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米国デモの頂点と制度改革のジレンマ

[寄稿] 「黒人の命が重要だ(The Black Lives Matter)」から「警察機構廃止」まで(Defund the Police!)

クォン・ヨンスク(社会学者. 社会的ストライキ連帯基金代表) 2020.06.11 14:42

米国の人種差別デモが警察制度全般に対する急進的な改革要求に飛火している。 6月6日の週末以後、デモは「黒人の命が重要だ(The Black Lives Matter)」よりも 警察改革、さらに警察機構廃止という急進的なスローガンで覆われた。 こうしたデモ隊のスローガンに対して議会と政党、市民社会は受け入れながらも各々温度差を見せていて、 今後の米国のデモは韓国で行われたBSE(狂牛病)デモのように、 毎晩行われるデモと制度改革をめぐる攻防戦のツートラックで当分続きそうだ。

全体的に見れば、米国の人種差別抗議デモは韓国の2008年BSE(狂牛病)反対キャンドルデモと、2016年の朴槿恵(パク・クネ)退陣週末キャンドルの両者を混合した姿と言える。 毎日、デモ隊は夜になれば出てくる。 これはBSEデモ隊が毎夜ごと「キャンドル」集会を始め、 事実上、大規模デモを一か月ほど続けた姿と似ている。 だがまた多様な集団、共和党大統領候補だったミット・ロムニー上院議員や、 問題の白人警察が所属するミネアポリス市の市長も参加する週末集会デモの様相は、 祭りと集会、デモ行進を混ぜた姿で2016年の韓国の朴槿恵退陣キャンドルと似ている。

だが忘れるべきでないことは、略奪の姿は消えたがこの抗議デモは 略奪と暴力デモにまで一時は急速に駆け上がったデモであり、 さまざまな理由で徐々に緩和されているという点だ。 この点で米国の今回の人種差別抗議デモは、 根本的に平和デモフレームに序盤から閉じ込められていた韓国の朴槿恵退陣キャンドル・デモとは違う。 初期の「暴力デモ」と急進化、反政治(anti-politics)的な様相は、 これに驚いた現体制に融和的なジェスチャーを取らせ、 それ自体では急速に脱急進化されつつある点は、 韓国の狂牛病キャンドル・デモと似てはいる。 とにかく初期は黒人が主導していた暴力デモは、 その後多くの白人を含む複数の多様な社会集団が参加する平和デモが徐々に代替していく 「複合的」な抗議デモの連鎖様相を見せている。 それとともに、デモは単に黒人差別と白人警察の非武装黒人殺害を越え、 「警察テロリズム」への公憤と制度的な変化の要求を大衆的に拡散させている。

ここでトランプ大統領のデモに対する強硬対応と発言が、デモの大衆化の起爆剤になったことも明らかなようだ。 白人の多くがこのデモに参加しているが、彼らの多くは民主党進歩派で、 彼らは今回の人種差別デモを反トランプ・デモと感じて参加している。 これは韓国の朴槿恵退陣キャンドルと似ている。 キャンドルが民主党の批判的あるいは無条件の支持者と、 既存の反朴槿恵闘争を展開してきた社会進歩陣営が集まり、 巨大な光化門キャンドル集会を共に作り、ここに保守の一部も加担して 「87年体制」を死守しようとする「汎民主連合」が構成されていた。 その結果が朴槿恵弾劾と収監、 そして操り上げ実施された大統領選挙での文在寅(ムン・ジェイン)氏の大統領当選と自由主義政党の執権だった。

だが米国の現在のデモは、韓国のBSEデモや朴槿恵退陣キャンドルデモと上のさまざまな側面で差別性があり、 さらに米国の現在デモの不確実性と危機の増幅の可能性を相変らず開いている。 すでに指摘したが、初期に急進化したデモの様相を体制内的に抱き込み、 制度的な改革に対する同意を引き出したり、合意を得ることは容易ではないだろう。 根本的な問題として「構造的人種主義」と黒人の不平等を指摘しているが、 その解決法ははるかに遠い問題だ。 特に、人種主義とは単に人種差別ではなく、 資本主義的、階級的な位階秩序を維持する方式で作動している点を見のがしてはならない。 米国に人種差別があるから、韓国に階級差別、労働差別があるのではない。 そのような単純比較の問題ではない。 米国は人種差別のシステムを階級的差別にうまく溶かし込んで再生産しているのだ。 だからこの秩序は黒人のうち、階級上層に移動した人々も含む。 単純に白黒対立や構造的な人種主義ではなく、 階級問題と重なった人種主義を「構造化された」差別と理解する必要がある。

だが当面のデモ隊の要求は、果たしてきちんと制度的改革につながるだろうか。 まさに「Defund the Police!」というスローガンが前面に配置されている。 「Black Lives Matter」だけに、そしてそれを徐々に対峙しながら、 このスローガンが全面的に叫ばれている。 先週末のデモからしてそうだ。 そしてDefund the Police(警察予算を廃止しろ)というスローガンの横に 「Abolish the Police Dept.」(警察機構を廃棄しろ)というスローガンや、 「警察テロリズム解体」など、さらに鮮明なスローガンもある。 「黒人の命が重要だ」というスローガンが 米国を支える警察テロリズムに対する問題提起に変わっている。

