韓国:先輩のなじみの店、阿蜆洞屋台通り...「時代が変わった」 | |||||||
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先輩のなじみの店、阿蜆洞屋台通り...「時代が変わった」80年代を思わせる臭い、蜂の巣のような屋台通りは消えなければならないのか
ユン・ジヨン記者 2015.05.21 22:58
天気が良いとき、先輩たちがよく阿蜆洞に行こうといった。 阿蜆洞のチヂミ屋で会食を始め、酒が出てくると市場の前にある屋台路地に場所を移したりした。 その中で特に阿蜆洞の屋台が好きな先輩がいた。 地方から知人がくれば「ソウルの名物」だと言って、よくそこに連れていくようだった。 健康のためにすぐそばの水泳教室に連れて行き、講習が終わると屋台をはしごしながらしこたま酒を飲んだ。 暖かい風が吹き始めると、先輩たちはまた阿蜆洞の口癖が出る。 「阿蜆洞に行かなきゃ」 ▲消滅の危機に瀕した阿蜆洞屋台通り[写真/キム・ヨンウク記者] 平日の日暮れ時、先輩について阿蜆洞へと向かった。 久しぶりに事務室に寄ったチャムセサンの元記者と、某報道機関の記者も酒の席を共にするようになった。 十分ほど歩いて到着した阿蜆洞屋台路地。 営業開始時間なのになぜか雰囲気が閑散としている。 まったく扉をあけていないところもあった。 こんなに気候が良いときは、屋台の前の路上にあふれていたテーブルも跡形もなく消えていた。 きまり悪くなった一行は閑散とした屋台の前をうろつきながら、商人の顔色をうかがった。 「商売していないのですか?」 ちょうど屋台の扉をあけて出てきたある商人に聞くと、中に入れという返事が戻った。 「外で食べたいのですが」 先輩の要請で商人が残念そうな表情になる。「もう外では食べられません」 先輩のなじみの店阿蜆洞屋台通り...「時代が変わった」六、七人座ると埋まる狭い屋台の中に4人の客ががやがやと座った。 先輩は路上のテーブルへの未練を捨てられず、主人のおばあさんにしつこくねだった。 「私たちも外で食べて欲しいのですが、区庁がだめだと言うのです」 ぶつぶつ言っていた記者たちは口を閉じた。 露店に対する区庁の摘発、そして毎日不安に震えながら商売をしなければならない商人。 都心のあちこちで毎日起きている生存権の戦い。 山川が三四回変わっても全く変わろうとしない露店摘発の暗鬱な影が阿蜆洞の屋台通りにもさしてきたようだ。 七十を前にした主人のおばあさんは、区庁が屋台通りをなくしているという話を淡々と放った。 振り返ってみると片方の壁に警告状のような紙が一枚貼られていた。 麻浦区庁長の職印が押されている文章の上には 「道路を歩行者に返してください」という題名が大きく書かれていた。 警告状(戒告状)の内容の要旨は、車両と歩行者数が増え、 地域住民の不便と事故の危険が増加しており、 そのため百件以上の苦情があったということだ。 また麻浦区庁はこの地域の道路を拡張し、歩道を開設する計画があるという点も明らかにした。 文を読み進むと、ある文章一つがガラスの破片のように目に深々と入ってきた。 「もう時代が変わったことを商人の皆さんも受け入れなければなりません」 彼らが言う通り、明らかに時代は変わった。 だがなぜ生活の基盤であり、職場から追い出される人の姿は終始一貫同じなのだろう。 なぜ時代が変わっても、生計対策もなく人を生活の基盤から強引に追い出すのか。 警告状の最後には、5月17日で啓蒙期間が終わると書かれていた。 啓蒙期間が終われば過怠金賦課、物品撤去、刑事告発などの行政処分を取るほかはないとも書かれていた。 日付を見ると、区庁が書き込んだ啓蒙期間は何日か過ぎていた。 もう残っているのは通りを飲み込んでしまう行政代執行だけだ。 主人のおばあさんは、二十代の序盤から食べ物の商売をしてきたという。 あちこちで商って、何年か前にこの阿蜆洞屋台に入ってきた。 何年も特に過不足なく商ってきたが、今年の冬から区庁の摘発が始まった。 区庁は屋台の前の路上にテーブルを置くなと言った。 「昨年末から毎日20〜30件の苦情が続いているんですって。 風紀紊乱だというけれど、どうしようというのか。特別な事故はなかった。 しかし酒を飲んで騒々しく、みかけも良くないとあちらのアパートの人が苦情を入れる」。 最近、屋台通りの近くに大団地ブランドのアパートが出来た。 昨年、入居を終えたアパートの住民たちが、屋台通りに苦情を入れているようだった。 屋台の裏に小学校があるのは苦情の理由の一つであった。 だが屋台の営業時間は午後6時から午前3時までだ。 その上、屋台通りだけでなく、阿蜆駅近くの露店も撤去の対象だった。 理解できない点があまりにも多かった。 「転がり込んできた石が、元からあった石をどかすようなもの」。 主人のおばあさんはアパート住民に対する空しさを隠せなかった。 屋台の商人は、近くに大団地アパートができるという知らせに誰よりも喜んでいた。 人が多くなれば、商圏も活性化するという期待のためだった。 だがみすぼらしい古い屋台通りを喜ぶ入居者は多くなかった。 路上に簡易テーブルと椅子を置けなくなり、客もずいぶん減った。 日が暮れるやいなや、内外で不夜城になった屋台通りには、濃厚な闇だけが残っていた。 道行く人たちが屋台の中に顔を突っ込んで 「もう外では食べられないのでしょうか?」と聞いては、足の方向を変えた。 それでも海産物をさばいて野菜の下ごしらえをする主人のおばあさんの手は止まろうとしなかった。 ▲2014年初夏の阿蜆洞屋台通り。[資料写真] 80年代を思わせる臭いと思い出、蜂の巣のような屋台通り
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