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韓国:サムスンが捨てたもう一つの家族(2)ハン・ヘギョン、キム・シニョ編 | ||||||
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流せない涙[連続企画]サムスンが捨てたもう一つの家族(2)ハン・ヘギョン、キム・シニョ編
ヒジョン(執筆労働者) 2010.10.19 10:14
「おかしいでしょ。信じられますか? 私が障害者になったんです。」 彼女が両拳を握る。目をしっかり閉じる。硬直したように、力が入ったからだ が震える。彼女が泣いているのだ。彼女は涙を流せない。脳腫瘍手術の過程で 涙腺が切れてしまった。小脳に腫ようがあった。手術をしなければ、あと何か 月生きられるのかわからない。 彼女のお母さん、キム・シニョ氏は医者にしがみついた。「ヘギョンが私のそ ばにいるだけでいいんです。私が会いたい時、見て触りたい時に触れるように して下さい」。何年か前なら、手術ができない病気だったという。それだけ危 険が高いということだ。 「手術が終わって集中治療室に面会に行くと、あの子の手足が縛りつけられて いたのです。看護師になぜ縛ったのかと聞くと、ソウル大病院の集中治療室の ベッド一つは3千万ウォンだというのです。そのベッドが壊れるほどの大騒ぎを したそうです。ですから植物人間ではないということでしょう。そうだ、壊れ てもいい。植物人間でなければいい。その時は涙も出ませんでした。とてもう れしくて」。 しかし、脳腫瘍の後遺症は思ったより大きかった。手術の日、ヘギョン氏は自 分のために準備された車椅子を見て「なぜ私がこれに乗るの?」と聞いて、病院 に歩いて入った。それが一人で歩いた最後だった。その日から彼女は助けがな ければ一人で立つことさえできない。言葉は何とか出てくる。複視で物が4つに 見え、片方の目はほとんど見えない。視力もとても落ちた。言語、視界、歩行 1級障害が彼女の状態を語る単語だ。 ハン・ヘギョン氏の願いは、元気になって前のように働くことだ。月給を取っ て、家族に夕食をおごりたいといつか話した。しかし現実は冷酷だ。お母さん のキム・シニョ氏の願いは、せめて娘がスプーンをきちんと使えるようになる ことだ。その願いを実現するために、母娘は毎日のようにリハビリ治療院に行 く。彼女が以前のように職場に通うことは、多分なさそうだ。
[出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] ハン・ヘギョン氏は6年間、一つの会社で働いた。高校3年の時に入った初めて の職場だった。仕事は大変だった。12時間二交代が普通だった。そこに入った 理由を聞くと、彼女は当然のように話した。 「サムスンに行くと言ったら、みんな認めました」。 彼女は1995年10月、サムスン電子LCD器興工場に入社した。『良い会社』に入っ た娘は、キム・シニョ氏の自慢でもあった。娘が家に来る日にはキム・シニョ 氏は食事の準備に忙しかった。ところがそのヘギョン氏は、食事をする隙もな く、寝るので精一杯だった。いつも疲れたと言っていた。二十歳ほどの顔には 赤いにきびがいっぱいだった。生理も何か月もないことが多かった。だが女子 職員の間では、会社に入れば生理不順は一回は体験する手続きであるかのよう に話されていたのであまり心配しなかった。 入社して3年たち、まったく生理がなくなった。仕事がつらいからだろうと思い、 会社を止めたが、退職後も肩や頭が痛むことが多かった。初めは風邪や疲れだ ろうと思い、病院に行った。薬を飲めば何日かは良くなった。度々足取りがお ぼつかないこともあった。骨が悪いのかと思ってレントゲンを撮ってみた。特 に異常はなかった。病院を転々として数年たった。そんなある日、ヘギョン氏 は神がかりになったように、ひたすらうわごとを言いまくった。 神経科を探した。診療した医師は頭をMRI撮影したことがあるかと尋ねた。あら ゆる病院に行ったが頭に異常があるとは思わなかった。検査の結果、小脳に腫 ようが発見された。医師は話した。 「腫ようの大きさから見て7、8年ぐらいですね」。 2005年に手術を受けた時の7年前なら、ヘギョン氏がサムスン電子で働いていた 時だった。治療に忙しく、その言葉に大きく関心を持たなかった。何年か過ぎ て、リハビリ治療を受けている時、ヘギョン氏がサムスン電子で働いていたと いう話を聞いた社会福祉士が『パノルリム(半導体労働者の人権と健康守備)』 という団体を知らせた。 一度連絡でもしてみたらという気持だった。周辺の人々は「金を狙って接近す るかも知れないから気を付けろ」と忠告した。パノルリムのイ・ジョンナン労 務士が訪ねてきた。ヘギョン氏がサムスン電子でしていた作業の内容を聴くた めだった。 ヘギョン氏は6年間、回路基板にソルダークリームを塗る作業をしていた。