本文の先頭へ
韓国:サムスン半導体の故イ・ユンジョン氏、最後の道
Home 検索

サムスン半導体の故イ・ユンジョン氏、最後の行く道

江南駅サムスン本館前、イ・ユンジョン氏の市民社会葬告別式

ユン・ジヨン記者 2012.05.10 15:53

江南駅サムスン本館前が嗚咽と菊の花びらで埋め尽くされた。

故イ・ユンジョン氏の遺族と葬儀人団は、サムスン本館でイ・ユンジョン氏の 最後の行く道を共にした。5月10日午前8時、市民社会葬で行われた故イ・ユン ジョン氏の告別式で、遺族と追慕人団はサムスンが作ったまた1人の犠牲者を 送り、涙を流した。

八歳になるサンジュの手は『イ・ユンジョンを生き返らせろ!』というプラカー ドを持っていた。六歳になる娘の手には菊の花があった。故人の夫のチョン・ ヒス氏は子供たちを抱いて涙を流し、残された故人の遺族は彼女の遺影を見て 嗚咽した。

イ・ユンジョン氏より前に死んだ他のサムスン半導体被害者の遺族たちは、繰 り返される同じ犠牲に傷が積もった。生前、イ・ユンジョン氏と共に労災認定 にあちこちを飛び回ったパノルリムと市民社会活動家たちは一人の仲間をまた 失った。そうして生きている者たちの嗚咽はちりぢりになったが、まだサムスン の壁はかたかった。

1.

「私はとても不足な父だが、本当にしっかり努力するよ。子供たちの心の傷は どうしようもないが、たくさん愛して、耳を傾けてやるよ。ユンジョン、もっと 愛して惜しんでやれず申し訳ない。このだめな兄さんはこんなに後悔するばかり で、バカのように悲しむんだ...出会い、愛し、子供を産んで育て、幸せだった 記憶だけを胸に刻もう。もう、不足な兄さんにすべて任せ、苦痛のない所で ゆっくり休んでくれ」

この場でチョン・ヒス氏は、妻に最後の手紙を伝えた。2010年5月5日、青天の 霹靂のような妻の脳腫瘍の判定から2年間をサムスン資本、そして政府と戦って きた彼であった。妻に『ユンジョン、君は働いて病気になった、だから労災が 認められたよ』という言葉を伝えたくて、休むことなく駆け回る戦いだった。

勤労福祉公団から労働災害不承認の判定を受け、昨年4月に行政訴訟を提起した。 だが裁判は遅かった。1次弁論のたった5分のために六か月待ち、法院の放置で 8か月以上待っている。その間に妻の生命は消えた。嘘でも妻に労災認定の知ら せを伝えたかったが、放置されている裁判のため、嘘もつけなかった。

だからチョン・ヒス氏は、妻が労災承認の知らせも聞けずに亡くなったことが 最大の悔恨だ。8日、故人の葬儀場で会った彼は、まだ仲良かった君の家族が こなごなになり、故人の命を奪っていったこのとんでもない現実を受け入れる のが難しいといった。

「お前は働いて病気にかかったのだということを知らせたかったです。それで 2年間、労災認定を受けるために本当に努力しました。どんな言論とのインタ ビューも拒みませんでした。TVにもモザイク処理なく顔が出るので妻がとても 心配もしました。それで妻に『お前のような被害者がいてはいけないから』と 説得したこともありました。

事実、家内は昨年10月から正常な対話ができませんでした。ところが妻が私に もうサムスンを許せと言ったのです。それで妻に、お前をこんなにして私たち の家庭をばらばらにしたサムスンをどうして容赦できるかと話しました。私は この戦いを放棄できません。妻の名誉、家族の権利を取り戻します」。

イ・ユンジョン氏が残した8歳と6歳の子供たちは、まだ死がわからない年齢だ が、母の不在は実感する。そのためか上の子供は告別式で嗚咽が聞こえてくる たびに耳をふさぐ。6歳の娘は父の胸に抱かれて、菊の花をいじりまわす。

「子供たちはまだ死を知りません。お母さんが天国に行ったと思っています。 幸い、泣いたりはしませんが、これからが心配です。死ぬ前、最後に家内が頼 んだのは、子供たちに十分勉強させてやってくれということでした。妻は勉強 はできたのに、家庭の事情が良くなくて、高校に進学した後、すぐ工場に入っ たでしょう。それで病気にもなったのです。妻は子供だけは勉強させて、こう したことを味わわせたくないのでしょう。

私が最後に妻に頼みたいのは、次の世では貧しい家に生まれないでということ です。次の生では良い家に生まれて、自由に飛び回れたらいい...何よりも化学 物質のない所に生まれてほしいです」。

2.

故イ・ユンジョン氏は1997年5月、忠南の舒川女商高3年に在学中、19歳でサム スン半導体温陽工場に入社した。そこでイ氏は高温テスト業務を6年間担当した。 一定の温度に露出させた半導体チップを機械から取り出して、それを目で直接 確認し、不良を選び出す仕事だ。

彼女は勤務中、高温で焼けた半導体チップから出る黒い煙や粉塵を吸入し、ベ ンゼンなどの発ガン物質にも露出した。チップを手で触り、皮膚病になったこ ともあった。

2003年5月、退社後に専業主婦生活をしていたが、2010年5月、30歳の時に悪性 脳腫瘍(膠芽細胞腫)の診断を受けた。同じラインで働いていたユ・ミョンファ 氏も、重症の再生不良性貧血にかかった。半導体工場での化学物質露出以外に 発病の理由はなかった。彼女は温陽工場に採用された時の健康診断では何の 異常もなく、家族の中に脳腫瘍などの関連疾患者もなかった。

イ・ユンジョン氏は2010年7月23日、勤労福祉公団に労災を申請したが、公団は これを承認しなかった。4月7日には行政訴訟を提起したが、結局、彼女は訴訟 の結果も見ないまま亡くなった。

イ・ユンジョン氏の死は、サムスン半導体職業病情報提供90人のうち32番目の 死亡で、サムスン電気・電子職業病情報提供140人のうち55番目の死亡だ。また 彼女は、半導体電子産業の全職業病情報提供160人のうち63番目の死亡者だ。

パノルリムのイ・ジョンナン活動家は「イ・ユンジョン氏をはじめ、サムスン 職業病死亡者55人は氷山の一角だ」とし「サムスンでこうして労働者が死んで いくのに、なぜ政府は調査をしないのか、私たちが何か力を持っているかのよ うに、多くの情報提供が入ってくるのか、苦痛だ」と涙を流した。

続いて「ユンジョン氏の死を無駄にしないように、半導体産業での問題を解決 するために、生きている人が決意してほしい」と頼んだ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-05-11 03:09:59 / Last modified on 2012-05-11 03:10:15 Copyright: Default

関連記事キーワード



このフォルダのファイル一覧上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について