


NHKは連続企画「新ジャポニズム」の第1集で「MANGA」を取り上げました(1月5日)。そして、「まんがの神様」と称される手塚治虫の「火の鳥」を再放送しています。
その手塚治虫に「ながい窖(あな)」という短編があるのをご存知の方は、手塚ファンでも少ないのではないでしょうか。私も「在日総合誌 抗路」(11号2023年12月、現在は休刊)に掲載された、沈煕燦(シム・ヒチャン)氏の論考「手塚治虫の封印された漫画「ながい窖」を読む」を読むまで知りませんでした。
あらすじはこうです。
軽金属会社の専務・森山は実は本名を「趙」といい、戦時中に岐阜県に強制連行されて地下壕を掘らされた朝鮮人。それを隠して現在の地位を築いてきた。あるきっかけで朝鮮民主主義人民共和国から密入国した徐をかくまう。森山は徐と距離を置こうとするが、大学生の長女は徐に好意を持つ。刑事に追われた徐と娘は事故死する。検視官に確認を求められた森山は娘を自分の子ではないと言う。在日であることがバレるのを避けるため。
そんな父親に反発した長男は在日であることを明らかにし、自ら朝鮮学校に転校する。しかし、日本の学校の不良たちから集団リンチを受け、生死の境をさまよう。ここでも森山ははじめ自分の息子であることを否定する。しかし、不良たちの学校の校長が詫びるどころか朝鮮人を侮辱した時、森山(趙)がこう叫んで漫画は終わる。「わしは朝鮮人だ! それがなぜわるい!!」
沈氏によれば、「ながい窖」の初出は1970年11月6日に発行された「サンデー毎日」増刊号。その後単行本(1972年)に転載されましたが、改訂版からは削除。全集やオフィシャルサイトからも完全に消されています。知人の手塚研究者も知らなかったとか。沈氏は2022年に韓国のネットで偶然みつけました。
「ながい窖」はなぜ削除されたのか。なせ封印されているのか。その理由は明らかにされていないといいます。沈氏はこう述べています。
「私は、「ながい窖」が封印されてきたのは、現に行われている在日への差別を、差別として認めることすら拒否する、ほぼ無意識に近い日本の暴力的な思考に起因すると思う。ほかの差別についてはああだこうだと活発に議論するものの、在日への差別となると、なかなかそうはいかない。在日への差別は、ほかの差別よりも日本や日本人という「存在者」の世界の構築に深くかかわっているからだ」(沈氏は「存在者」「存在」の意味を詳しく論じていますがここでは省略します)
「戦後日本が掲げていた平和と民主主義の水面下に、植民地支配や戦争犯罪に対する欺瞞、在日への差別などが伏在していたことと同様に、趙(森山)の成功もまた、暴力の経験や朝鮮という出自を無理やり封じ込めることでえられたものであった」
「「ながい窖」が封印されてきたのは、この漫画が戦後日本が形作ってきた存在者の世界を動揺させるからであろう。日本が埋めようとしてきた空白と、その向こうに側にある存在を、「ながい窖」はあるがままに出現させる。「ながい窖」は私たちに、存在を飼いならしたり、存在者の世界から追放したりする無駄な行動はやめろ、と話しかけてくる。それ自体、とんだ悲劇にすぎないからだ。…かれ(趙)は普通の人間であり、普通の在日である。その意味でも、私は一日も早く「ながい窖」が再出版されるべきと思う。甦るべき存在の世界こそ、社会を変える巨大な力になると信じるためである」
「ながい窖」の初出から55年。削除・封印されてから約半世紀。作品自体、そしてそれが封印されている意味はまったく古くないどころか、今日の日本社会にますます大きな意味を持っていると思います。
沈氏の論考は主に在日の読者を対象に書かれており、再出版が「社会を変える巨大な力」に通じるという主張も在日としての思いでしょう。
私は、日本人として、「ながい窖」の再出版を強く望みます。それは日本人こそこの作品を読むべきと思い、読んで社会を変える一助にすべきと考えるからです。