、慶北大内の美化労働者の処遇がとても改善されたためだ。

チョ氏にとって賃上げ闘争は特別な記憶として残っている。 生まれて初めて裁判所に行ったチョ氏は 「裁判所なんて何でもないよ。書類だけ出してくれば良い。終わっておでんの汁を飲みながらそう言ったことを思い出す」として笑った。

チョ氏は「毎年賃金交渉をして、6月から8月の昼休みにはテンヤンジの本館前でずいぶん戦った」とし 「最低賃金も払わないのに市中労賃単価を求めて本館と戦う時は顔を出してやるのさ。 うまくいけばその成就感。 ああ、やれば出来る、満足がある。 後でぶつぶつ言っても、行く道をしっかり進んで、やれば出来る、こうした」と話した。

▲2007年慶北大本館前市中労賃単価要求[写真=女性労組大邱慶北支部提供]

2008年から慶北大清掃労働者は最低賃金ではなく市中労賃単価水準の賃金を受けている。 2007年、政府が「公共部門非正規職総合対策」を発表し、公共部門外注労働者に市中労賃単価を適用するようにした。 労組も慶北大に市中労賃単価に合わせて賃金を払うことを要求した。

チョ氏は「市中労賃単価もすぐにやらない。 市中労賃単価も苦労して、3年ほどかかった。 その上に労働部には、慶北大は国のことじゃないの。 モデルとしてしてみろと言った。 闘争もずいぶんしたし、国会の小会議室に行ってずいぶん会議もした。 労働部、最低賃金関連当事者、みんな出てきて会議した」と話した。

当時、大邱地域清掃員労組の中でも元請から市中労賃単価を受け取っていたのは慶北大清掃員分会が最初で、 全国女性労組でも最初だった。

キム氏も賃上げ闘争をした時を思い出した。 キム氏は「賃金闘争のようなことをする時、学校と戦う時、学生がずいぶん協力した。 本館前でした時、たくさん学生が来て、私たちも力が出た」とし 「市中労賃単価を受ける時は大変だったが、最近は市中労賃単価を受けとっているので、今はなんでもない。 政府が決める単価があるから」と話した。

チョ氏は「これから(他の事業場も)最低賃金がなくなって、 みんな市中労賃単価に流れていかなければいけない」と話した。

慶北大清掃員労組が結成されてから14年、 女性雇用差別をなくすために始めた戦いは、 慶北大内の非正規職労働者の労働条件と環境を改善する糸口になった。 清掃労働者の労働条件と環境が改善されるたびに、 自然に慶北大寄宿舎清掃労働者、料理労働者、給食室労働者の処遇も改善した。 もう慶北大清掃員労組は全国の清掃労働者のロールモデルになって、 勤労条件を上向平準化する役割を果たしている。

▲[写真=女性労組大邱慶北支部提供]

全てが完璧に見える彼女らにも、一つ解決すべき問題が残っている。 まさに毎年再契約する用役契約の問題だ。 10年以上慶北大で働いているが、彼女らは相変らず非正規職だ。

シン氏は「用役契約が面倒で死にそうだ。 いつも写真を撮って履歴書を書かなければならない。 身体検査しなければならない」と再契約の不便さを話した。

キム氏は用役契約をする学校の立場を理解する。 キム氏は「学校が言うだけで用役がみんなするが、直接雇用なら100人みんな管理しなければならない。 金もたくさん払わなければならないだろう。 私たちも皆わかっているけれど」と話した。

チョ氏は「同じ場所で10年以上働くのに、12月31日に辞表を出して1月1日にまた入社する。 慶北大で働いても社長は毎日ソウル、京畿道の人だ」とし 「直接雇用なら最高だが、下で働いても慶北大人になる」と話した。

続いて「入って1年になる人と、15年になる人の月給は全く同じだ。 いくら清掃でもノウハウがある。 そんなことも法が間違っていると考える。 直接雇用して年度差を1年1万ウォンにして。 給与体系をおくとか。 発展も必要ではないか」と直接雇用の必要性を語った。

付記
キム・ギュヒョン記者はニュースミン記者です。この記事はニュースミンにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-11-05 07:46:03 / Last modified on 2014-11-05 07:46:05 Copyright: Default

関連記事キーワード



このフォルダのファイル一覧上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について