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韓国:[連続企画]サムスンが捨てたもう一つの家族(1)ファン・ユミ、ファン・サンギ編 | ||||||
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「白血病は風邪とは違うでしょう」[連続企画]サムスンが捨てたもう一つの家族(1)ファン・ユミ、ファン・サンギ編
ヒジョン(ルポ作家) 2010.10.12 11:28
[編集者注] 2007年3月6日、サムスン半導体器興工場で白血病にかかり、23歳 に亡くなった故ファン・ユミさんの死の後、現在サムスン(サムスン電子、サム スン電気など)の職業病情報提供は96人、そのうち死者は31人にのぼる。サムス ン半導体の血液ガン(白血病など)の被害者だけでも42人に達し、そのうち13人 が亡くなった。最近ではサムスンSDIにも白血病死亡労働者の情報提供があった。 だが、産業安全公団はでたらめな疫学調査で、勤労福祉公団は労災の不承認で、 労働部は無視、サムスンは被害者に『金』を払って労災申請を放棄させ続けて いる。『個人の疾患』でなく『職業病』と認められ、さらなるくやしい死を防 ぐために、パノルリムは今回の連載を企画することにした。サムスン、さらに 電子産業の職業病被害労働者の話を世の中に伝えたい。9回連載する予定だ。
彼には娘がいる。半導体会社に入社し、家を出て2年で娘は白血病患者になって 帰ってきた。坑ガン治療で髪が抜けた頭と、血の気のない青白い娘の顔は他人 のようだった。お父さんファン・サンギ氏は考えた。 『なぜ娘にこんなことが起きたのか』。10万人に2、3人しかかからない珍しい 病気だ。家族の中に白血病どころかガンにかかった人もいない。娘は21歳になっ たばかりだった。高3の時にサムスン半導体に入社した後、会社と寄宿舎を往復 するだけの子どもだった。 『働いて病気にかかったのでないか?』 漠然とした疑いを持った。そううち、 娘と同じ組で働いていたイ・スギョンという人も白血病にかかったことを知った。 「二人が全く同じで場所で2人1組で働き、同じ病気にかかった。白血病は風邪 でもなく、うつるような伝染病でもないでしょう? その珍しい病気が二人とも 同じように働いて、同じようにかかったのは、絶対におかしいでしょう。何か 問題があるのではありませんか。」 彼は娘のユミに会社でどんな仕事をしていたのかを聞いた。病気の娘が余計な 心配をしないかと慎重に聞いた。何気なく一回聞いて、何日か後にまた聞くと いった調子だった。ユミはディフュージョン(diffusion)工程で働いていたとい う。半導体ウェハーを化学薬品で洗浄する仕事だった。 「どんな薬品を使うの?」 彼が聞くと、ユミはいくつか英語の薬品の名前をいった。それが何かと聞くと、 返事ができなかった。娘の日記には工程の順序がぎっしりと記されていた。何 度も繰り返し書いて覚えた。そんな子供が、自分が毎日使っていた溶液の成分 を知らなかった。化学薬品の名と機能は繰り返し覚えても成分は知らなかった。 聞く所は会社しかなかった。ファン・サンギ氏は、娘が通っていたサムスン半 導体の器興工場に電話した。労災らしいと言うと、会社の職員は飛び上がった。 課長と職場が家にきて退社しろといった。彼は退社するから労災処理してくれ といった。会社はだめだといった。その代わりに治療費を払うといった。治療 費の残額は4千万ウォンだった。病気の看護をして仕事ができず、殆ど稼ぎがな い状態だった。治療費の補償だけでも大変有難かった。その時には、娘が骨髄 移植手術を受けられてよかったと思っていた。 何週間か後にユミが高熱を出した。耐性ができて、解熱剤もきかなかった。子 を抱き上げ、背負って病院に駆け付けた。再発したようだった。すぐ会社の職 員が亜洲大病院にきた。職員は約束した治療費ではなく、500万ウォンを渡した。 「500万ウォンを差し出しながら、これしかないと。横っ面を張り飛ばしたかっ たが、その金を受けとらざるを得なかった。子どもがああだったから。」 だまされたという思いと同時に、娘の病気は労災だと確信した。 「私の気持が労災だと言っていた。私の目で見たのだから。」 会社は労災だと知っているような気がした。それで金で誘い、策略を使ってい るのではないだろうか。だが『労災』という言葉も言い出せないようにするサ ムスンの前では、何も言えなかった。ある日は『個人の疾病』と言って脅す 会社の人々の前でくやしい気持で涙を流すだけのこともあった。 考えた末、ファン・サンギ氏はこの問題をマスコミに知らせることにした。ま ず公営放送を訪ねた。KBSの放送局に情報を提供すると「証拠を持ってこい」と 言われた。 「無力な個人がどうやって証拠を探すのでしょうか?」 それも大企業サムスンを相手に証拠を探してこいと言うのだから、諦めろとい うのも同然だった。彼は娘にインターネットの使い方教えてもらった。小さな 報道機関を探すことにした。慣れないのでインターネットの検索はなかなかう まくいかなかった。電話番号があれば、とにかく電話をかけた。そうして月刊 マルのユン・ボジュン記者に連絡した。同じような経路で水原市民新聞のキム・ サムソク記者とも出会う。ユミの事件が世の中に知らされた。
