本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:夢見る釜山のマチュピチュ
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1355111589946St...
Status: published
View


夢見る釜山のマチュピチュ

[チェ・インギの写真世の中](17)暖かい絵を抱いた太極道村

チェ・インギ(貧民活動家) 2012.12.07 18:27

太極道村は青いレゴブロックを組み合わせたような家々が大小集まる釜山市 沙下区甘川2洞です。エキゾチックな情緒と独特の風景により、かなり前から 写真家が訪れていた所が、今では毎年7万人以上が訪問する釜山の名所に変わり ました。まず、訪ねて行く方法は、釜山地下鉄ケジョン駅の6番出口を出て、 地域内バス1番に乗るか、タクシーを拾って乗ります。甘川初等学校で下車 すれば基本料金程度です。

地域内バスの停留所で降りてすぐ、目に付いた近くの豚クッパ屋で遅い昼食を 食べました。釜山に行くと一番よく食べるのが豚クッパです。ソウルのスンデ 汁と似た味ですがスンデがなく、豚肉をぴりっと淡泊に煮た食べ物です。

少し歩いて降りると村の全景がひと目で見えます。昨年初めに訪問し、秋にも 立ち寄りました。甘川洞は村を貫く道路と細い路地が縦横に細かくつながり、 村をひと回りする山腹の道路で構成されています。斜面にあるため、前の家の 屋上に後の家がまるで階段のように続く住居形態で、古い都市の情緒を大事に 伝えています。

この日はソンパッ3路を『ハルベの墓』と呼ばれる太極道教祖の墓から階段で入 り、歩き始めました。洗濯ロープにかけられた服と屋根の運動靴、門の外まで 出て路地で白菜をさばく住民の姿を見ながら、ゆっくり歩きました。周遊路を 歩く楽しみがもっと自然に少し近づく努力だとすれば、路地を歩く理由は、消 えていく路地を通じ、過去の回想に陥ったり人が生きる姿に直接接することが できるからです。

しばらくすると小さな公園があり、階段に沿ってゆっくり回り、ソンパッ3路を 左折すると、屋根と屋根が1メートルも隔てず危なっかしく隣りあい、まるでアー ケードのような道が果てしなく続きます。昨年の春にきた時と違い、甘川洞の 変化が眩しいです。ところが、ここの変化はあらゆるものを崩して新しいビル ができたわけではなく、古い階段と危なっかしく立っていた錆ついた鉄の手摺 りがなくなり、新しく化粧をしたり、路地の塀を豪華に塗って、古い屋根もさ らに青い色で装った姿です。その間に壁画が配置され、村全体を一つの博物館 のようにしました。元からあった雑貨屋も、食堂も、新しく化粧を終えてお客 さんたちを迎えています。

歳を召した落ち着いた感じの年配の人が、どこかに飲みに行く姿が美しい壁画 の姿ととてもよく似合って見えます。どんなにこの道を通ったのでしょうか? 海から吹く風に向かって立ち続ける木のように、後ろ姿が堂々としています。 青いネギが植わった植木鉢と、その横の路地には誰かが椅子を出し、すぐ下の よく陽が当たるところで日向ぼっこをしている猫一匹がだらしない姿で限りな く長いアクビをします。カメラを突きつけても無関係という表情がかわいくも、 しらじらしくもあります。

あずま屋に集まって、談笑を分けていた年配の方たちの間に割り込んで話しか けました。こちらが太極の村と呼ばれるようになった背景は、朝鮮戦争の時に 遡ります。太極道を信じる人々が集団で避難し、集まって暮らすようになって からだそうです。村の来歴を調べてみましょう。二十四歳の時、ここに定着さ れたチョン・ジェアム(81)氏は当時の状況を次のように伝えます。

「元々ここは日本人の土地だった。その後、土地を払い下げて人々が住み始め た。56年にポス洞で暮らしていた太極道の人たちが撤去され、ここに入り始め た。その前には山にわらぶきの家が三、四軒集まっていたんだ。水もなくて、 あの下まで降りて行って飲んだよ。その後には発電所も出来て、引っ越してく る人が増え、全国から太極道の人が集まって定着した。後でソウルの中谷洞に 移転した。最初は下の家の値段はここより低かった。ここから峠を越え、20分 で釜山の中心地に行けるので、比較的交通の便が良い。下の家二軒を売り一軒 買ったが、その後、発電所ができて変わった……」。

釜山は朝鮮戦争中に全国各地から集まってきた避難民が山頂や海辺近くに集団 居住地を形成しました。代表的なのが中区ヨンジュ洞とドングァン洞で、その 他にヨンド・シンソン洞、ヨンソン洞、チョンハク洞、ウアム洞で、甘川洞も 代表的な避難民の集団住居地だったのです。

