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サムスンに通っていた二人の子供のお母さんが、子供の日に脳腫瘍と診断

[インタビュー]サムスン半導体 脳腫瘍被害労働者、イ・ユンジョン...また入院

シム・ヒョンホ記者 2011.09.26 12:09

▲元気だった時期のイ・ユンジョン氏

2010年5月5日の子供の日に脳腫瘍(膠芽細胞腫)と診断されたサムスン半導体の 労働者、イ・ユンジョン氏が時限付きの生活を送っている。診断を受けた後、 手術と放射線治療、薬品治療を受け、多くの患者が体験する副作用もなく状態 が好転し、周辺の人から「もっと長生きできそうだ」という期待を与えた。

だが、彼女の病気は再発した。今年の5月頃、突然体調を崩したイ・ユンジョン 氏は、9月6日午後3時頃、ソウル市逸院洞のサムスン病院の応急室に行ったが、 病院は病室を渡さなかった。病院に行って24時間以上病室がなく、イ・ユンジョ ン氏は訪問客が座る長椅子に横たわり、リンゲルを打たなければならなかった。

そうしてまた放射線治療が始まった。今回は脳の前部だった。昨年1回目の手術 をしたので、再手術は難しく、すぐ放射線治療が始まった。今回の治療で彼女 は肢体4級障害の判定も受け、トイレも一人で行くのは難しく、時々失言をした りもする。周辺の人々の心配は高まっている。

彼女と夫のチョン・ヒス氏に自宅で会った。イ・ユンジョン氏は放射線治療で 気力が落ち、病気のために時々失言をするからか、極度に言葉を慎んだ。夫の チョン・ヒス氏は心配そうに横で彼女を守った。

▲昨年5月、脳腫瘍と診断され治療後、好転したイ・ユンジョン氏は今年9月また病院を訪ねた。応急室に行ったが24時間たってもサムスン病院は病室を渡さなかった。[出処:パノルリム]

危険を知らず6年間働いたイ・ユンジョン氏

退職して二人の子どもの母になってから『脳腫瘍』診断

イ・ユンジョン氏は1997年にサムスン半導体温陽工場に入社した。周辺の多く の同僚のように、高等学校卒業と同時に入社した。担当していた業務は半導体 チップを高温の機械に入れ、耐熱テストすることだった。高温になった半導体 チップを機械から取り出し、それを直接目で確認し、不良品を選び出す仕事だ。 この仕事は各種の有害物質に露出するほかはなかった。

「機械を開けると煙が上がります。半導体が不良かどうかを選ぶために目を近 付けて調べるのですが、いやな臭いもします。チップを手で触れば皮膚がむけ るほどでした。そして皮膚病になったりもしましたし。不良を選ぶ時、チップ の間に黒い粉が混じっていると作業ができないので、それをコンプレッサで吹 き飛ばすのですが、それと共にチップについた良くない物質が飛んだようです」

テスト工程の作業者にはマスクと手袋が支給された。だがそれをきちんと着用 して仕事をする人々は殆どいなかった。綿の手袋はすぐ汚くなり、手袋をして いるとチップをはめる時の速度が出なかった。マスクもまた不便で、常に着用 していることはなかった。

「不便なら手袋やマスクをはずして作業しました。しかし管理者は、それらを 必ず着用しろとは知らせませんでした。また、私たちがそれほど健康に有害な 作業場で働いているとも知らされなかったので、なおさら着用しなかったので す。みんな生産量に必死で、健康には何の関心も傾けませんでした」

同じラインの後輩のユ・ミョンファ氏は、1年しか働かなかったのに重症の再生 不良性貧血にかかった。彼女は輸血しなければ生命を保てない。周辺の同僚が 脳に腫ようができて流産したり障害がある子供を出産したりもしたが、イ氏は 自分の仕事がそんなに危険な仕事だとは考えられなかったという。

「ほとんどは、働いている時には危険だと思いませんでした。周辺でこの仕事 が危険だと言う人もいなかったんですよ。もちろん周辺の同僚が病気になれば 不安に思うことはありました。働いていたのに突然出てこなくなり、そのうち 退社するということがよくありました。こんな話はオープンにされず、仲間う ちで話されてしまいました。会社で全職員に知らせて対策を立てたりもしなかっ たのです」

結局、イ氏は仕事が危険だということを知らないまま、2003年まで6年間働いた。 この後、退社して専業主婦として生活し、昨年『脳腫瘍』という診断を受ける ことになる。二人の子供の母のイ氏が、時限付きの1年を受けなったのだ。初め、 診断を受けた時は『サムスン半導体』ためとは想像もできなかったと言う。

「全く考えられませんでした。半導体のためだとは.... しかし夫が『サムスン 半導体白血病問題』に関するテレビ番組を見て話し、そんなこともあるかもし れないと思いました。病院では『脳腫瘍』だから『白血病』とは何の関係もな いと言いましたが、時間がたつほど疑うしかありませんでした。50代の男がよ くかかる疾病で、家族歴もないのに、私にこんなことがおきるというのが理解 できませんでした」

▲夫チョン・ヒス氏は妻が脳腫瘍を診断された後、サムスンと勤労福祉公団を訪ねて戦った。彼が感じたのは「サムスンと勤労福祉公団は違わない」だった。

サムスン職員、「市民社会団体と活動するな」

勤労福祉公団職員、「サムスンと関連があれば俺の腹を切れ」

夫のチョン・ヒス氏は妻が脳腫瘍と診断された後、サムスンと勤労福祉公団を 訪ねて行って戦った。彼が感じたのは「サムスンと勤労福祉公団は違わない」 だった。

イ氏が『脳腫瘍』の診断を受けて治療を始めると、夫のチョン氏は『半導体労 働者の健康と人権守備、パノルリム』と活動を始めた。以後『サムスン』と 『勤労福祉公団』を行き来してくやしさを訴えた。だが彼が受けたのは『苦痛』 そのものだった。