しかし2年余りの闘病生活の末、2007年3月にユミは亡くなった。理性を失いそ うだった。ファン・サンギ氏は戦う決心をした。勤労福祉公団にサムスンを相 手に労災を申請した。サムスン半導体には白血病の患者がファン・ユミ、イ・ スギョンの他に4人以上いるという言葉を思い出した。サムスン広報グループの 関係者の口から出た言葉だった。その患者を探そうと思った。 ちょうどこの事件に関心を持つ人権団体があった。タサン人権センター、韓国 労働安全保健研究所などの団体が集まって、ユミの問題を解決するための対策 委を結成する。半導体労働者の健康と人権守備〈パノルリム〉の開始だった。 その後3年、ファン・サンギ氏1人だった情報提供者は100人ほどになった。白血 病だけでなく、悪性リンパ腫、再生不良性貧血、脳ガン、ルゲリクなどの珍し い疾病の情報が提供されている。彼らは作業工程でベンゼンと鉛、放射線など に露出した可能性が高かった。どれも代表的な発ガン物質だ。 ユミが洗浄のために触るウェハーにもベンゼンがついていた。洗浄薬品の一つ に使っていた硫酸は発ガンを促進する物質だ。漠然とした疑いから始めた戦い だった。しかし次第に証拠が出てきている。 最近、ソウル大産学協力団が発表した『サムスン半導体事業場危険性評価諮問 報告書』も彼の疑いを裏付ける。報告書は半導体作業場で使われる99種類の化 学物質のうち、サムスンが自主的に成分を確認したケースは一件もなく、その 上、10種類は営業秘密を理由に成分も明らかにしていないという。 今、ファン・サンギ氏は労災ではないと言う。 「本当に彼らが知らなかったのでしょうか? 労働者がどんな薬品を使ったのか、 そこにどんな有毒物質があったのかを知らなかったのでしょうか? サムスンが 知っていたなら、知っててながらそのままにしていたとすれば、これは労災で はありません。殺人なんです、殺人。」 19歳のユミの日記を見た。2003年10月6日、「サムスン電子入社」と書かれてい た日から、サムスン電子職員ユミの生活が始まる。制服の代わりに白い防塵服 を着たユミは、21日の給料日を暦に記していた。日記には日の横に「給料日ま であと10日」という文句が天気のように記されていた。 11月には修学能力の日が記入されていた。ユミの友人はこの日、修学能力試験 を受けたのだろう。ある日は胸の内を書き留めていた。 「入社したばかりの時は本当によく退社したいと思いながら、本当によく泣い た。毎日泣いてお母さんにも退社したいと言って泣き続けた。その一方で、お 母さんのために退社できず、我慢して働いた。いっそ友人たちのように大学に でも行けば良かった。嫌なのに我慢して働くのは、お母さんに申し訳ないから。 お母さんが大学に行けと言ったのに、最後まで言い張ってこの会社にきたのに、 お母さんに申し訳なくて退社できない。悲しい本でも読んで、わあわあ泣きた い。」 暦にはDay(午前勤務)、Swing(午後勤務)、G.Y(夜勤務)と記入されたあい間に 『家に帰る日』が記入されている。初めての月給をもらった記念の家族への 贈り物の目録には下着が入っている。 日記には、休みの時に友だちとどんな時間を送ったかが詳しく書かれていた。 遊びたい盛りだった。防塵服に落書きをしてひどい目にあったという話もある。 清浄規則遵守を破ったという理由だった。容貌端正、化粧気のない顔という規 則遵守もある。清浄規則遵守を重視して職員の服装も摘発するサムスンが数万 人もの労働者の健康には、何故こんなに無関心だったのだろうか。ユミが3回も 書き写した作業規則遵守、品質規則遵守10項目のどこにも安全装置や安全教育 についての言葉はない。 2004年最後のページには、誓約書がある。2005年には作業の時にミスしないと いう内容だった。新入社員ユミの1年はそうして流れた。 翌年6月、ユミは白血病と判定される。生前の姿を映した映像で、彼女はかろう じて話した。話している間中、せきが多い。 「私が白血病だと聞いて、たくさん泣きました。その時は本当に死ぬと思いま した。」 骨髄移植を受けて回復した時だった。しかし数か月後、病気が再発した彼女は 永遠に目をとじた。 ファン・サンギ氏と会うために束草に行った日だった。 「あそこが蔚山岩です。」 束草見物をさせると先頭に立った彼がふと歩みを止めた。彼がさしたところに 青い稜線があった。遠く離れていて山はよく見えなかった。私は特に考えもな く、はい、と言った。ファン・サンギ氏はまた先に進んだ。言葉なく、しばら く歩いた。おかしな感じがした。ソウルにきてユミ氏の遺骨をまいたところが 蔚山岩だということを知った。 あるインタビューで彼は娘を蔚山岩に撒いた理由を話した。 「ユミが放射線、化学薬品で病気にかかって死んだと思います。だから、空気 がよく澄んで清潔な山で、きれいな青い東海を見ていられるように、そこに撒 きました。」 ファン・サンギ氏の望みが叶うことを願う。労災だと明らかにするのだという 娘との約束も叶うように願う。 故ファン・ユミ氏の冥福を祈ります。
翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-10-14 05:26:29 / Last modified on 2010-10-14 05:26:38 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | ||||||