回路 の基板を熱処理機械に入れ、この過程で出る不良を検査するのも彼女の仕事だっ た。ところが一日中横に置いていたソルダークリームの主成分は『鉛』だった。 鉛は発ガン物質だ。 しばしばソルダークリームが皮膚についた。肉眼で不良品を区別するために、 熱処理された回路基板を近くで見なければならなかった。この過程で基板につ いた鉛を吸い込むのは当然だった。作業場には鉛の臭いが満ちていた。一日中 仕事をするので、寄宿舎にきても臭いがとれなかった。だが支給された保護装 備は綿のマスクとビニール手袋だけだった。ヘギョン氏に尋ねた。 「危険だとは思いませんでしたか?」 「サムスンは良い会社だから、当然そんな(危険な)ものは使わないだろうと思っ ていたようです。」 やっと19歳で入った会社だった。人体に有害な物質が堂々と作業場で使われる ということがわかる年齢ではなかった。会社は彼女が使用する薬品が何か教え てくれなかった。先輩が仕事を教えながら、手にクリームがついたらIPAでふく と言ったことが安全教育の全てだった。有機溶剤のIPAさえ中枢神経系列に影響 する毒性物質を含んでいる。 振り返ってみれば、ひどい作業環境だった。しかし知らなかったので、あれほ ど長い間働いた。 「言うべきです。何を使うのか、どれくらい危険なのか。そうすれば、私が私 一人でも定期検診を受けて病院に行ったでしょう。半導体がそんなに重要です か?人がこんなことにならないように処理しなければ……。」 彼女のからだがわなわなと震える。ウ、ウ、怒りを抑えている声だ。 「私がおばけになっても…… 黙っていたくありません」。 しかし彼女の怒りは認められなかった。勤労福祉公団は、ヘギョン氏の病気を 労災とは認めなかった。業務関連性のない個人の疾病だといった。サムスンに 対する彼女の怒りを錯覚だといった。 ヘギョン氏にとって労災認定はくやしさを越え、生存の問題であった。娘のそ ばを離れないのでキム・シニョ氏は何もしごとができない。家を売って、車を 売って、治療費に当てて、薬の価格に当てた。冷たい風が吹き、キム・シニョ 氏の憂いは増える。冬が近付いてきている。 いつのまにか落ち着いたヘギョン氏が静かに話す。 「私が突然障害者になりました。理解して受け入れなければならないのに、時々 かっとします。」 彼女のお母さんは娘の膝を撫でながら話す。 「ヘギョンは終日家にいるか病院で運動することしかありません。あの子も可 愛い服を着た人を見れば、自分も着たいと思うでしょうし、したいことがある でしょう。何を食べても味がわかりません。悲しくて泣きたくても涙も出ませ ん。それでもゆっくり眠れるでしょうか? 夜になるとがばっと起きます。…… とても多くを失いました」。 彼女は一日一日をいったいどうして過ごしているのか。 「ヘギョン、大丈夫。大丈夫だよ。あまり心配しないで……。私が私に言って やります」。 そして振り返る。 「お母さんがとても苦労してる」。 「違う……。お母さんじゃないの……」。 「私、後でまた病気になったら手術しないで。本当に約束。」 ヘギョン氏は腕をのばし、お母さんの手を引く。指切りをしようとしているよ うだ。キム・シニョ氏は手を後に抜く。 「大丈夫だよ、この小娘が。」 「手術しないで。」 「あら、再発しないよ。」 彼女が今度はこちらを見て話す。 「元気で健康な時に守らなければ。健康が最高です。」 腫ようは完全に除去できなかった。危険だという理由だった。残った腫ようが いつ再発するかもわからない。しかし再発してはいけない。彼女たちが今より 苦しんではいけない。ヘギョン氏のお母さんの言葉通り、「再発すれば母娘が サムスンの前に行ってテントで暮し、二人が死のうがどうなろうが」という事 件が起きないことを望む。 今年4月、パノルリムは勤労福祉公団がハン・ヘギョン氏の労災を不承認とした 判定の再審査を要請した。8月初めに結果が出てきた。不承認だった。現在、パ ノルリムは労働部に再審査請求を準備している。
▲ハン・ヘギョン氏とお母さんキム・シニョ氏. [出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] 〈a href="http://cafe.daum.net/samsunglabor"〉[パノルリム]半導体労働者の健康と人権守備 (http://cafe.daum.net/samsunglabor)〈/a〉〈br〉 サムスン半導体などの電子産業に従事し、予期しない疾病にかかった方々の情報提供を受けつけています。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-10-20 13:48:33 / Last modified on 2010-10-20 13:48:40 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | ||||||