これについて二大政党、州議会の政治家たちがひとこと言う。 だがほとんどはミネソタ州議会議員の黒人議員の発言のように、 警察予算を廃棄しろ(Defund the police)というスローガンを 「dismantling the police」ではなく、 警察予算をきちんと「公安」のために使わざるを得ないという言葉だと解釈するとし、 警察の暴力を防ぐためのさまざまな立法を相次いで出している。 しかし出てきたものは相変らず非常に不足だ。 問題警察のブラックリスト化、権限乱用警察に対する早急な起訴などの水準だ。 これで「Defund the Police」というとても新しいスローガンを掲げたデモ隊の要求に応じられるのか疑問だ。

だがすでに話したように、 韓国の狂牛病キャンドルや朴槿恵退陣キャンドルが、 一方でうっとうしい平和デモパレードがしばらく続き、 (他の起爆剤や新しい「峰」なしで)結局、朴槿恵 一味の拘束収監でエリート間の交代が起きたことが最大の成果だったように、 米国も他方では警察制度改革の問題が全面化されると、 デモはまた「制度政党政治」の周辺部に押し出される可能性が高い。

暫定的に現在を診断すれば、いつも無為に終わった人種「デモ」あるいは「暴動」の歴史から見れば、 今回のデモは違う見方をすれば大きな結果を出すものと思われるが、 さらに他の見方をすれば体制的な危機をうまく乗り越える過程でもある。 警察改革に対して警察予算の縮小と再配置がどの程度できるかは未確定的だが、 国家の公安機構を「解体」する事はこの程度のデモと抵抗スケールだけで達成するのは容易ではないだろう。 それは韓国の「積弊清算」に収斂されてしまった朴槿恵退陣運動が見せているところだ。 警察機構、検察機構、司法機構の廃止ではなく、改善改革さえ容易なことでない。

そして何よりも、デモが暴力的か平和的かというデモの様相は、 デモの成果をあらかじめ予定しない。 朴槿恵退陣週末デモの真っ最中だった頃に、 韓国では150万人がデモに参加すればそのデモは完全な勝利に向かう不回帰点を越えると見なす一種の ――「理論」というよりは―― 俗説が膾炙した。 だが韓国のキャンドルデモも、初期の1次から4次までの週末集会の様相と爆発力がその次の経路をほとんど決めたも同然だった。 150万人が集まった4次デモの前に自由主義、保守勢力の両者がデモに反応した。 もちろん、デモの新しい起爆剤が登場したり、 デモが新しい勢力の投入で抵抗エネルギーを整備して新しい頂点を作り出せば、 デモは違う目標に向かって進める。 つまり両峰になればだ。 大きく見ればロシア革命がそのようなケースだった。

だが韓国の狂牛病キャンドルも朴槿恵退陣キャンドルも単峰だったし、 それも初期の様相が決定的だったし、 その後は3か月にわたるうっとうしい平和デモ、すなわち「見せること」だった。 誰かが待っていたかもしれない新しい契機点は結局発生しなかった。 朴槿恵退陣(弾劾)と収監以上の事は行われなかった。 全経連解体も、警察機構廃止も、検察機構の再編も、 果たして誰が猫の首に鈴を付けたり、さらに断頭台に送るのか、相変らず答はなかった。 主体がなかった。 現政権は検察人事改革で公安機構の改革を企てたが、うまく逃げられた。 その後、検察と現執権勢力の権力闘争はすでに予告されたようなものだった。

この点でむしろ韓国のキャンドルデモに続いて、 米国の人種差別抗議デモまで「抵抗」が持つ二重性に筆者は注目する。 私がここで二重性という概念で意味するのは、 抗議デモ(protest)の様相、制度的集合行為への収斂が、 抵抗そのものの発展を封鎖する二重性だ。 単に米国の今回のデモだけではなく、 世界的に、抗議デモが反権威的で「反体制的」である性格、 挑戦的な性格を部分的に持ちつつも、 それと同時に体制維持保守の性格を持つ両面性がますます多くの事例から発見される。 代表的に韓国の朴槿恵退陣キャンドルだ。 そしてオキュパイ運動、多様な社会主義代案運動、ブレクジット賛否デモなど、 左右を問わずに見られる地球的なデモの様相だ。 果たしてなぜデモは、こうして体制維持的な性格が強化されているのだろうか? 社会運動研究者として、これは分析し続け、理論的に注目すべき問題だと思う。

参考文献

クォン・ヨンスク、「キャンドルの運動政治と87年体制の『二重転換』」、〈経済と社会〉 2018、vol.、no.117、pp. 62-103

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-06-23 07:39:29 / Last modified on 2020-06-23 07:39:31 Copyright: Default

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