7月6日、勤労福祉公団理事長との面談を要求するために理事長室を訪問した 『サムスン半導体』被害者家族が公団の職員に遮られて立ち往生するという事 件があった。職員が階段をふさぎ、チョン氏を監禁状態にして、他の家族は 体当たりで失神した。チョン氏は一言で『情けない』と言った。

「私たちは『公団』は『サムスン』と全く同じだと思うしかありませんでした。 公団は全く労働者のための所ではありませんでした。結局、理事長との面談で も、彼らには力がないという言葉を繰り返すだけでした。そこの職員がこう言 いました。『公団は清潔だ。サムスンとは絶対に関連がない。もしそうでなけ れば俺の腹を切れ』と。後で本当に不正が明るみに出れば、彼らの腹を切れま すか? すべて腐敗していると思うしかありません」

だが、皮肉にも9月20日の国政監査でまた、サムスンと勤労福祉公団の癒着疑惑 があらわれた。勤労福祉公団が7月4日、サムスン電子と合同対策会議をした後、 サムスン半導体白血病労災認定判決控訴理由書を提出したと発表されたのだ。

チョン氏はサムスンからも同じように苦しめられた。9月2日、ソウル江南区の サムスン本館前で集会を終えて帰ろうとすると、サムスンの警備が言いがかり をつけてきた。体当たりになり、チョン・ヒス氏が抗議すると警備が唾を吐い た。結局、警察が来てその警備は自分の誤りを認め、顔を拭いて謝罪すること で合意し、事件を終えた。チョン氏はこの事件が『サムスン』の本質だと言う。

「顔に唾を吐いた警備が最後までやっていないと主張すると、警察がきて仲裁 し、合意しようと言って、結局は認めました。それで私はその時、警察に『あ れがサムスンの本当の姿だ』と言いました。最後までしなかったと言いながら、 警察が仲裁をすると告白する姿... われわれはそんな奴らと戦っているのです。 サムスンの警備からしてそんな態度なのに『サムスン』という企業はどうでしょ う? 10年でも20年でも、サムスンはあいまいになるまで頑張り続けます。サム スンは結局人々を使うばかりで後で古草履のように捨てます」

イ氏が放送に出ると、チョン・ヒス氏はサムスン半導体工場に電話をかけて抗 議した。すると職員がやってきて、市民社会団体とは活動するなと注文した。 だがチョン氏はこれを受け入れなかった。その後、職員はまた来たが、それ以 上はこなかった。

「サムスンは少なくとも私たちに、治療はうまくいったか、名節はよく過ごせ たかなどの安否の電話をしなければならないのに、1年が過ぎても一本の電話も ありません。もちろん関係はないです。あいつらが私たちに何と言えばいいの でしょうか? 助けてやるという言葉以外に言えますか?」

「私たちがこうして戦う理由は『認定』しろということです。私たちの息子、 娘に、お母さんのことを話す時、ただ亡くなったのではなく、会社で働いて有 害物質に露出して亡くなったと話してやりたいのです。ただ、自然に亡くなっ たと話すのはとてもくやしいです」

「妻は本当に苦しいでしょうが、今まで一度も涙を見せませんでした。本当に すごい。私は今、心の準備をしなければと考えていますが、簡単ではありませ んよ。サムスンのことを考えれば、怒りが頭まで込みあげます。本当にあの本 社に踏み込んで、みんな壊してやりたい気持でいっぱいなのに... 妻がサムス ンで働いて病気にかかり死んだということを追慕する慰霊碑でも作って、工場 の前にたてたいです」

最後にイ・ユンジョン氏はサムスン半導体で働いて病気にかかった被害者に、 頑張ろうと伝えた。そして壁にかかっている写真を指した。

「皆、大変でしょう。だがそれぞれが頑張る理由に何かがあるのです。私はあ の壁の写真を見て頑張りました。皆が力を出せばと思います」

▲イ・ユンジョン氏が今まで頑張らせた家族。壁の片隅に家族の写真がある。

22歳キム・ヨンナン、23歳ユンウンジン、31歳ファン・ミヌン、27歳イ・スギョン、 23歳ファン・ユミ、23歳パク・チヨン、30代ナム・サンテク、30歳キム・ギョンミ、 28歳パク・チニョク、33歳チェ・ミヒ、イ・サンヘ、27歳ヨン・チェウク、 26歳キム・ジュヒョン、51歳チュ・ギョチョル氏など、50人もの労働者が白血病で、 脳腫瘍で、膠芽細胞腫で、黒色腫で、縦隔洞生殖細胞腫で、卵巣ガンで、 胃ガンで、再生不良性貧血で、肺ガンで、血液異常で、骨肉腫で、皮膚癌で、 子宮癌・卵巣ガンで、あるいは自殺で死んでいった。

また、9月22日にサムスン電子の協力業者で電子回路版洗浄作業をていた34歳の パク・ソンチョル氏が白血病で亡くなった。8月10日、勤労福祉公団に労災保険 を申請したがその結果も見ることなく亡くなったのだ。

2007年の故ファン・ユミ氏の死で、サムスン半導体白血病の集団発病が知らさ れてから4年たったが、変わったのは被害者情報提供が140人に増えたことと、 そのうち50人ほどが死亡したと伝えらされたことだけだ。

半導体労働者の死の行列は止まっていない。(記事提携=メディア忠清)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-09-27 23:01:20 / Last modified on 2011-09-27 23:01:34 Copyright: Default

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