昨年春にここを訪問した時は、健康湯という町の浴場がありましたが今は4階建 ての村会館にさっと変わりました。浴場を改造した村住民センターのカムネオ ウルトの屋上では展望台とゲストハウスが運営されていました。新しくできた カムネオウルトでしばらく休み、遠くにかすかに見える甘川の近海を見ながら お茶を一杯飲みました。

甘川洞では昨年から貧しい村を変える風が吹き始めました。公共美術プロジェ クトの人が村のあちこちに多様な壁画と美術品を展示し始めました。文化体育 観光部の『2009村美術プロジェクト公募』に『アートファクトリーイン大多浦』 という団体が『夢見る釜山のマチュピッチュ』という主題で当選し、村の変化 は大きな転換点を迎えます。2010年の『迷路迷路路地プロジェクト』と2011年 の『山腹道路ルネサンス プロジェクト』事業を進め、村にはカムネカフェと村 の広報所のハヌルマル、記念品販売所のアートショップ、小さい博物館、美術 館など、さまざまな空間と事業が推進されていました。

『2012年地域伝統文化ブランド』優秀賞に選ばれて、住民が主導する協議会を 構成し、文化芸術家、学界、住民、行政機関が参加する文化村造成事業と多様 な文化イベントを企画しています。この他にも条例の制定と長期的な計画によ る体系的な村作り事業を推進しているという知らせです。

村に暖かい変化の風が吹いているということは嬉しいことですが、このような 変化に対する人々の反応を調べてみました。ここで30年ほど暮らしてきた写真 の中の住民、チェガル・ヨンジャ(56)氏は、生活保護の対象者には家の修理な どの支援があるのに、そうではない人は貧しくても直接の恩恵がなく、不満が 多いといいます。あちこち屋根が古くなって所々崩れそうな塀が放置されてい る様子が眼につきます。村の人々は10年前の火災で二軒の家が焼けた事件に言 及し、大火事にならないような支援が必要で、何よりも都市ガスの普及が急が れると話しています。

路地をうろつく外部の人の視線も住民にとっては相変らず負担のようでした。 ある住民は、とにかくむちゃくちゃに突きつけてくるカメラ公害を指摘し、あ る時は外に置いていた靴がなくなったこともあるといいます。でも最近の村作 りの事例では一番成功する可能性が高そうです。12年ぶりに村の変化を実感し ました。天馬山と玉女峯の間の村特有の風景により、文化芸術家などの外部の 関心から本格的に始まりましたが、村住民は村作りへの参加がとても高いこと を膚で感じました。当初、貧しい人々の生活の空間だったので、彼らの経済的 な問題に恩恵を与える方案をもっと検討する必要がありそうです。

私が会った住民の反応は、こうした変化をとても歓迎しているようです。特に 村が賑やかになり、活力があふれ、何よりも楽しいといいます。また食堂と家 を修繕する店や金物店は活況を迎えているように見えました。この他にも、村 のブックカフェや、その他の多様な文化施設で働けるように配慮をしているよ うでした。

昨年の初春に訪問した時と違い、ここを訪れる人への住民の警戒は大きく変わ りました。木の葉と木の葉の境界が崩れて青い森になるように、好奇の目で村 のあちこちをきょろきょろと見回す人々を暖かい気持ちで受け入れます。路地 で会った子供たちも、自然に村の変化を受け入れているようです。写真の中の 小さい子供はこの村のモデルだと言い、カメラの前で大胆にポーズを取ってく れました。愛想が良い子供たちの目は純粋さがいっぱいで、世知辛いソウルの 人の胸をしっとりした恵みの雨で濡らしてくれるようです。村が変化を決めた 瞬間、他人への警戒を解き、連帯に向いた住民の姿だろうと思います。

遠くから見ると小さくてきれいな青い屋根ですが、実際に見ると、詰まっては 戻り、切れたように続く路地のように、あるいは甘川洞の路地はここで暮らす 住民の人生と似ているのかもしれません。私たちがこんなふうに路地を見るの は利己的かもしれませんが、他人の生活の中で自分を振り返り、新しい勇気を もらうことなのかもしれません。

徐々に暮れていく夕日をながめます。ごく一瞬、青い光に変わって一つ、二つ と街灯に灯りがつき始めます。窓側に映るオレンジ色の灯りは、各々の話を大 切にしまっているかのように静かです。人の暮らしほど美しいことがあるでしょ うか? 釜山は急いで行き来しなければならない所。だからいつも名残惜しく、 懐かしいところです。長い間見て歩きたい釜山の甘川洞でした。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-12-10 12:53:10 / Last modified on 2012-12-10 12:53:12 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について