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サムスンはお金の話だけしました[連続企画]サムスンが捨てたもう一つの家族(7) -チョン・エジョン、ヨン・ミジョン編
ヒジョン(執筆労働者) 2010.11.23 17:31
2004年、サムスン半導体の社内カップル、チョン・エジョン、ファン・ミヌン 夫婦に2つの大きな事件があった。チョン・エジョン氏が二人目の子供を妊娠し たのだ。そして夫のファン・ミヌン氏が急性リンパ腺白血病にかかった。風邪 だと思って病院を訪ねた日、彼はすぐ坑癌治療に入った。 サムスンの社内放送局がこの夫婦を訪ねてきた。その放送で、ファン・ミヌン 氏は妊娠した体で自身の病気の面倒を見る妻に真心を伝えた。 「ワイフがとても有難くて……。この世でどんな女より最も愛してる。一番幸 せにして上げられるような夫になるでしょう。」 映像を見たサムスン電子の職員は募金した。会社は募金を渡す場を開いた。チョ ン・エジョン氏は彼らに頭を下げて感謝の言葉を伝えた。数か月後、夫ファン・ ミヌン氏は亡くなった。 サムスンは私にとって塀のようなもの……
▲チョン・エジョン氏の姿[出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] チョン・エジョン氏は、サムスンを退社した後、保育園保育教師として働く。 夫が亡くなる一か月前に産んだ娘と、お父さんとそっくりの息子が毎日大きく なる。こんな生活に慣れた頃、チョン・エジョン氏は知り合いの先輩から一本 の電話を受けた。先輩は夫の死が労災かも知れないとし、パノルリム(半導体労 働者の健康と人権守備)の話をした。 その話を聞いて彼女は1か月悩んだ。 「何を悩んだかというと、『サムスンが私にとって塀のようなものだが……』 そう考えました。今思えば一種の洗脳ようなものです。サムスンに対する漠然 とした信頼……。」 退社後も社員カードを捨てないほど、職員はサムスンに通ったという事実に自 負心を感じている。チョン・エジョン氏も同じだ。その上、サムスンは夫と出 会ったところだ。社内合唱大会の練習のときに夫と会った。背が高くスマート だった夫は誰より眼についた。いたずらで愛情を表現する無愛想な人だが、心 は深く親しかった。『先輩』と呼んでいる間になじんだ。サムスンは単に会社 ではなく、夫と思い出の空間で、10年働いた彼女の若い日の全てだった。 そんな会社が夫を殺したというのだから、彼女には信じられなかった。悩んだ 末に、とにかく会ってみようという気持ちでパノルリムに連絡した。 「その時はパノルリムの草創期で、彼らは半導体の工程を全く知らないのです。 むしろ私がどんな作業環境だったかを教えました。」 情報提供者は少なく、半導体工場は外部に公開されていなかった。どんな薬品 を使っているのか、どんな工程を経るのか、多くの部分が『営業秘密』だった。 チョン・エジョン氏は、自分が働いていた作業環境を説明した。振り返ってみ ると、どうしてこんな環境で危険だとも思わず過ごしたのか驚くほどだった。 ガスの漏出は多く、放射能が出る機械の開閉装置を手動で解除し、製品を取り 出すこともよくあった。危険だと言ってくれる人もいなかった。 「通りがかりにそれ(不良ウェハー)素手で触るなという一言を聞きました。 『するな』という言葉は聞いたが、なぜ触ってはいけないのかは聞きませんで した。10年間働いて、その言葉をたった一度だけ聞いたのですが、ちょっと親 切な人に会えば聞けて、そうでなければ聞けません。そんな調子でした。」 こうした作業環境で、健康なはずがなかった。夫の死は明らかに会社と関係が ある。彼女は真実を明らかにすることにした。 「子供たちが生きて息をするでしょう。子供たちに自分のお父さんの死につい て糾明をするべきです、私が。」 子供たちは時々お父さんを探す。お父さんの顔も知らない二番目のイェインは、 「お父さんは天国に行ったのになぜ来ないの?」と尋ねる。そんなときは、 兄さんが代わりに返事をする。 「お父さんは死んだんだから来ないよ。お母さん、お父さんこないんでしょう?」 それと共に尋ねる。 「お母さんもお父さんと会いたい?」 二人の子供のお母さんのチョン・エジョン氏は、サムスンに対する無用な思い 出ではなく、子供たちのための真実を選択した。 情報提供の約束当日、誰も出てこなかったしかし真実を明らかにするのは容易ではない。 「お父さんの人間関係は良かったです。この人が同僚もかなり多かったです。 葬儀を行う時はともかく、納骨堂に安置する、その後に続く行列で車30台が通 り過ぎる、そこの交通が麻痺するほどでした。それ程に人も多くて、そうして 哀悼する人も多かったんですけれど、この闘いで助けてもらおうと電話しても、 誰も連絡ができません。」 助けを受ける所がないのは、チョン・エジョン氏だけでない。兄さんのヨン・ チェウク氏を失ったヨン・ミジョン氏も同じような経験を持っている。
▲兄さんヨン・チェウク氏の遺影を持つヨン・ミチョン氏[出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] サムスン電子に通っていたヨン・チェウク氏は、縦隔ガンという珍しいガンに かかり、1年6か月闘病した末に亡くなった。ヨン・ミチョン氏と家族は混乱に 陥った。当時、兄の年齢は27歳だった。健康な人だった。病気がかかる理由は なかった。原因を探すために、ヨン・ミチョン氏は兄さんの会社の同僚に電話 をかけた。同僚はわかるところは全て知らせるといった。しかし約束の当日、 誰も出てこなかった。 サムスン半導体器興工場で働いていたキム・ギヨン氏は、これは当然だという。 「会社員が人事課に行くということは、韓国では検察に連れていかれるような ものです。情報を提供すればどうなるのか明らかです。子供がいる人にとって 職場は命綱そのものですから。」 彼の後輩もパノルリムに情報提供をしたことがあった。後輩のパク・ジヌ氏が 先にパノルリムを訪ねてきた。彼はチュ・ギョチョル(白血病で闘病中)、ナム・ テクシン(黒色腫で死亡)等、職業病が疑われる同じ部処の人の話も伝えた。 少し後、パク・ジヌ氏がまたパノルリムを訪ねてきた。情報提供の内容を公開 しないでほしいと要請しに来たのだ。そして2009年の国政監査で彼はサムスン 半導体が白血病とは無関係だと明らかにする会社側証人として出席した。 キム・ギヨン氏にパノルリムを知らせたのも、後輩パク・ジヌ氏だ。しかし、 ウェゲナー肉芽腫という貴重病にかかり、死の峠を越したキム・ギヨン氏が労 災を申請しようとすると、後輩は彼に退社を薦めた。パク・ジヌ氏個人の意見 ではなかった。 後輩の背信、会社の退社の勧誘、キム・ギヨン氏は十年以上働いてきたところ から捨てられた気持ちを拭えなかった。彼は退社し、2010年5月にパノルリムを 通じて労災を申請した。今でも彼はパノルリムに来た日には何も手につかない という。その時を思い出すからだ。しかし彼は念を押すように話す。 「後悔はありません。サムスンが10億払うといっても、良心により受け取れま せん、今は。」 サムスンはお金の話だけしましたヨン・チェウク氏の家族も労災申請をした。結果は不承認だった。3か月後に 出た結果だ。疫学調査もなかった。再審査を請求しようとすると、サムスンの 職員が家に訪ねてきた。次長という人が慰労金2億を提示した。 「チェウク氏の病気は表面に何も現れず、何でもないがサムスンは超一流企業 なので誠意の表示をする」といった。超一流企業サムスンは、労災再審査請求 をすれば、このお金は払わないといった。 7月、サムスン労災隠し糾弾証言大会で、ヨン・ミチョン氏はその時の状況を 回想して話した。 「息子を失った両親の前で、サムスンはお金の話しかしませんでした。」 サムスンのお金の話はここで終わらない。ファン・ユミ(2003年器興工場入社、 白血病で死亡)、パク・ジヨン(2004年温陽工場入社、白血病で死亡)などの被害 者に『民主労総、パノルリム、報道機関とは接触せず、労災申請を撤回するこ とを条件』として慰労金を提示し、この事実がこの日の証言大会で明らかになった。 サムスン電子は2010年の活動目標を「無災害緑色事業場具現」と発表した。 『無災害』は、多様な方式で可能だ。労働環境を改善し、安全教育を強化し、 労働災害を減らせる。労災申請を金で撤回させ、労災申請不承認判定のために 証人を操作して、内部で口を封じ、無災害を達成することもできる。選択は サムスンの役割だ。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-11-24 05:53:24 / Last modified on 2010-11-24 05:53:31 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |